停戦条件にプーチンがゼレンスキーに迫る「非武装・中立」とは

トルコで4回目の停戦協議(3月29日) 写真:Abaca/アフロ

政治

停戦条件にプーチンがゼレンスキーに迫る「非武装・中立」とは

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ロシア・ウクライナ戦争は戦闘の激化・長期化の様相を見せるが、一方でロシア、ウクライナ両国は停戦に向けた協議を継続し“落としどころ”を模索。侵略の手を緩めないロシアは絶対条件として「非武装・中立」を主張、一部報道によればスウェーデンやオーストリアのような中立国の体制を想定しているともいわれ、また、“軍隊を保有しながらも非武装”(?)をイメージしているとも。ただ、中立といっても実態は国の事情や歴史によってさまざま。今回の戦争で既存の中立国も変化しつつある。

そもそも「中立国」とは何か

“非武装の軍隊”とは禅問答的で矛盾にも思えるが、それ以前にスウェーデンやオーストリアは“武装した”軍隊を持ち、しかも前者はかなりの重武装。ロシア側は警察程度の軽武装なら許容するつもりなのか、あるいは拳銃の所持すら認めず、軍楽隊や土木建築を担う工兵部隊、軍医など丸腰の非戦闘部隊だけからなる軍隊を想定しているのか理解に苦しむ。

ロシア、ウクライナ両国の主張は平行線のままだが、一方で「中立的地位について交渉の余地あり」と歩み寄りの兆しも見せている。そもそも国際的に「中立国」とは何か。端的に言えば、どの陣営にも組みしないと宣言した国で、ニュアンス的には非同盟国にも近い。戦争を回避し独立を守るための手段として古今東西主として中小国が採用するが、そのスタンスは千差万別。

スイスが永世中立国から決別!?

真っ先に浮かぶのが「永世中立国」のスイスだが、これは読んで字のごとく“未来永劫中立”ということ。国際法的には、自衛戦争を除き他国に戦争を仕掛けない、他国の戦争に参戦しない、戦争中の国に協力・支援しない(伝統的中立)、他国と軍事・安全保障の条約・協定を結ばない、外国に基地を提供しない、中立を保持するため軍隊を持ち独立と自国領土を守る(専守防衛)――など多くの要件を満たし、その上で中立であることを憲法で謳ったり複数の主要国から認可されたりしなければ、国際社会では永世中立国とは見なされない。

翻ってスイスは国際社会から認められた数少ない永世中立国の一つでその歴史は古い。

18世紀終わりのフランス革命やその後のナポレオン戦争(1815年にフランスが事実上敗退し終結)で欧州は混乱。国際秩序を取り戻そうと、イギリス、フランス、オーストリア、プロイセン(後のドイツ)、ロシアの欧州5大国は勢力均衡(パワー・オブ・バランス)による平和維持を表明、目玉として1805年のウイーン会議で各国の角逐(かくちく)の場となっていた中立国のスイスを改めて「永世中立」として定義、スイス自身にも受諾させ、事実上の「緩衝国」(対峙する2つの大国の間でスペーサーのように中立を守って独立を維持する国)になるのと引き替えに、5大国が同国の安全を保障する、というスキームを築いた。

つまり現在でもこの効力は有効のはずで、スイスが他国の攻撃を受けた場合は、英仏、そしておそらくドイツやロシアもスイスを守らなければならない義務がある。

また、スイスは永世中立を死守するため重武装の軍事力を保有、平時の総兵力は2万人ほどだが、有事になると兵役適格者300万人以上が武器を手にするという国民皆兵のお国柄。武装中立の信念は筋金入りで、第2次大戦時は、ドイツ軍はもちろん米英軍機の領空侵犯に対しても戦闘機で容赦なく迎撃、相当数の連合軍機を撃墜した。

強力な軍事力を持つスイス軍のレオパルト2戦車(スイス国防省)

安全保障上の中立を徹底するため最近まで国連の未加盟も貫いていた。国連はいわば安全保障を主軸に置いた究極の国際組織で、安全保障理事会の決定による国連軍結成など軍事作戦への参加も求められる場面もあることから「永世中立にはなじまない」と加盟を拒否。ただ、冷戦終結で国際社会が激変、柔軟に対応しなければ逆に孤立するとの危機感から、2002年に国連加盟を決意。加えて今回のロシア・ウクライナ戦争では欧米の要請に応じる形でロシアの指導者らの個人資産の凍結を実施したため、一部では「伝統的な永世中立からの決別」と懸念の声も上がるなど大きな岐路に差し掛かっている。

