JALが再上場してから3年たった。輸送規模ではANAに劣るものの利益率は高く、数字の面では大きく改善。だが、”親方日の丸”といわれた古い官僚体質は変わったのだろうか? 会社更生法適用の後、パイロットから日本で初めて社長になった植木社長に、この5年の変化を聞いた。
“魂”を入れるのはJALの社員
尊徳 植木さんはパイロットとしてJALに入社し、まるで火中の栗を拾うように、2010年に役員のオファーを受け、その後社長に就任しますが、そのとき何を思われましたか?
植木 当時は79歳になる京セラ創業者・稲盛和夫さんが、JALのために毎日誰よりも真剣に取組まれていたのを2年間傍らで見ていましたから、自分で覚悟を決め、お受けしました。断る選択肢はありませんでした。
尊徳 ”親方日の丸”と揶揄されたJALは、経営破たん後に変わったのでしょうか?
植木 まったく別の会社になったと思います。管財人の方に言われたのは「構造改革により、利益の出る仕組みは作ることができるが、そのままにしておけばまた同じことが起きる」ということ。”箱”に”魂”を入れるのはわれわれだということです。そこで徹底的に実施したのが、社員の意識改革でした。その結果、社員の心が変わり、魂が入り、JALは変わることができたのです。
尊徳 一度地べたを這いつくばらないと変わりませんからね。かつてのJALは偉そうでしたもの(笑)。
植木 今までも同じような経営改革は試みてきました。しかし、そこには「スピード感」がなく、それをやりきるだけの「意志の強さ」がありませんでした。多くの社員に当事者意識が欠如しており、会社が”官僚的”と言われたように評論家ばかりでした。
計画力だけで実行力のない会社に実が取れるわけはありません。破たん前の傲慢なJALは残念ながら、そうだったと言わざるを得ません。今では疑問を感じたら自ら考え、社員一人ひとりが動くようになり、(JALの中での)常識が変わり、風土、文化すべてが変わりました。最近では、社員が皆「JALが好きだ」と口に出していうようになりました。
ANAは良いライバル、相手にとって不足なし
尊徳 リーディングカンパニーだからこそ、謙虚であるべきですよね。そうでなかったから破たんまでしているのですから。
植木 僕が社長になったときにOB総会がありまして、最初に申し上げたのは「この会社を潰した責任は、われわれを含め皆さんにもあることを忘れないでほしい。今のJALを死ぬ気で応援してほしい」ということでした。
尊徳 会社が変われたのは稲盛さんの影響が大きいと感じますが、植木さん自身は何を教えらましたか?
植木 (執行役員時代に)稲盛さんに、「収益性より安全を優先しないといけない」と申し上げたところ、稲盛さんからは「安全と収益性はどちらを優先するというものではなく、両立させなければならない。しっかりと安全にコストをかけるためにも、収益性を上げないといけない」と言われました。つまり、安全と収益性を単にバランスさせるのではなく、両方を高めていけばよいのです。
尊徳 JALの輸送規模を抜き、国内トップに躍り出た今のANAのことはどう見ていますか?
植木 良きライバルであり「スピード感」「チャレンジ精神」がある会社。計画段階では難しいのではないかと思うことでも、それを実行していく挑戦意欲は素晴らしいです。見習うべきところは見習いたい。
フルサービスネットワークキャリアとして生きる
尊徳 JALが支援すると思っていたスカイマークもANA陣営になってしまいました。何か影響はありますか?
植木 エア・ドゥ、スターフライヤー、ソラシドエアもANAの資本が入っています。それらを合わせると、羽田の発着枠ではANA6:JAL4となりました。影響がないとは言いませんが、逆にJALとしてはワンブランドで強みを打ち出して頑張っていきます。
尊徳 LCCは別にして、差別化しにくいフルサービスは今後どう打ち出すのですか?
植木 経営破たん後、2012年に5カ年の中期経営計画を作成しました。実は今まで、中計を達成できたことがないのです。これでは意味がありません。今回、その冒頭に記載したのが、「フルサービスネットワークキャリアとして生きていく」ということです。
航空機やハードは、今は最新でもあっという間に古くなり、更新するのにも時間がかかります。他社と差別化する要素は、やはり最後は”人=社員”です。破たん時に残って頑張ってくれた社員、破たん後にJALに入ってくれた社員は、財産であり、他社との差別化には、”人”が高い意識を保ち続けることが大事であると考えています。
尊徳 それをやりきることができたら、変わったといえるかもしれませんね。経営難時代は投資も十分にできなかった悲哀も感じているでしょうから、二度とそうならないようにね。