日本人であれば、知らない人はまずいないと断言できるほどの知名度を誇る乳酸菌飲料「カルピス」。「カルピス」に対して人々が抱くイメージは、「小さい頃を思い出す」「夏に飲みたくなる」「青春っぽいCMが爽やか」と非常に良い。この抜群の知名度と好感度を獲得する上で、「カルピス」のプロモーション戦略が果たした役割は計り知れない。「カルピス」が誕生した1919年7月7日から100年を経た現在に至るまで、どのようなプロモーション活動が行われてきたか、その歴史に沿って見ていくことにしよう。
「カルピス」100年を記念してミュージアムがオープン
2019年は、「カルピス」が1919(大正8)年に発売されて以来、ちょうど100年を迎える区切りとなる年である。アサヒ飲料はその100周年を記念して、10月1日に群馬工場(群馬県館林市)に、「カルピス」の歴史や製造工程を知ることができる「カルピスみらいのミュージアム」をオープン。ミュージアムはオープン前から多くの人の注目を集めており、すでに年内は予約が定員に達している状況だという。
このミュージアムの中に、「カルピス」発売以来の主な広告やパッケージを展示した「カルピス100年ギャラリー」というコーナーがある。懐かしいポスターもあれば、見たこともないレトロな商品パッケージもある。自身の「カルピス」歴に照らし合わせると何かしら目に留まるものがあるはずだ。
実は「カルピス」のブランド価値の向上に、新聞広告や雑誌広告、ポスター、テレビCM、イベントといったプロモーション活動が果たしてきた役割は非常に大きい。「カルピス」というと、私たちの祖父母、あるいはその前の世代から、「爽やか」「健康的」「安心」「おいしい」「甘酸っぱい」といったイメージが定着しているが、こうしたイメージの醸成はプロモーションの力なくしてはあり得ないものだからだ。
人々を驚かせた「初恋の味」のキャッチコピー
今から100年前、乳酸菌が人々の健康にもたらす力に注目して研究を重ね、「カルピス」を世に出したのは、三島海雲(みしま かいうん)という人物である。海雲は「カルピス」の生みの親であると同時に、「カルピス」をより人々に認知してもらうために、プロモーションにも並々ならぬエネルギーを注いだ人である。
「カルピス」は当初、大瓶400mlが1円60銭で発売された。当時、ラムネ(約170ml)は8銭、牛乳(180ml)だったことから、金額だけを見ればかなり高価な飲み物といえた。そこで海雲は新聞広告を使って、濃縮飲料である「カルピス」は水で薄めて飲むので、実は経済的であることをアピール。その後も購入してもらいやすくするために、小瓶を発売するなどの工夫を重ねた。
そして発売から3年後の1922(大正11)年4月、海雲は新聞広告の中で、「カルピス」について「初恋の味」というキャッチコピーを初めて使用する。以降、「カルピス」といえば「初恋の味」が代名詞となった。
実はキャッチコピーに「初恋の味」を用いるのは、かなりの大胆な挑戦だった。というのも当時は「初恋」などという言葉は、社会の公序良俗を乱すものとして口にするのもはばかれる時代だったからである。
この言葉を使うように進言したのは、海雲の学生時代の後輩である驪木卓爾(こまき たくじ)という人物だった。「『カルピス』は子どもにも飲まれている。もし子どもから『初恋の味って何だ』と聞かれたら、どう答えたらいいんだ?」と戸惑う海雲に対して、驪木はこう答えたという。
「『カルピス』の味だと答えればいい。初恋とは清純で美しいものだ。それに初恋という言葉には人々の夢と希望と憧れがある」
これを聞いて、海雲も納得。「カルピス」の大胆なキャッチフレーズは、当時の人々に驚きを持って迎えられたが、やがて受け入れられていった。初恋に対して誰もが抱く清らかで甘酸っぱい憧れを、「カルピス」の甘酸っぱさと結びつけた秀逸なコピーといえた。
ヨーロッパの画家を支援するために懸賞募集を実施
