佐藤尊徳が聞く あの人のホンネ

ヒットメーカーの憂鬱 幻冬舎・見城徹×作詞家・秋元康×尊徳編集長

2014.7.10

ビジネス

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写真/若原瑞昌

数々のミリオンセラーを生み出してきた伝説の編集者であり幻冬舎社長の見城徹と、AKB48のプロデュースを手掛ける作詞家・秋元康という、誰もが知るヒットメーカーをお呼びしました。実績の大きさからか、世間からいろいろ言われる2人です。惹かれあう理由は、ヒットメーカーとしての悩みにあるようで……。

幻冬舎社長・見城徹氏×作詞家・秋元康×佐藤尊徳編集長[電子雑誌『政経電論』第5号]

株式会社幻冬舎 代表取締役社長

見城 徹 けんじょうとおる

1950年12月29日生まれ。静岡県出身。慶應義塾大学法学部卒。1975年角川書店入社。文芸編集者として名を馳せる一方、坂本龍一、尾崎豊、松任谷由実らミュージシャン本も数多く手掛ける。1993年幻冬舎を設立し代表取締役社長に就任。2003年1月上場。2011年3月MBOにより上場廃止。著書に『編集者という病い』(太田出版/集英社文庫)、『憂鬱でなければ、仕事じゃない』(藤田晋との共著・講談社文庫)ほか

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 作詞家

秋元 康 あきもと やすし

1958年5月2日生まれ。東京都出身。中央大学文学部中退。作詞家。高校時代から放送作家として頭角を現し、「ザ・ベストテン」など数々の番組構成を手掛ける。作詞家として、美空ひばり『川の流れのように』など数々のヒット曲を生み、総合プロデューサーを務めるAKB48のほぼ全楽曲の作詞を手掛ける。著書に小説『象の背中』(扶桑社)、『趣味力』(NHK出版)、『天職』(朝日新聞出版)ほか。

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株式会社損得舎 代表取締役社長/「政経電論」編集長

佐藤尊徳 さとう そんとく

1967年11月26日生まれ。神奈川県出身。明治大学商学部卒。1991年、経済界入社。創業者・佐藤正忠氏の随行秘書を務め、人脈の作り方を学びネットワークを広げる。雑誌「経済界」の編集長も務める。2013年、22年間勤めた経済界を退職し、株式会社損得舎を設立、電子雑誌「政経電論」を立ち上げ、現在に至る。著書に『やりぬく思考法 日本を変える情熱リーダー9人の”信念の貫き方”』(双葉社)。

Twitter:@SonsonSugar

ブログ:https://seikeidenron.jp/blog/sontokublog/

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惹かれあうヒットメーカー

尊徳 そもそもお二人のご関係はどのようなものなのですか?

見城 以前から秋元のことは知っていたけど、近しいって感じではなかったんです。関係が深まったのは5、6年前からですね。当時は食わず嫌いだったというか、ここまですごい人物だと正直思っていませんでしたから。食べてみたら(深く知るようになったら)びっくりしたんです。僕は50歳を過ぎてから、関係の深い友人ができるとも思っていなかったけど、秋元と深く知り合って、人間的にも救われたし、一緒にいられるのをうれしく思っています。

尊徳 秋元さんからみて、見城さんはどういう人ですか?

秋元 編集者として、光輝いて、惹かれる部分がずっとあったんですけど、距離も感じていました。僕はテレビや映像の世界、見城さんは活字の世界の人ですから。でも『ダディ』(幻冬舎)の仕掛け方とか、活字を超えた、何か違う動きがあるように感じて、興味を持っていました。

急速に親しくさせていただいてわかったのは、見城さんは哲学を持っているということです。すごく強くて、才能があって、人脈があるのに、自己嫌悪を抱えているところが大きな魅力ですね。それを抱えていることが優しさであり、そこにすごく惹かれる。

年が8つ離れているので、兄貴のように慕っています。僕は人見知りなんで、やはりこの年になってこんなに近い人と会えるとは思っていなかったのでうれしいです。

見城徹、秋元康

これだけの成功者でも悩むことがあるんですね。(尊徳)

写真/若原瑞昌

ヒットメーカーなのに、自己嫌悪

尊徳 自己嫌悪? 見城さんはどのように思いますか?

