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暴君・秀吉を負かした伝説の花僧をご存じ? チャンバラ・合戦一切無しの時代劇『花戦さ』が地味にアツい

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6月3日(土)より全国東映系で上映される映画『花戦さ』。野村萬斎、市川猿之助ら伝統芸能の雄をはじめ、中井貴一、佐々木蔵之介、佐藤浩市ら映画界を代表する豪華な俳優陣が出演するこの作品で描かれるのは、戦国の覇者・豊臣秀吉とその周縁に生きた文化人たちの人間ドラマだ。時代劇のステレオタイプとは一線を画した本作品の見どころを紹介しよう。

『花戦さ』 劇場公開:6月3日(土)/配給:東映

【ストーリー】豊臣秀吉(市川猿之助)が天下を治める戦国時代、京の中心である六角堂に、何よりも花を愛する池坊専好(野村萬斎)という花僧がいた。かつて織田信長(中井貴一)の御前でいけばなを披露した縁で、秀吉の茶頭・千利休(佐藤浩市)と親しくなった専好は、花と茶、美を追い求める者同士で友情を深め合うように。そんななか、”暴君”秀吉の振る舞いはエスカレートし、意に沿わない者を次々と死に追いやっていく。そしてついに、自らの友であった利休にも自害を命じ……。

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いけばなが物語る歴史の舞台裏

戦国武将・豊臣秀吉の名を知らない日本人はそうそういないだろう。織田信長の家臣として仕え、主の死後は、明智、柴田、徳川、北条と、名将たちを次々に討ち破った天下人である。

しかし、時の権力を手中に収めたこの男が、たった一人の花僧(かそう・仏に花を供えることで世の安寧を祈る僧侶)に大敗を喫したことはご存じだろうか? その花僧の名は、池坊専好(いけのぼう せんこう)。いけばなの源流である華道の家元・池坊一門に実在した名手である――。

次期家元 池坊専好(4代)。華道家元池坊初の女性家元継承者として、2015年に専好を襲名。奇しくも同作の主人公と同じ専好の名を襲名したのは、実に281年ぶり。池坊

6月3日(土)より全国東映系で上映される映画『花戦さ』は、この歴史の影に埋もれた花僧と秀吉の静かな戦いを描く時代劇だ。主役の池坊専好を狂言師・野村萬斎、豊臣秀吉を歌舞伎役者・市川猿之助がそれぞれ演じ、その豪華な配役はさながら日本伝統芸の異種格闘技戦を思わせる。

花戦さ

近年の時代劇には珍しく、派手な殺陣や大群入り乱れての合戦シーンは一切無し。しかし、劇中の随所に登場する数々のいけばなは、静かに、そして力強く、登場人物たちの心の揺らめきをその花弁で物語る。

そう、『花戦さ』は、天下人・豊臣秀吉の知られざる一面、その人間性にフォーカスした物語なのである。

花戦さ

稀代の茶人・千利休はなぜ死ななければならなかったのか?

本作で描かれる秀吉の人物像は、圧倒的な武力をもって他をくじき、力で天下を手にした暴君そのもの。その固執した暴君性は、政(まつりごと)のみにとどまらず、時の文化人たちをも巻き込んでゆく。

専好と同時代を生き、秀吉に取り立てられた稀代の茶人・千利休も、その一人だ。豪華絢爛を好み、黄金の茶室を作ろうとする秀吉は、一服の茶とその周縁にある風情を重んじる利休とそりが合わず、次第にいら立ちを募らせる。

そんな秀吉の怒りに拍車をかけたのが、かつて信長の葬儀を行なった大徳寺の三門上に設置された利休像だ。門をくぐるたびに利休の足元で頭を踏みつけられるようだと因縁をつけた秀吉は、ある日、利休に詫びを入れるように強いる。

しかし、権力に取り憑かれて人の心を失った主・秀吉に対して、利休は頑なに謝罪を拒む。その結果、彼は自刃に追いやられてしまったのであった。

花戦さ

……と、ここまでのあらすじは、中学や高校の歴史の授業でも習った範疇かもしれない。しかし、利休が頑なに秀吉への謝罪を拒み、自刃を選んだ背景には、どのような思いがあったのか。その真意までは今や誰にも伺い知ることができない。

そして、親友である利休を死に追いやった秀吉の心を、専好はいかにして氷解させ、諌めるに至ったのだろうか? 『花戦さ』では、この三者の揺れ動く心と、静かな駆け引きが独自の解釈で大胆に描かれている。その真意のほどは、ぜひ劇中で確かめてほしい。

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シリアスな人間ドラマに花を添える芸術作品

秀吉と利休、そして専好が紡ぐシリアスな人間ドラマは、本作の骨子であり、物語の本流だ。しかし、『花戦さ』の真の見どころは、本流の脇にそっと花を添える脇役たちの好演と、数々の芸術作品にあると言っても過言ではないだろう。

個性あふれる主要キャストたちの中でもキーパーソンとなっているのが、若手女優・森川葵演じる少女・れん、だ。心に深い傷を負い言葉を失った彼女は、専好の慈悲と情愛に触れるうちに、次第に絵師としての才能を開花させてゆく。

劇中では、冷え切った自身の心に温もりを戻していくれんの変化が、彼女の描く力強い花々の絵によって表現されている。この絵画を手がけたのは、大英博物館への出品経験もある気鋭の現代アーティスト・小松美羽。スクリーンを飲み込む巨大な墨絵は、森川と小松、2人の女性表現者のコラボレーションによって完成した芸術作品というわけだ。

花戦さ花戦さ

また、劇中を彩るこれらの芸術は、専好らの心の機微を表すギミックとしても巧みに用いられている。

例えば、秀吉へ謝罪するよう専好が利休に説得を試みるシーンで、梅のつぼみを生けている。これは、自刃をもいとわない覚悟の利休に対して、「この先も生きて、梅のつぼみが花ひらくのを見たくはないのか」と諭す思いを込めているのだ。

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そして、願い叶わず利休が命を絶った後には、四十九日の弔いとして立花を生ける。そこに添えられるのは、友と眺めることの叶わなかった、満開の梅。専好は花をもって言葉を語り、友に心を伝えようとしたのだ。

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時代劇の固定概念を覆す意欲作

いわゆる”ザ・時代劇”のストーリーラインをイメージして、『花戦さ』を鑑賞すれば、あなたは度肝を抜かれるかもしれない。この作品が描くのは、猛々しく荒々しいステレオタイプの戦国ドラマなどでは決してないからだ。

しかし、花と茶、伝統文化を通して静かに描かれる人の心の移ろいは、時代を経てもなお日本人の精神性に宿り続ける美意識をありありと浮かび上がらせてくれる。つまるところ『花戦さ』は、日本の時代劇に一石を投じ、新たな地平を切り拓かんとする作品なのだ。

時代劇におけるポストモダンともとれるこの作品こそ、今、この時代に劇場へ足を運んで観るべき映画といえるだろう。

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