さらに1923(大正12)年には、海雲はドイツやフランス、イタリアの芸術家を対象に、「カルピス広告用ポスター及図案懸賞募集」を実施。当時、ヨーロッパ諸国の中でもとりわけドイツは、第1次世界大戦での敗戦の痛手から立ち直れず、深刻なハイパーインフレに見舞われていた。中でも苦しい生活を強いられていたのが芸術家たちだった。そこで海雲はドイツをはじめとしたヨーロッパの芸術家を支援するために、懸賞付きで彼らからポスターや図案を募集することにしたのだ。
ただし海雲には、芸術家の支援以外にもう一つの狙いがあったと想像される。海雲は広告の制作において、洋画家の東郷青児、漫画家の岡本一平、デザイナーの杉浦非水など、常に一流の芸術家を起用してきた。そのため「カルピス」の広告は、いずれも見る者の目を奪う斬新なものとなった。そんななかで海雲は、懸賞募集で当選したヨーロッパの第一級の芸術家たちの作品を自社広告に用いることで、日本の商業広告の世界にさらなる革新を呼び込もうとしたのではないだろうか。
懸賞金は1等賞~3等賞にまで贈られ、いずれの作品も新聞広告や雑誌広告、ポスターなどに用いられた。この3つの作品のうち、「カルピス」のトレードマークとして採用されることになったのが、3等賞を受賞した黒人がおいしそうにカルピスを飲むイラストである(作者はオットー・デュンケルスビューラー)。このトレードマークは「黒人差別につながる」という批判を受けて1990(平成2)年1月に自主的に使用を中止するが、戦前から戦後の長い時期にわたって多くの人に愛されてきた。
なお、懸賞募集が行われた1923年は、関東大震災が起きた年でもある。海雲は社員とともに、震災翌日からカルピスキャラバン隊を結成。冷たい「カルピス」を被災者に配って回った。
ヨーロッパの芸術家を支援するための懸賞募集もそうだが、こうした社会貢献活動に力を注いだことも、人々のカルピスに対する信頼感を高める上でプラスに作用した。
CMに出演した国民的スターたち
終戦直後の物資不足の時代は、「カルピス」にとっても受難の時期だった。砂糖の不足により、甘さをつけるために人工甘味料や水あめを使わざるを得なかったからだ。そんななか、1949(昭和24)年に発売された水あめを甘味料とした特製「カルピス」に、今ではおなじみの白地に紺の水玉模様のパッケージが初めて使用されている。「カルピス」が持つ涼しげで爽やかなイメージに、非常にマッチしたデザインだった。なお、ようやく社会が落ち着きを取り戻し始めた1953(昭和28)年、「カルピス」も甘味料を従来の砂糖に戻している。
「カルピス」は1964年(昭和39)年には、一種の社会現象を巻き起こすようなキャンペーンを実施する。同年に開催予定だった東京オリンピックでの日本人選手の活躍を録音したソノシート(柔らかく薄いレコード盤のこと)を開催後に配布すると公表したところ、応募が殺到。当初予定した30万枚に加えて、新たに20万枚を追加で生産することになったのだ。
また、テレビCMについては、1959(昭和34)年から放映を開始した。起用した人物を見ると長嶋茂雄、吉永小百合、八千草薫など、そうそうたる顔ぶれが揃っている。高度経済成長期、国民的飲料として盤石の地位を築いていたカルピスは、CMにも国民的スターを起用したわけである。
一方、1991(平成3)年に発売された「カルピスウォーター」のCMには、デビューして間もない若手の女優やミュージシャンなどを現在に至るまで数多く起用している。「カルピス」を製造・販売するアサヒ飲料の担当者によれば、「『カルピスウォーター』は10代をメインターゲットにしているため、出演していただく方も若年層の共感を得られる若手の方が多くなっています」とのことだ。
歴代の出演者を見ると、内田有紀、長澤まさみ、川島海荷、能年玲奈(現・のん)、黒島結菜、永野芽郁といったように、確かに「カルピスウォーター」のイメージにぴったりの好感度が高く、みずみずしさを感じさせる女優がずらりと並んでいる。そしてその多くが、CM出演をきっかけに人気女優の階段を駆け上がっている。そのため今や「カルピスウォーター」のCMは、若手女優の登竜門となっている。