見城 僕はね、秋元康という人は、かなり若い時分に自己顕示欲と自己嫌悪を葛藤させた人だと思うんです。一方、僕は自意識とか自己顕示欲の処理ができないんですよ。63歳にして、いまだに(笑)。だけどね、自意識が出た後の自己嫌悪はすごくあるんです。僕は自己嫌悪がない人とは付き合えない。自己嫌悪こそがその人のセンスを決める一番重要なものだとさえ思っています。

秋元は自己嫌悪が希薄な人だと思っていたけど、まったく違って、自己顕示欲と自己嫌悪という、相反する両極の凄まじい葛藤や戦いを終えている人だと思う。

尊徳 秋元さんは高校生の時分から放送作家として成功されているのに、どうして自己嫌悪があるのですか?

秋元 見城さんのような成功者を多く見ていると、皆ある種の幽体離脱をしているんですよね。本当の自分と世間の評価が乖離して幽体離脱していくものに、手を伸ばすんですよ。「違うんだ」と。「本当の自分はそっちじゃない」と。

僕の場合で言えば、高校生のときからギャラをもらって、面白おかしく生きているように見えますが、その頃からずっと官僚になりたいと思っていたし、かなりの間(官僚を)目指していたのに、世間的な評価は、調子が良くて、計算高くて、お金儲けが好きで、というイメージになっていました。

僕がそういう風に見えてしまうのは、自分にも反省すべき点があるからでしょう。本当の自分と全然違う評価が世間に生まれたんじゃなくて、本当の自分の延長線上であることは間違いないんですけど、行きたいのはそっちじゃないんだよな、と思うことに対しての距離感が自己嫌悪で。

見城さんも、僕より実績があって、年齢も上で、社会的地位もあるのに、まだ自己嫌悪に葛藤している。その姿に、僕は一番感動したし、同じ価値観を感じるのです。

見城 褒めてくれるのはうれしいけど、そんなことより、秋元はすごいよ。ことごとく成功させてきた。これは例がないことですよ。僕なんかは、色眼鏡で見ちゃっていたときがあって、計算高かったり、ズルかったり、表面的だったり、そう思うわけじゃない? 仕事ができるのとズルさみたいなものは紙一重だと思うんですよ。

でも深く知ると、秋元康という人は、僕が思っていたマイナスな要素がまったくない人なんです。仁義にも厚いし。だけど結果を出すとその分、秋元康という人間に対していろんなイメージが付着していくわけですよ。その不幸を生きてる。しかし、それを淡々と引き受けようという覚悟がある。本当の秋元と、世に映る秋元のギャップみたいなものは、逆に人間・秋元の鮮やかな魅力になる。本当に良く知ると感動するよ。

世間の評価と本当の自分

尊徳 見城さんは年下であっても親しくならないと呼び捨てにしないので、かなり深いお付き合いなのがわかります。ヒットさせていることは誰もが知っていますが、逆に、人生において失敗したことはありますか?

秋元 失敗したことは世間に出てしまったことです。1980年代に「夕焼けニャンニャン」(フジテレビ、1985~1987年)などで一躍放送作家として注目されたときに、裏方に徹するか表に出るかを迫られるのですが、面白がって出る方を選択してしまったのです。僕なんかが出ようが出まいが、大衆に影響はないと思っていた。そこが失敗だと思います。僕も勘違いしていたんですね。僕のベストアルバムを冗談で出そうと話が出たとき、面白いから「印税の元」というタイトルにしたんです。それが世間の反発を買うなど考えもなく。

また「儲かってますね」と言われて、「いえいえ、僕なんか・・・」とか「皆さんが思うほどじゃないですよ」と言うのが正解だとは思うんですけど、僕は深夜放送のラジオの出身だから、楽しませようと「おニャン子御殿が建ちました」など、冗談で言っていたんですよ。それが80年代の秋元康のイメージを作ってしまった。それからずっと、何をやろうが、その地獄から逃れられない。だからたぶん、せめて本当の自分はそうじゃなく生きようという自己嫌悪を抱えながら生きています。

尊徳 秋元さんを知れば違うとわかりますが、イメージはやはり強いですね。

見城 だからものすごく、実は努力しているんですよね。年がら年中、24時間、365日、何か書いていますよ。詞だったり、プロデュースの企画書だったり。こんなに仕事しなくてもいいのにと思うくらいに。でも、外から見ていると、たやすく成功しているように見えるんですよ。それは不幸だなと思う。

