マスクはいつ外せるか withコロナを改めて考える

写真:つのだよしお/アフロ

マスクはいつ外せるか withコロナを改めて考える

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日本では6月21日現在、どの都道府県でも緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が発令されていない。東京では2022年2月に2万人を超えていた新型コロナウイルスの感染者数は直近1000人台へ減少し、週末の人出も週を追うごとに増加。これからのwithコロナの世界においての国民の関心事は感染対策から、マスクがいつとれるのか? ワクチンの4回目は接種するべきなのか? といった点に移行している。政府の新型コロナウイルス対策におけるアドバイザリー・ボード メンバーであり、神奈川県独自の医療体制「神奈川モデル」を構築した、神奈川県医療危機対策統括官、阿南英明氏に話を聞いた。

 医師

阿南英明 あなん ひであき

1965年生まれ。新潟大学医学部医学科卒業。横浜市立大学救命救急センターなどを経て2019年4月に藤沢市民病院副院長、2020年4月に神奈川県健康医療局技監(医療危機対策統括官)に就任。プリンセスダイヤモンド号の感染対策で陣頭指揮をとったほか、神奈川県では独自の医療提供体制「神奈川モデル」を構築した。厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリー・ボード構成員も務める。救急医学、災害医学を専門。著書に『これだけ! DMAT丸わかり超ガイド』(中外医学社)、『救急・ICU患者の ME機器からみた 呼吸・循環管理』(メディカ出版)など。

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エンデミックに向かう新型コロナウイルス、再度強毒化する可能性も?

日本では落ち着き見せている新型コロナウイルスのオミクロン株だが、阿南英明氏はメディアなどであえて「オミクロン病」と呼んだ。

「医者としては正しくないのはわかっていますが、概念転換のためです。これまでの新型コロナウイルスとは違うイメージを持ってほしいという思いからです」(阿南氏、以下同)

確かにオミクロン株は、過去の新型コロナウイルスと比べて感染力は強いが重症化はしにくく、ワクチンや治療薬も揃ってきた。このままエンデミック(一定期間に流行する感染症)に向かっていくように見受けられるものの、再度変異して強毒化する可能性はあるだろうか。

「理論上はありえます。過去のウイルスは弱毒化していったケースが多かった一方、天然痘など弱毒化しなかったウイルスや強毒化したものもあります」

日本における新型コロナとの闘いは、病床のひっ迫という波が来るたびに大きな問題となってきた。大阪府は対策として2021年9月に約80億円をかけて「大阪コロナ大規模医療・療養センター」を作った(稼働は2022年1月~)が、使用率は低く2022年5月末に閉鎖。主に無症状・軽症患者の受け入れを想定したものだったが、実際には高齢者が重症化するケースが多く、結果的に誤算だったといえる。

阿南氏は2021年11月に新型コロナウイルス感染症対策分科会に“野戦病院”的な施設の安易な設置に否定的な見解を資料として提出。行政主導による医療ひっ迫解消の難しさを以下のように語る。

「病院は統制のとれた組織として運用していかないと適切な医療が展開できません。さまざまな病態に応じられる体制とともに医療事故を回避する仕組みやルールが欠かせないのです。この仕組みやルールは組織ごとに異なります。ですので、神奈川県は、いくつかの医療法人に依頼し、その組織のルールの下で責任をもって医療をしてもらう臨時の医療施設を2020年5月から運用してきました」

つまり、異なる仕組みで働いてきた医療従事者たちが、にわか作りの新施設に集められてもうまく機能しないということだ。また、病床ひっ迫に対する対応は、医療機関の偏在問題への対策としても考えるべきだ。

「『神奈川モデル』では制度上、わざと偏在させるように作りました。今までも少しずつ対応医療機関を拡大してきましたが、今後さらに変えてもよいと思っています。通常の医療に落とし込めるチャンスでもあるのです」

写真:武田信晃

緩和と引き締めの柔軟性を持つ体制を

感染状況が比較的落ち着いている今、将来に向けてどういったことをするべきなのか?