ちなみに「カルピス」に関するテレビ番組といえば、1970年代に少年少女時代を過ごした人にとっては忘れられないのが、カルピス1社提供で日曜日の夜に放映されていた「カルピスまんが劇場」や「カルピスこども劇場」だ。あのシリーズからは、『フランダースの犬』や『アルプスの少女ハイジ』など、今も語り継がれる名作アニメが次々と生み出されていった。
「カルピス」共通の価値を訴求することで危機を脱する
国民的飲料といわれてきた「カルピス」も、1990年代後半から2000年代半ばにかけては大きな曲がり角に来ていた。飲料の多様化が進むなかで、他の飲料との差別化が難しくなり、「カルピス」ブランド全体の売上が伸び悩んでいたからだ。この危機から脱するために、大きな力を発揮したのもやはりプロモーションだった。
「カルピス創業者の三島海雲は、『カルピス』が持つ[1]おいしいこと、[2]滋養になること、[3]安心感のあること、[4]経済的であることの4つの価値を訴求していくことを大切にしていました。ところが2000年代前半頃の『カルピス』は、おいしさばかりをアピールしており、『カルピス』が健康に良いことや、安心安全に飲める素材を使って作っていることを、お客様に伝えていくことをおろそかにしていました。そこで『カルピス』誕生から90年を迎えた2009年、もう一度原点に戻って、4つの価値をしっかりとお客様に訴求していこうということになったのです」(アサヒ飲料・担当者)
まず手がけたのが、「乳酸菌の自然の恵みから生まれました」というブランド共通価値コピーを、すべての商品のパッケージに記載することだった。また、多くの子どもたちに乳酸菌や発酵について知ってもらうために、小学校への出前授業「乳酸菌スクール」(現・「カルピス」こども乳酸菌研究所)をスタート。
テレビCMについても、「カルピス」ブランドとして大切にしている共通の価値を視聴者に訴求するための工夫を行った。商品のCMとは別に、ブランド共通のCMとして、「カルピス」の持っている“カラダにうれしい力”を訴求するCMや、「カルピス」のヒントとなった内モンゴルで飲まれている発酵乳を紹介するCMを投下し、改めて「カルピス」の健康価値を訴求した。「購買行動を促す各商品のCMだけでなく、ブランド共通のDNAを伝えることで、お客様とブランドの絆をより太いものにすることができたと考えています」と担当者は語る。
国民的飲料の条件
こうしたプロモーション活動を続けることによって、次第に「カルピス」は多くの人たちから、単なる「甘くて白い飲み物」ではなく、「おいしくて、しかも安心して飲める体に良い飲み物」と認知されるようになっていった。「カルピス」の100年の歴史は、まさにプロモーションの歴史でもあるのだ。
国民的飲料であり続けるための条件は、きっとおいしいことだけでは満たせない。信頼できる創業者の思いにたびたび立ち返りながら、新たな発見をし、それを時代に合わせて形を変え伝えてきたこと、それこそが「カルピス」が国民的飲料として100周年を迎えられた大きな理由ではないだろうか。
「カルピス」ブランドの出荷量は、近年最も落ち込んだ1998年以降は伸長傾向にあり、この10年で出荷量は液量換算で約1.5倍に増加。発売100年の今年、過去最高の出荷量を目指している。
コットン
まだじぶんでカルピスをつくれないくらい
小さい頃の思い出がありますね。
父親にカルピスつくってきて!って命令してました。嬉しそうにもってきてくれました。ヾ(・ω・ヾ)
父親との思い出があります。
2023.12.12 18:28
oumy
カルピス飲むと法事を思い出すなぁ。子どもにとって法事は非日常だけど、そこで飲んだカルピスだけがリアルだったのかも。
2019.10.24 09:24
すずき(政経電論編集)
イメージは絶対味に影響している。子どものころ飲んだなつかしさが今でもリフレインするもの。不思議な飲み物。
2019.10.21 21:04
BHH
黒人がカルピスを飲むイラストがトレードマークだったとか意外過ぎる。白と黒のコントラストが良かったのかな。
2019.10.21 17:46