秋元 見城さんも、活字だけの世界での付き合いだけなら、そんなに嫉妬を受けないでいられましたよね。日本は”○○一筋50年”とかが、美徳とされているから。見城さんは活字の世界を超えた名プロデューサーだから、そのことで嫉妬を受ける。

見城 そのことはちゃんと自覚していますよ。でも僕はね、秋元みたいに、淡々とできないんですよ。秋元は解脱していますけど、俺は「この野郎!」とか思ってしまう(笑)。

秋元 そんなこと言いますけど、見城さんの方が僕より人がいいんですよ。「あいつは許せない」とか言っても、会ってご飯食べたりすると、「あいついい奴だな」となるんですよ。僕ね、それが最高だと思うんですよ。よく、自分の思い込みや考えを翻さない人が魅力みたいなことを言う人がいますけど、逆だと思うんですよね。食わず嫌いだったり、誤解だったり、それを翻す勇気の方が大変だと思うんです。

尊徳 わかります(笑)。見城さんはそういう方ですよね。

認められるには自分が変わるしかない

秋元 僕は、「あいつはダメだ」とか猛烈に言える見城さんがうらやましいし、「でもいい奴だった」と変えられる見城さんも魅力的だと思う。僕はちょっと距離を置いちゃうというか、あまりにも自分がどうにもならない世界で叩かれてきたから、何を言おうが、言葉が通じないと思ってしまうんです。初めから僕を悪く言う人に何も対抗できなくて、だから自分が変わるしかないと思っています。

見城 諦めから出発している。これはすごいよね。

秋元 いやいや、決してきれいごとじゃないんですよ。例えば企画監修とか、コンセプトだけを提案するとか、それにあぐらをかいていた時期が確かにあります。そうするとクオリティーが下がって「秋元がやった割にダメじゃない」って風評が立つ。それで、やっぱり書かなきゃダメだなって気がついて、コツコツ書くわけですよ。それで評価を得ても、時すでに遅し。秋元は適当にやっているんだなって思われてる。でも、それを少しずつでも、「秋元、意外にちゃんと書いているぞ」とか思われたいんですよね。

AKB48もほぼ全曲僕が詞を書いているのは、またコンセプトだけ作って楽していると思われたくないがために書いていて、印税が欲しいとかじゃないんです。

見城 確かに、叩かれたときもあれば、うまくいかなかったこともあると思うんです。でも、こんなに完璧にすべてを逆転して、今ある人っていない。逆転っていうのは、克服したってことですよ。何かある度に、きちんと反省しているんだと思う。常にイノベーションしているんです。それはセンスってものでね。努力したり、作ろうとしてもできないんだよ。

ちょっと話が飛びますけど、僕が20年前に幻冬舎を立ち上げたとき、パーティの席である俳優を紹介されたのですが、僕がちゃんと挨拶しているにもかかわらず、その俳優はまったく僕を無視してた。まだ一冊も本を出していない無名の出版社だったからね。そのときに、「俺はこいつを絶対に許さない。でも、俺が幻冬舎を成功させることができなければ、あいつにとってそれは痛くも痒くもないことだよな」と思ったんですよ。それがモチベーションにもなっています。

その話を秋元にしたとき、最初は黙って聞いていたんだけど、そのうち、「いや、見城さんは、きっとその人も許しますよ」と言い始めた。そしてその後で「正直に言うと、あの人のセンスはダメですね」って言ったんだよ。その言葉を聞いて、秋元っていいな~と思ったね。僕ね、秋元とは根本のところでセンスが合うと思うんだ。

尊徳 感じ方とか、感性のセンスですよね。

秋元 友達としていられることの一番大切なことって、「何を恥ずかしいと思うか」だと思うんですよ。

見城 まったくそう思いますね。哲学とか美学はセンスですからね。僕がこの人のセンスはどうかな?と思っている人は、秋元も同じように思っている。そこがいつもほぼ一致している。

尊徳 それで、結局その俳優のこと許したんですか?

見城 向こうは挨拶に来るけど、僕は無視する。少しは成長していればいいんだけど、20年前と同じで自己嫌悪がないから相変わらずセンスが悪い。僕のことを気になっているのはわかるけど、20年前のことは忘れていて、今の僕が同一人物だとは思ってないんだな(笑)。

秋元 怒りを持続させるというのは、エネルギーがある証拠ですよね。そのエネルギーが見城徹という人を突き動かしているんでしょうね。

見城 僕は達観できないんだよ。秋元みたいにね。まだまだ子供だから。

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