ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマン教授が、「現代ビジネス」のコラムで「お金の面で成功しているということは、経済が実際にどう動くかを知っているということではないか? 本当のところ、答えは『ノー』だ。」と書いていた。クルーグマン教授の真意を理解すると、現在の経済政策の混乱の本質が見えてくる。
経営者が勘違いしがちなこと
「現代ビジネス」のコラムにおいて、クルーグマン教授は、「ビジネスリーダたちは、問題を抱えている時期には特に、経済についてとてつもなく間違ったアドバイスをすることがよくある。そしてその理由を理解することが重要なのだ」とも書いている。
ビジネスで成功した経営者が特に勘違いをしがちなのだが、国民経済において、生産されるモノやサービスの消費者は、そのほとんどが”生産者自身”なのである。どういうことか。
企業にとってビジネスの顧客(企業、消費者等)は、その多くが”企業の外”の人々で、企業の従業員ではない。もちろん、従業員が自社製品、自社サービスを買うケースもあるだろうが、全体から見たらわずかな割合に過ぎない。
すなわち、企業にとって所得を稼ぐ相手は”会社の外の膨大な人々”なのである。露骨な書き方をさせてもらうと、企業が人件費を削減したとしても、従業員の志気はともかく、売上にはほとんど影響しない。それどころか、費用削減により利益は増える。
「所得」を理解する
給料を引き下げられた従業員が、自社製品・サービスを購入することを控えても、誤差程度の影響しかない。それに対し、「国民経済」というマクロな視点で見ると、消費者のほとんどは生産者である。生産者の所得が削られていくと、消費者としてモノやサービスの購入が困難になる。結果、生産者の所得はますます削減されてしまう。
所得とは、国民が生産者として働き、製品やサービスという付加価値を生産し、誰かが消費、投資として支出して初めて創出される。国民経済全体を俯瞰すると、生産者と消費者は同一人物なのだ。
そして、国民経済における”最大の消費者”は、政府である。日本政府の場合、何しろ年間の予算は100兆円規模だ。”企業の感覚”で国民が政府に予算を削ることを求め、政府が応じると、影響は日本国内の広い範囲に渡る。より具体的に書くと、政府の支出から所得を得ている無数の企業の所得が減少してしまう。
合成の誤謬
あるいは、政府が国内の労働者の実質賃金を引き下げる政策を講じると、”会社の外”の膨大な数の生産者の所得が減ってしまう。”膨大な数の生産者”は、”膨大な数の消費者”でもある。
実質賃金引き下げ政策で、人件費を削減することができた企業は一時的には喜ぶかもしれないが、何しろ自社の従業員のみならず”膨大な数の消費者”の所得が減少しているのだ。当然、消費者の所得減少を受け、売上や利益が激減する企業が続出する羽目になる。
無論、企業経営者が短期的な利益を追求した場合、人件費削減で利益を拡大することは可能だ。”ビジネス”という視点で見れば、人件費削減は正しい経営手法なのかも知れない。
ところが、ミクロ(個別)の企業にとって”所得(利益)”を増やす合理的な人件費削減が、国民経済というマクロに合成されると、中長期的には”全ての企業の売上が減る”という、実に非合理的な結果をもたらしてしまうのである。いわゆる、”合成の誤謬(ごびゅう)”が発生するわけだ。
緊縮財政の圧力をかける経営者たち
多くの経営者は、特に株主資本主義が蔓延した国の経営者は、視点が短期化する。自分たちは懸命に費用を削減し、利益を捻り出している以上、彼らにとって、財政赤字を積み重ねる政府は許されざる存在に思えてしまう。特に、長引くデフレで売上を増やしにくい環境下で、日々、苦労を続けるビジネスリーダーたちは、なおさらそう思ってしまうのだ。
というわけで、国民経済の”パイ”であるGDPが増えにくいデフレ期であるにもかかわらず、経営者たちは政府に対し、「政府はムダ遣いをやめろ。支出を切り詰め、増税し、財政を黒字化しろ」と、圧力をかける。
経営者たちの圧力を受け、実際に政府が増税や公務員削減、公共投資削減といった緊縮財政を実施すると、多くの国民の所得が減少し、企業の製品やサービスが売れにくくなる。製品やサービスが売れなくなると、業績が悪化した企業の経営者は、なおのこと費用の削減に苦しみ、財政赤字を増やす政府が許せなくなり、「政府はムダ遣いをやめろ」と、さらなる緊縮財政を要求する。話が、いつまでたっても終わらない。
企業と政府の目的の違い
結局のところ、ビジネスリーダーの多くが”企業の目的”と”政府の目的”を混同していることが問題なのだ。企業の目的は、利益の最大化である。それに対し、政府の目的は利益ではない。そもそも、政府とは中央政府にしても、地方自治体にしても、NPO(非営利団体)なのだ。
NPOは利益を目的としない団体である。とはいえ、もちろん利益以外の何らかの存在目的が存在する。政府の場合は、経世済民(けいせいさいみん)だ。経世済民とは、簡単にいうと「国民を豊かにするための政治を執り行うこと」になる。
日本政府の場合、国債が100%自国通貨建てで、かつ独自通貨国である以上、「国民を豊かにする」ためであれば、財政は赤字でも構わない。もちろん、黒字でも構わないわけだが、いずれにせよ財政の均衡は政府の目的ではない。目的はあくまで経世済民だ。
政府と企業とでは、目的が異なる。この当たり前の事実を、政治家や経営者たちが理解しない限り、現在の日本の経済政策の混乱が、終わりを迎える日は来ないだろう。
増税してデフレ脱却というのは無理な話
デフレ期とインフレ期は取るべき政策が全く別物であるべきだ。財政再建とデフレ脱却は相容れないもので、いま安倍政権が進めている増税してデフレ脱却というのはもともと無理な話。アクセルとブレーキを一緒に踏んでいるようなものだ。
デフレ下ではGDPが増えないのは三橋氏が言っている通りである。まずは国内の総支出を増やして、デフレを反転させることが重要だ。