コロナ禍でアルバイト収入を断たれた大学生の一定数が、経済的に困窮し退学を検討しているという報道がされた。政府は5月19日の閣議で困窮する大学生・大学院生に最大20万円を給付するとして「学生支援緊急給付金」を決定、約43万人が対象になると見込まれている。ただ、大学生に対する支援としては、4月からは高等教育の修学支援新制度が始まっており、また、全国民を対象とした10万円一律給付もある。さらに、多くの大学では学生に対し独自の補償を行うケースも見られており、果たして大学生の実情にあった支援になっているかという疑問がわく。
窮状を抜ける学生、混乱する大学の現場
「コロナ禍で困窮した学生向けの給付が大学独自であったのですが、条件の厳しさや申し込み期間の短さなどから定員に対し半分しか応募がなかったといいます」と語るのは、都内の女子大に通う大島さん(仮名)だ。大学では第2弾の給付も行うことが決まったらしく大学側の混乱を伺わせる。
「私はアルバイト先のバーがコロナ禍で休業してしまい、収入が断たれて困っていたので大変助かりました。飲食店などでアルバイトをする学生は多いですから、同じ状況の学生も多いと思いますね」と語る一方、「私のアルバイト先は5月中旬から再開したので、収入は元に戻りそうです。政府の緊急給付金はありがたいですが、今さら感があります……」と現在はさほどお金の心配はないそうだ。
政府の「学生支援緊急給付金」が早期に決まっていたら、独自の給付を作らなかった大学もあるだろう。現在、大学はオンライン授業の導入などに伴い特別な支出と手間がかかっている。政府の後手後手の対応が、大学の負担を増やしてしまった節もあるのではないか。
特に、現場の教員への負担は顕著だ。不慣れなオンライン授業の教材を作らなければならず、手当金があるわけでもない。また、大学の経営が悪化すれば、弱い立場にある非常勤講師は真っ先に首を切られてしまうだろう。研究者の重要な食い扶持である非常勤講師が職を失うことは、国の研究力を低下させ、ひいては大学の教育レベルも下げてしまう。今、国が手を差し伸べるべきなのは「学生」よりも「大学」なのではないかと感じる。
そもそもの問題は大学の資金不足
そもそも、日本の大学は海外に比べ資金が不足しているといわれている。2004年に国立大学が法人化して以降、国立大の運営費交付金や施設整備費は年々減少。元東京大学総長で当時の文科大臣・有馬朗人氏は日経ビジネスの取材で「資金不足から教員数や研究力が低下した。国立大法人化は失敗だった」と認めている。また、私学においても教育研究の高度化が求められるなか、経費全体において国からの補助金である私学助成(私立大学等経常費補助金)が占める割合は減少を続け経営は悪化の一途を辿る。
これらの影響も大きく、大学の学費は高騰を続けている。ここ半世紀で、物価上昇は2倍程度なのに対して学費は国立で約15倍、私立で約5倍にも増加。2018年の授業料は国立大で約50万円、私立大で約90万円にも及んだ。
コロナ禍で学生の窮状が目立った背景には、学費高騰によって元から学生の経済事情が悪化していたことが大きい。就職活動の長期化や授業時間の増加も学生がアルバイトに使う時間を減らし、これに拍車をかけている。
政府が出した給付金は困窮する学生を一時的に助けることにはつながるだろう。しかし、資金不足のなかで学生の支援や授業のオンライン化などに追われる大学こそ、継続的な支援を必要としている。大学にお金が回らなければ、そのツケは学費という形で学生に回ってくる。
日本の教育機関への公的支出の割合はOECD加盟国で最下位だ。そもそも、平時から教育機関や学生にお金の余裕がないのだから、緊急事態に自力で対応できないのも無理はない。学生や大学が困っているのは“コロナ禍だから”だけではないのだ。
高等教育や研究の質の低下は、将来的に、確実に日本を衰退させる。政府は授業料を減免した大学に助成金を支給することを決めたが、充分な支援とは思えない。大学へのさらなる援助はもちろん、この機会に大学教育への公的支出を増やしていくことで根本的解決につなげるべきだ。