小田急電鉄が開発を推進してきた「下北線路街」が、下北沢駅南西口にある最終開発エリア「NANSEI PLUS」の完成をもって2022年5月28日に全面開業。地域住民に何度もヒアリングを重ねつつ、世田谷区とも連携して生まれたという新しい“シモキタ”の形、そして完成後も続くという“支援型開発”とは?
「下北線路街」構想のきっかけは東日本大震災
「下北線路街」は東北沢駅から世田谷代田駅までの路線が2013年に地下化したことに伴い、開発された線路跡地約1.7kmのエリアの総称。2016年2月に開業したテラスハウス「リージア代田テラス」を皮切りに施設が順次オープン。計13施設で構成されている。
エリア内は豊かな植栽が広がる広場「ののはら」や“自由な遊び場”としてイベントなども開催できる「下北線路街 空き地」、洗練された個店が集まる次世代型の商業ゾーン「reload(リロード)」、風情豊かな温泉旅館「由縁別邸 代田」など“シモキタ”らしい多様性に富んだ施設が点在している。ほかにも世田谷区によって整備された遊歩道や広場などもあり、回遊性も高い。
最後に完成した「NANSEI PLUS」内にあるミニシアター「K2」で行われたお披露目会では世田谷区・保坂展人区長が現在の形になる経緯を明かした。線路街の開発については小田急電鉄との間で長い間検討や議論があったといい、2011年に起きた東日本大震災は街作りを見直すきっかけになったという。
「東日本大震災のような大きな災害はいつ何時襲ってこないとも限りません。当時、世田谷区と小田急さんの間で『大体このぐらいでいこう』という絵を描いていましたが、改めて“防災と緑”ということで『世田谷区側で絵を描き直したい』と要望を出して小田急さんから快諾をいただきました」(保坂区長)
その結果、2013年11月に当時の小田急の山木利満社長と世田谷区で、小田急の施設と世田谷区の作る通路や公園が混じり合うゾーニングについての合意を締結。ほかにも100~150人が参加し、約8年続いた「北沢デザイン会議」などで住民の声を聞きながらデザインに反映させていったという。
「『下北線路街』は下北沢の雑居性や何が出てくるかわからない路地文化、さまざまな価値が混ざり合いつつもオープンな空気感をしっかりつかみつつ、新しい価値を投げ返して互いに化学反応が起きるようなデザインになったと思います」(保坂区長)
「下北線路街」の誕生とともに生まれた3つの利点
下北沢で生まれ育ったという下北沢商店連合会・柏雅康会長は「下北線路街」の誕生で素晴らしい点が3つあったという。1つ目は線路が地下化されたことで、これまで線路によって分断されていた街の南側と北側が一体化したこと。
「地下化されてまだ数年しか経っていませんが、これが今までの景色だったかなというぐらい街がひとつになりました」(柏会長)
2つめは線路街によって動線が広がり、可能性が広がったことだという。
「下北沢は個性的な店が多い街ですが、今回、個性豊かな施設を多く作ってもらったのは下北沢の特徴と素晴らしくマッチした開発でした。1.7kmという空間も魅力的な施設がそろったことで動線が広がり、今まで行かなかったお店も、散策することで新たに発見できる機会が増えたと思います。また、散歩空間が増えたということは子育てができる環境も広がるということ。これまで下北沢は子育て世代が少なかったが、今後はそういった方も増えていくかなと期待しています」(柏会長)
3つめは「下北線路街」が下北沢商店連合会に加わったことだという。
「今年3月に開業した新街区『ミカン下北』の開発をした京王電鉄さんにも加わってもらいましたが、今まで鉄道会社と商店会は業種が違うこともあって、ひとつのチームではありませんでした。これからは小田急さんもわれわれもひとつのチームとして地域の発展のための取り組みができると思います。今後、もっともっと素晴らしい街にしていきたいです」(柏会長)
単なるハコ物開発に終わらない、新しい“支援型開発”
小田急電鉄の星野晃司社長もまた下北沢の開発はこれからが本番でスタートラインだと語る。
「完成したら終わりということではなくて、末永く地元の方々と協力しながら、さらに下北沢エリアを魅力的に成長させていく。これこそがわれわれがテーマとして掲げた『支援型開発』の神髄です」(星野社長)
星野社長によると、支援型開発のために開業後も常に連携が取れるように小田急の活動拠点を「NANSEI PLUS」内に設置。住民側の強い要望によって生まれたという「ののはら」などの緑地は地元のコミュニティ「シモキタ園藝部」が担うなど、今後も地域と連携しながら共創・コラボレーションを通じてイベントや新しい事業を進めていくという。
「われわれの活動は下北線路街だけにとどまらず、世田谷区や地域の方々、京王電鉄さんとも一緒にワンチームとなって、下北沢の持つ多様性という魅力をさらに引き出して後世に伝えていきたいと思っています」(星野社長)
とはいえ、開発当初は「下北線路街」も従来型の“ハコ物開発”の発想だったそうで、それが支援型開発に転換したのは、「いつものようなハコ物を作ってもうまくいくのか」という思いがあったためだという。
「われわれはどうしても独りよがりになりがち。そこで改めて地元にはなくて、地元の個性を潰さないものはなんだろうというところから始めました」(星野社長)
その結果、生まれたものが居住型教育施設としての学生寮「SHIMOKITA COLLEGE」や個人商店を応援する住宅と店舗を一体化した施設「BONUS TRACK」などだ。
「おそらく、今までの下北沢の魅力にプラスアルファした違う個性が生まれたと思います」(星野社長)
支援型開発が実を結んだのか、星野社長によると小田急は2021年比で4月の輸送人員が全線平均でプラス11%増加したが、中でも下北沢駅はプラス17%と抜きん出ていたという。
新たな地域価値創造へ
小田急はこれまで、「下北線路街に」約90億円を投資。当初はインバウンドにも期待していたというが、コロナ禍によって現在インバウンド収入は「ほぼない」という状態。とはいえ、温泉旅館「由縁別」邸 代田」が現在は稼働率70~80%程度まで回復するなど、国内需要の反響は増えつつある。さらに全国からさまざまな企業などが支援型開発に興味を示し、下北線路街の視察に訪れるなど勇気づけられることもあったという。
「『下北線路街』の開発ではいろいろな要望をしっかり受け止めるために、地元とのヒアリングを重ねて信頼関係を構築していきました。これからの開発というのは、そういうことなんだろうと感じます。地域と密着して、地域の価値を上げることがわれわれの思いだとしたら“支援型開発”というのがこれからの小田急が手掛ける開発のやり方だろうと思います」(星野社長)
さらに今後は大きな目標として、ほかの街でも街作りを進めていきたいと星野社長は語る。「例えば、小田原、箱根は観光地ですが、ワーケーションなどの切り口も考えられます。そこにも支援型開発のエッセンスを取り込もうと思っています」(星野社長)
「下北線路街」の開発からヒントを得た支援型開発を今後、小田急がどのように活用していくのか期待だ。