「例えば、新型コロナで亡くなられた方の搬送・葬儀・火葬に関するガイドラインの見直しは、その一つだと思います。亡くなるときにそばで立ち会えないことや、お葬式もほとんど行われていない状況は適切とはいえないからです。ほかにも、今は限られた病院で新型コロナ診療をしていますが、どのようにすれば一般外来で診療できるようになるのか、もっと簡略な防護で対応できるのではないか、陽性だった人でも最低限の外出や公共交通機関利用を可能にできないのかなども、検討に値する時期です」

日本はwithコロナへとシフトしているが、その歩みは世界と比べると遅い。感染状況と人々の行動の間でアンバランスが生じているのではないか。

「身構えるのはいいことですが、2年間行ってきたやり方をただ維持するというのでは、社会がもちません。また、社会がもたないことをするのは“政策”ではありません。国民がやれることを体制化して落とし込むのが行政です。今後はオミクロン株を前提にどういう体制にするのかの話し合いになりますが、個人的には、単に厳しい感染対策ではなく、濃厚接触者や自宅療養のルールを大きく変える意義があると考えます。多くの人にとって今までの対応では厳しすぎて受け入れ難いでしょう」

筆者が感じるのは、日本人は心のどこかに「経済は回したいけど、感染はゼロにしたい」という夢のような願望があるのではないか、ということだ。

「感染防止と社会経済活動を回すのは二律背反とまではいかないですが、社会の活動が活発化すれば感染者数はどうしても増える傾向にあります。この『感染者が増えるかも』という事実を日本人は受け止め、どこかで折り合いをつけられるかが肝になるでしょう」

イギリスは2022年2月に新型コロナ規制を全廃した。つまり、経済や社会を回す代わりに感染者数の増加を受け入れるということだ。

「ここには価値観というものも入っていますが『そこを含めて一度考えみませんか?』と皆さんに問いかけたい。新型コロナ対応で一人も取り残さないという考えは重要です。しかし、一人の感染者も許さないために皆で我慢するのか、重症化対策はしっかりしつつ一定程度、感染者が出ることを受容するのか……。国の大きな方針に対するアドバイスを行うという仕事の中で、専門家として国民が望んだことに対する最適な医療体制とは何なのかを考えています」

阿南氏は、最終的にどうしたいのかは専門家が判断するのではなく、国民を代表する政治が判断すべきだと言う。今後、感染の拡大がなければ、徐々に規制を緩めていく方向になるだろう。

「6月から一日あたりの入国者の上限も2万人に引き上げられ、そこにはインバウンドも入ってくるでしょう。社会とは、経済社会を意味するので、経済を回せるようにしないといけません。教育の停滞も大きな問題です。ただ、万が一毒性の高い変異株が出た場合は、キュッと緊急時の防疫体制に戻せるようにするべきです。私個人としては、今後も今のように死亡率が低く感染者も増えるだけだった場合、いかに社会活動を展開するのか、いかに新型コロナ診療を日常医療の中に溶け込ませるのかを真剣に探っていくべきだと思います」

マスクはいつ外せるか

新型コロナウイルス感染症の日常的な感染対策となったマスクについて、欧米はマスク着用を法制化したため、解除すればいつでも外すことができ、すでにマスクなしの生活が始まっている国も多い。一方、日本は法制化されていないにもかかわらず、今でも自主的にマスクをしっかりと着けている。

「日本は世界でも特殊で、コロナ禍前からマスクをする習慣がありました。それが法による縛りなしでも皆がマスクを着け、感染拡大を世界に比べて抑え込むことができた理由の一つでしょう。とはいえ、もともと『感染リスクの高いところではマスクを着けましょう。屋外の人がいないところではマスクをしなくてもいいです』と言ってきましたので、改めて周知するのがいいでしょう」