主要国の安全保障義務のないオーストリア

オーストリアも永世中立国だがスイスとは少々勝手が違う。第2次大戦後、戦勝国の米英仏ソの4カ国はドイツを分割占領、ドイツに併合されていたオーストリアも本国から切り離し同じく4カ国が共同統治するが、東西対立の激化でドイツは東西に分離。

オーストリアはこの悲劇を避けるため1955年に同国議会が永世中立を憲法に明記、同時に4カ国など主要国にも理解を求め、最終的に各国と個別に公文書を交換、オーストリアの永世中立を尊重する立場を明確にするに至る。ただし、スイスのように各国が安全保障で義務を負っているわけではない。

また、残虐なナチス・ドイツ軍の復活阻止という理由からか、軍備に対しては4カ国の厳しいチェックが存在。冷戦時代はいかなる誘導兵器(ミサイル)の保有も禁止だった。冷戦終結後は多少緩和されたものの、対戦車ミサイルや戦闘機が装備する対空ミサイル止まり。防空の要として今ではごく一般的な長射程の地対空ミサイルの装備は不可の模様で、いまだに対空機関砲や歩兵が携帯する短距離対空ミサイルに甘んじている。

対外関係についてもスイスとはだいぶ異なり、1955年に独立復帰を果たすと早々と国連に加盟、PKO(平和維持活動)にも早くから積極参画。冷戦終焉後の1995年にはEUにも加盟する。

ちなみにEUは経済連合ではあるものの、近年では“安全保障連合体”の性格を濃くしており、共通安全保障防衛政策(CSDP)に基づいた〝“EU軍”の創設も模索。このためオーストリアの永世中立はもはや有名無実、との指摘も。

このほか、永世中立国の新顔として、1995年の国連総会でその地位が認められたトルクメニスタンがあり、国際社会から正式に認められた永世中立国は現在この3カ国のみ。

西側化を鮮明にするスウェーデン、フィンランド

これに対し、一般的な「中立国」の場合は、厳格な要件をクリアしなければならない「永世中立国」とは違い、早い話自分が一方的に中立国を宣言すればよく、実際こうした事例は少なくない。後は日頃の行いや、国際平和に対する貢献度などでその国の中立国としての国際的信用度は自ずと決まってくる。

スウェーデンは国際的に中立国としての信用度が極めて高い国の一つだが、憲法で中立国を明示しているわけではなく、また、複数の主要国との間で条約を結んで中立を保障しているわけでもない。冷戦時は中立国でありながら積極的外交政策を展開、1960年のコンゴ動乱では国連軍(ONUC)の主軸としてPKO部隊を派遣、空軍の戦闘機まで動員して反乱軍側を攻撃している。

冷戦終結後は仮想敵のソ連が消滅、中立の意義が薄れたことから急激に西側シフトを加速、1994年にNATO(北大西洋条約機構)の“協賛メンバー”的存在となる「平和のためのパートナーシップ」(PfP)に加盟したのを皮切りに、翌1995年にはEUに加盟、さらにNATOの「ホスト・ネーション・サポート」(HNS=受け入れ支援国。NATO軍の国内移動や基地提供で協力)も表明。このたびのロシアによるウクライナ侵攻後はNATO加盟を臨む国民が半数を超えるなど、すでに同国は国際社会では中立国というよりは「NATO準加盟国」と見なされているといっても過言ではない。

NATO軍とスウェーデン軍は頻繁に共同訓練を行っている。訓練時にスウェーデン軍装備の同国製携帯式低空ミサイルRB70を試すアメリカ軍兵士 写真:米陸軍

また、特異な中立国としてはフィンランドが挙げられる。第2次大戦中に版図拡大に躍起のソ連・スターリン政権は隣国のフィンランドに侵攻、領土を割譲した上、大戦終結後は友好協力相互援助条約の締結を強要、資本主義体制や議会民主制は認めるが、実際の政治・軍事はソ連の監視下に入り、反ソ活動・言論の禁止など事実上のソ連の属国化を強いられた。いわゆる「フィンランド化」といわれる状態だ。

1991年のソ連崩壊後、フィンランドはこの体制をかなぐり捨てて一気に西側へと傾注、1995年にはスウェーデンやオーストリアとともにEU加盟を果たすほか、スウェーデンと同様NATOとの協力体制も強化。ロシアのウクライナ侵攻に対応するためNATO加盟の意思を表明、中立国からの決別を鮮明にしつつある。

このように中立国といっても多種多様。ロシアのプーチン大統領の落としどころは、どうやらウクライナの「フィンランド化」ではないか、との説も。ただし牙を抜かれたような中立国案にウクライナのゼレンスキー大統領は首を縦に振るとは考えにくく、まだまだ紛糾しそうだ。