自民・二階派入りの細野豪志元環境相 上司変遷の歴史

2019.2.8

政治

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自民・二階派入りの細野豪志元環境相 上司変遷の歴史

2017年9月27日、希望の党設立会見 写真/Bloomberg

無所属の細野豪志衆院議員が自民党二階派に入会し、将来的な自民党入党の意向を示した。細野氏は民主党政権で首相補佐官や環境相を歴任し、2017年には小池百合子都知事を担いで「希望の党」の立ち上げを主導した人物。これまで自民党を散々批判してきただけに、細野氏、そして自身の派閥に招き入れた二階俊博幹事長には「節操が無い」との批判もある。細野氏はなぜ、自民入りを目指すのか。政治家としての歩みを振り返ると、その理由が見えてくる。

28歳で初当選、選挙の強さに定評のある民主党“若手のホープ”

細野氏は京都生まれ、滋賀育ちで、京都大学法学部を卒業後に三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)に入社。その後、政治家を志して退社し、2000年の衆院選に浜松市などの旧静岡7区から民主党公認で立候補し、自民党の現職などを退けて初当選した。静岡には縁が無く、いわゆる落下傘候補だった。

次の2003年衆院選では区割りの変更により三島市や御殿場市などの静岡5区に移ったが、そこから6回連続で選挙区での当選を果たしている。初当選時で28歳という若さに加え、スラっと背が高くハンサムだったことも奏功したようだ。2006年に有名女性タレントとの“路上キス写真”が週刊誌に掲載されたが、かえってそのことも知名度を高めた。民主党が惨敗して政権を奪い返された2012年の衆院選でも選挙区で勝ち抜くなど選挙にはめっぽう強い。

民主党内でも“若手のホープ”として順当に出世していった。京大の先輩である前原誠司氏が代表に就くと、役員室長に就任。後任だった小沢一郎氏の下でも役員室長を務め、菅直人政権では首相補佐官、内閣府特命担当大臣を歴任し、福島第一原発事故の処理を担当。野田佳彦政権では環境相に任命され、2012年に民主党が再び野党となって海江田万里氏が代表に就くと今度は幹事長に起用された。常に注目され続け、若手にもかかわらず党代表選のたびに出馬が取りざたされた。

新党結成では民進党の元上司を排除

しかし、活躍する一方でたびたび“上司”を変えることでも知られた。当初は政界入りでも世話になった前原氏のグループに所属し、事務局長まで務めたが、2010年の代表選で前原グループが支持する菅氏と小沢氏の一騎打ちになると、グループを離脱して小沢氏を支持。当時、前原氏と小沢氏は激しく対立しており、党内を驚かせた。

2016年に小池百合子氏が都知事選で当選し、百合子ブームが起きると、今度は当時所属していた民進党を離党し「自民党に代わる受け皿となる新党結成を目指す」と表明。中心メンバーの一人として、小池都知事を代表とする新党「希望の党」を設立した。

その際、かつての上司だった岡田克也氏、野田佳彦元首相らを“排除”したことが批判された。その後、希望の党と民進党が合流して「国民民主党」ができたときには新党に加わらず、無所属となった。2017年の静岡県知事選挙ではいったん出馬に前向きな姿勢を見せたものの、結局見送った経緯もある。

こうしたこれまでの行動のせいで、細野氏には“八方美人”“カメレオン政治家”“変節家”などとの評判がつきまとう。主張する政策の異なるグループを渡り歩いた経緯から、政策面でのブレを指摘する声もある。

静岡5区で自民党元職とバチバチ、政策面にブレも

それに加えて今回の自民党二階派への特別会員としての入会、そして自民党入り宣言だ。細野氏の地盤である静岡5区には自民党の元職である吉川赳氏がおり、今も地元での活動を続けている。静岡県選出国会議員は、過去3回の選挙で吉川氏と戦った細野氏の自民党入りへの反対を表明。吉川氏が所属する岸田派の幹部も不快感をあらわにしている。細野氏は選挙区替えを否定しており、選挙区調整する余地も無いとみられている。

しかも、入会先が二階派というところがポイントだ。二階派を率いる二階幹事長は「道路族」の大物として知られ、公共工事の拡大をこれまで声高に主張してきた。細野氏はかつて、二階氏の看板政策である国土強靭化政策を「公共工事のバラマキ」と批判してきたことから、「整合性がとれない」と批判されている。

細野氏自身、そのことを問われた際に「長く自民党以外の立場で活動してきたのでさまざまな発言をしてきたと思う。そこは出直しのつもりでやらないといけない」と述べており、政策転換を認めてしまった格好。それでは「政治家としての矜持に欠ける」と批判されても無理はない。

“来るもの拒まず”の二階氏、“政策より選挙”の細野氏

なぜ、二階派なのか。それは二階幹事長の面倒見の良さにあるだろう。二階氏はこれまでも民主党政権で外務副大臣などを務めた山口壮衆院議員を特別会員として受け入れ、自民党入りに結び付けた過去がある。自民分裂選挙で敗れ、浪人中だった長崎幸太郎氏も特別会員として受け入れ、1月27日の山梨県知事選挙で当選させたのも記憶に新しい。“来るもの拒まず”の二階氏を選んだところに細野氏の“政策より選挙”という考え方が見え隠れする。

前原氏、小沢氏、小池氏、二階氏。細野氏が上司と仰ぐ人物を並べると、その時々で権勢を誇っているところだけは共通するが、人物像も掲げる政策も共通点がない。手段も上司も選ばない細野氏の政治手法を認めるか認めないか、最終的に決めるのは有権者だ。

以前から勘所の悪さは天下一品だった

自民党に移ろうという細野氏も細野氏なら、それを受け入れる二階氏も二階氏だ。両名とも節操がない。自らの国家観も何もない細野氏だろうから、この程度かとは思うが、さすがに自民党入りとはどの面下げて行けるのか。

前回の選挙で自民党を勝たせた(野党に大負けさせた)大戦犯は前原氏だと思うが、間接的には小池百合子氏をその気にさせて、野党をバラバラにさせた細野氏もその一人だ。その論功行賞なのでの自民党入りなのではないかと皮肉のひとつも言ってやりたい。

昔友人に言われたことがある。「政治家は恥など捨てないとやってられない」と。彼は他の意味で言ったのだが、細野氏は恥を捨てるというよりも、恥知らずという言葉が似合う。

見た目の良さと選挙の強さから、若手のホープと持ち上げられてきたが、僕は以前からその勘所(勝負のかけ方)の悪さは天下一品だと思っていた。ここまで時流を読めないとは恐れ入った。

二階氏は自らの派閥の数を増やして、いかに力を持つかということにしか興味のない昭和の遺物だから、これも驚かない。早く政界から姿を消して欲しいものだ。