日本社会特有の同調圧力で着用している面があると思うが……。

「マスクをしていないとジロッと見られるから着用しているというのはあるでしょう。今はあらゆる場所に『外出する際はマスクを着用し~』という言葉が掲げられていますが、『外出する際はマスクを持っていくようにし~』に変えて、必要な場所でだけマスクをしてもらうのがいいでしょう」

5月下旬からはワクチンの4回目接種も始まっている。この辺りはイスラエルをはじめとする海外の事例を参考にしているが、マスクについても同様に、海外のマスクを着けていない人々の様子を目の当たりするにつれて「そろそろ外してもいいのかも」という意識になっていくのだろう。

日本の“健康安全保障”の見直しを

海外の防疫対策の事例で日本に応用できそうな政策があるだろうか。

「それぞれの国の事情があるので、個々の政策レベルでそうしたものはありません。ただ、もっと大きな視点では“健康安全保障”の問題だと思っています。コロナ禍当初、日本ではマスクが不足し、国産ワクチン開発も時間がかかっています。いま塩野義製薬が頑張ってはいますが、直接的な治験の応援を国や自治体はできません。なぜなら、国、県などの行政による一企業への公的な援助になってしまうからです。果たしてそれでいいのか? ということです。公平性の維持のためなのに、実情は国民の健康を守る施策ができないということです。ほかにも、医療提供体制、情報の取得など国家戦略として健康安全保障の体制をどうするのかを考えるべきです」

現行の体制に警鐘を唱える阿南氏は、その政策策定の問題の一つとして無謬性を挙げる。

「政策立案者・決定者は、方針転換すると国民から何か言われるのでは……ということを恐れています。私はコロナの対応を都度変えてきましたが、『変えましたか?』と聞かれたら堂々と『ウイルスが変化したから変えました』と答えました。風の流れをつかみ、スピードが必要だからです。状況に応じて変える、つまり朝令暮改でいいのです」

2類→5類になるときが事実上の終息宣言か

新型コロナですっかり定着したのが「エビデンス」という言葉だ。ウイルスの性質、ワクチンの効果等々、コロナ禍初期の報道でもたびたび注目された。

「すべてにエビデンスがあるというのは妄想です。特に医学の世界ではエビデンスのないことはたくさんあります。しかし、エビデンスはなくとも、意思決定をし、治療をしていくのです。こうした判断は、新型コロナウイルス感染症のような健康危機事態に対する国家的施策では重要な意思決定プロセスです。エビデンスがないからこそ、専門家がああだこうだ言いながら進めていけるのです。もちろんエビデンスがあれば利用しますが、患者を救わなければいけないのに、エビデンスがないから判断をしないということはありません」

命を扱う最前線であれば必ずしもエビデンスありきではないことを阿南氏は教えている。

2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)のときは、終息宣言が出された。新型コロナはインフルエンザのように消滅することが期待できないだけに終息宣言はまずない。そんな環境下で、私たちの生活はどのように通常に戻っていくのだろうか?

「SARSは謎の消滅をしたこともあり終息宣言が出ました。世の中がインフルエンザでは大騒ぎをしないように、ウイルスと折り合いをつけた社会状況を作れたら、新型コロナウイルス(Covid-19)が消えなくても宣言はできるのかもしれません。例えば、2類(※)から5類に変更したときはひとつの終息宣言ではないかと考えています。以前のように普通に医療機関に行ける代わりに、ウイルスの特性の変化を監視する体制づくりをしておく必要はあるでしょう」

※新型コロナウイルスは当初感染症法上の2類に分類され、2021年2月の法改正で新型インフルエンザ等感染症に指定。「2類相当」とされている。

宣言がなくとも分類を下げた時点で事実上の終息という考えが腑に落ちる。分類の変更が先か、人々がマスクを外すのが先か。いずれにしても、日本もそろそろ“コロナ禍モード”から脱しなければさまざまな面で海外から遅れをとることは必至だ。