政治

第1回:~日本の政治家はアホばかりとお嘆きのあなたに~ 政治家になるという選択肢

3コメント

歯に衣着せぬ政治家・平将明。いつか舌禍事件を起こすのではないかとヒヤヒヤしている。しかし、これだけ本音をぶつけて、権力にも対峙する姿は気持ちがいい。小泉チルドレンといわれて当選した平氏もいつの間にか3回生。今回も痛快に語ってくれました。是非あなたも挑戦してみてはいかが? (編集長 佐藤尊徳)

「日本の政治家はバカばっかり」

Twitterなどをやっていると、時々「あんたはアホか?」とか「日本の政治家はバカばっかり」という趣旨のコメントをいただく。また、私はTV番組などで芸能人やコメンテーターなどと議論を交わすことがあるが、議論の最後の落としどころが結局「日本の政治家が悪いのね。」みたいなお決まりのシナリオだったりすることも多い。前者の批判にはもともと浅学菲才、自らの不明を恥じるしかない。後者についても相手がギャラを得て芸能活動の一環として、さらに目立つことをほぼ第一義に考えて突っ込んでくる状況といえども、一つひとつの疑問や批判に答えるのは政治家本来の仕事と心得ているので、半ばあきらめの心境で最後まで付き合うことにしている。

一方で、政治家批判だけでは本質的な問題は解決しない。この国には国民に選ばれた政治家(現職議員に限るが)しか存在しないのだから。選ばれた政治家が悪いのか、選んだ国民が悪いのか? 結局のところ大雑把に言えば「その国の政治のレベルはその国の国民のレベル。」ということか……。それでも、「日本の政治家はもっとなんとかならないのか!」との想いを持っている人々は世の中に溢れている。そういう方々に提案したい。「自ら政治家になる」という選択肢を。

政治家といえば世襲、官僚、タレント…

政治家といえば世襲議員や東大卒の官僚、地方議員の有力者、既得権益団体代表、アナウンサー、プロレスラー出身といったイメージで、それ以外の人たちに出番はないように思える。しかし、この10年間でその状況は大きく変わった。それは「公開討論会」の普及、政党の公募制度の充実、政治家養成塾の登場、ネット選挙解禁などで、候補者の選考基準や方法、選挙の戦い方などが劇的に変わってきたということだ。

20131111_statesman_LP2-1.jpg

「公開討論会」の凄まじいインパクト

一昔前、まだ公開討論会が一般的でなかった頃、有権者が候補者の人柄や能力を知りたくてもその術はかなり限定的であった。2000年ごろ、NPOのリンカーンフォーラムが公開討論会メソッドを開発し、それを各地の青年会議所などが活用して全国で公開討論会が開催されるようになった。従来の選挙であれば、さまざまなしがらみや思惑でイマイチの候補者が擁立されても、各陣営は情報の出し方をコントロールすることが容易にできるので、いわゆる候補者隠しをして当選させることさえできた。既存の後援組織には情に訴えるお願いベースの運動と、広く一般向けには名前の連呼とポスター掲示&リーフレット配布。

しかし公開討論会では相手候補との議論を公開で行うので、候補者の人格や能力も広く一般にさらされることになる。おじいちゃんやパパが著名な政治家でも、本人がイマイチの世襲候補者は、公開討論会で対立候補者に完膚なきまでに論破されて落選してしまうので候補者にできない。知名度が高いことは選挙に有利であることは間違いないが、政策議論のまったくできないタレントを候補者にすることもない。寝技の得意な地方議会の大物政治家といえども、公開討論会でさわやかな政策議論をして無党派層にアピールすることができなければ候補者にはなれない。まったくもって良いことだ。

20131111_statesman_LP2-2.jpg

「公募制度」で”政治”人材マーケット開放!!

政党の側も候補者の選び方を根本から変える必要に迫られることになった。そこで、一気に普及したのが政党の公募制度である。政党の公募制度の目的は、変化した選挙環境に適応するため、前述した既存の政治家の人材供給源以外の幅広い分野から、”勝てる候補者”を見つけ出すことである。現在では自民党、民主党、みんなの党、維新の会などで採用されている。現在わが党(自民党)では新人候補者擁立の際には必ず公募を実施することになっている。かくいう私も2005年の衆議院選挙の公募候補である。前職は大田青果市場の中小企業の経営者で、世襲でも官僚でもタレントでもない。コネもお金もない。今までの自民党の候補者擁立基準からかけ離れた候補者だった。公募制度がなければ私は国会議員にはなっていないし、なることもできなかっただろう。

今後の課題もある。公募の際の人材を見極める目利きの精度を高めること、選考の際には広く外部の有識者等も入れて自民党や地域の蛸壺的発想やしがらみを壊す仕組みを組み込むこと。そして、最初から候補者が実質決まっていながら、世間の批判をかわすために一応公募しましたみたいな”なんちゃって公募”を絶対させないことなどが挙げられる。今後自民党副幹事長として、わが党の公募制度の整備に努めていきたい。

20131111_statesman_LP3.jpg

今、流行りの政治家養成塾

さらに現在では各政党の政治家養成塾も盛んになり、塾生から多くの政治家が誕生している。問題意識のある人が塾でも学び、公募に応募して、候補者となるケースも多い。私の所属する自民党東京都連にも政経塾があるので興味のある方は参加してみては如何か?

「自民党政経塾」公式ホームページ

20131111_statesman_LP4-1.jpg

ネット社会が変化を加速させる

そしてネット社会の拡大やネット選挙解禁も”ひろく人材を求める”というこれらの動きに拍車をかける。公開討論会は広くネットの動画で公開され、今までとは比較にならないほど多くの人に視聴される。候補者の多くの情報が社会にさらされる。それに耐えうる候補者、それに耐えうる政治家を政党は常にリクルートし続けなければならないし、それに耐えられない候補者や政治家は差し替えていかなければならない。”政治”という分野の人材マーケットはこの10年で劇的に開放され、参入障壁は低くなり、その流れは今後さらに加速していくだろう。

20131111_statesman_LP4-2.jpg

「自ら政治家になる」という選択肢

このような時代の変化を捉え、多種多様な人材が今まで閉鎖的だった”政治”という人材市場に大量に参入すれば、競争原理が働き時代の要請に応えられる優秀な人材が残り、そうでない者は退場を余儀なくされる。選ぶのは有権者だ。新陳代謝も進む。結果政治家の質が高まり、日本の政治の機能強化が図られる。選ばれる側(政治家)【※既得権益型政治家を除く】にとっても、選ぶ側(国民)にとってもWin-Winの話だ。「もっと日本の政治家はなんとかならないのか!」との想いを持っている方々に提案したい。「自ら政治家になる」という選択肢を真剣に検討してみたらどうだろうか。