中堅政治家のリレー活動期

第3回:「閉塞感の正体」 衆議院議員 民主党・小川淳也

2014.3.10

政治

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最初の選挙で落選、その後逆風の厳しい選挙を2回(自民党大勝の郵政選挙で初当選、政権交代後の民主党大敗選挙)も経験して、議席を確保するのは並大抵のことではない。しかも、保守王国四国だ。存在感のない野党だが、この守った議席を意味のあるものにしてもらいたい

挫折もして考えた

日本の役に立ちたい、その一念で選択した官僚の道もしっくり来ない。むしろ国益に矛盾するのではないか、そんな葛藤に悩まされた10年だった。その後、官僚を辞め政治家を志した。

惰性が続いた自民党政権を変えるべく、民主党に合流し総選挙に挑戦した。厳しい闘いの連続だったが、多くの善意に支えられ、夢にまで見た政権交代を実現した。しかしそれもわずか3年で挫折。あえなく瓦解。期待に応えられなかった自責の念は今も強い。

政権は再交代した。日本政治はアベノミクス、東京オリンピック招致とにぎやかだ。率直に快挙だと思う。金融緩和に公共事業、大盤振る舞いの補正予算。「日本を取り戻す」との掛け声は勇ましく、円安・株高も心地よい。大いに結構だ。

しかし、一方でみんな心の奥底で感じている。いっときの気分高揚はあっても、これが長く続く保証はないことを。そう、確かに日本の抱える構造問題は生易しいものでなく、簡単に将来が見通せるほど容易ではない。

景気の良い話はそれで良い。自らが挫折した身であることも十分心したい。しかしその上で、本格的に語らせてほしい。この国の未来を。今、私たちが、あなたが抱えている閉塞感の正体を。

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将来が見通せない現実

閉塞感とは他でもない、詰まった感じ、先に通らない、見通しのつかない、つながる確信のない状態だ。現在の仕組み、現在の努力が将来につながらない。今日の努力が明日には報われる、という確信がない状態だ。

この感覚はどこから来るのか。それはずばり”持続可能性の喪失”だ。持続可能性が失われている状態、それこそが私たちが感じ、この国を覆っている閉塞感の正体だ。時代は変わったのに社会が変わらない。制度や仕組みが変わらない。今の努力が将来つながるとの確信を持てない、そんな感覚である。

財政赤字は膨らみ、年金や医療は危機的。エネルギーや環境問題、基本的なもの全てに持続可能性が失われている。しかし、それに本格的に対処する知恵も力も今の社会が持ち得ていない。あきらめと閉塞はアベノミクスという覚醒作用を伴う薬に手を出したい気分にさせる。しかし、それも逃避でしかない。

ではどうするか。手品もマジックもない。地道に一つひとつ糸をほどき、事を正すしかない。簡潔に語ろう。

今の制度を維持し続けられるのか

なぜ、財政赤字は増えているのか。それは高齢化の進展で年金や医療の給付が間に合わず、企業や若者の保険料で不足する分を借金で賄っているからだ。

なぜ、年金や医療は危機に瀕したのか。人口構成が変わったのだ。少ない高齢者と多くの現役世代という昔の前提が崩れ、多いお年寄りと少ない現役世代へと状況は逆転した。100人に5人が年金を受けとった時代と、今は100人中25人、やがて100人中40人が年金を受ける時代に、同じ制度を維持できるはずがない。

なぜ、経済は本格的に良くならないのか。この国では人口が減っている。働く世代も減っている。毎年1%ずつ人が減り、今世紀中に人口が半減する国で、経済が2倍や3倍に膨らむはずないじゃないか。

今の教育はどうか。将来につながるか。暗記や知識ばかりで、果たして日本や世界の課題に自ら向き合い、解を見出すことが出来るだろうか。正解は一つじゃない。上司の指示に従っていれば保証される時代でもない。この不確実な時代に、自ら世界と伍して行く力をつける以外にないのだ。

働く環境はどうか。ひとつの会社で一生勤められると約束できるところがあるか。無理だ。しかし、今も税制や社会保険、退職金など全てが成長期の終身雇用の前提のままじゃないか。古いモデルが今も続くため、狭い門をくぐった正社員は過労死寸前、非正規は全く将来の見通しが立たない、そんな両極端をいつまで続けるのか。
結婚や子育てはどうだ。仕事や収入に見通しが持てなければ、自信を持って結婚し、家庭を営めるはずがない。教育費も世界一の水準だ。安心して子供を産めるはずもない。

安心して年を重ねることが出来るか。人生90年の時代なのに、今も定年は60代。社会に居場所をなくしたら、どこへ行くのか。介護が必要になってケア付きの施設に入れるのも一部の高齢者だけじゃないか。

エネルギーや環境ももたない。化石燃料の文明は、地球が46億年かけてためた過去の太陽エネルギーを、わずか数百年で使い切る文明だ。貯金を取り崩す生活と同じで続けられるはずがない。

発想の大転換が必要

ではどうする? 逃げ場はあるのか。見て見ぬふりをすれば済むか。逃げ場もない。見ぬふりしても影響からは逃れられない。腹を決めてかかるしかない。この歯車を一つひとつ逆回転させるのだ。

社会保障は合理化する。生涯を通じて働ける環境を用意する。人口が減るのだから今まで以上に開かれた国創りだ。教育は世界標準。正規と非正規の壁はぶっ壊す。子育てや教育費は社会が担う。年を取れば、最低限の年金で共同生活できる場を増やす。エネルギーはどの国もいずれフローの太陽エネルギーに頼らざるを得ない。だったらいっそ世界で最初にそうなってやるんだ。

どうだろう。ちょっと過激な言いぶりになった。許してほしい。しかし、どれも根本的な課題であり、根っ子はひとつに思える。産業革命以降に創られた社会の仕組み、文明がもたらした制約から解き放ち、新たな時代を創るのだ。この根本問題を解決するのは、金融緩和や公共事業でないことは感じ取ってほしい。

未来は自分たちで創るもの

しかし、これだけの大改革を実行できるか。私たち世代の務めと自覚している。簡単な話ではない。旧来の風景と異なる政治への信頼、期待、説得力、説明責任、どれも半端では無理だ。果たしてこの国にそんな政治を創れるのか。

日本にとっても、世界にとっても大きな分岐点。やるしかない。過去のどの時代にモデルを探しても意味がない。自分たちで未来を創るしかない。みんなで試行錯誤し、対話を重ねるしかない。

登山の目標を、富士山からエベレストに切り替える。多くの日本人が見たことのない山に登るのだ。登頂して見たことのない絶景をみんなで見る。しかし、8,000mから上はデスゾーンだ。相当な覚悟と準備がいる。
登れれば世界最先端。登れなければ破たん。二つに一つだ。賭けるような思い、祈るような願いで再出発する。次世代のために。