岸田政権の「増税」策に注目が集まっている。防衛力強化に向けた財源確保策、いわゆる防衛増税については、世論の反発を踏まえて開始時期を「2024年度以降の適切な時期」から1年先送りできるよう方針を修正。一方で、“サラリーマン”を対象とした増税に着手するとの見方が強まっている。ただ、岸田文雄首相は“サラリーマン増税”と世間で騒がれ始めた途端に日和見姿勢を見せており、増税政策は今後、迷走する可能性が高まっている。
選挙を見据えて、防衛増税は1年先送り
「2025年以降の然るべき時期とすることも可能となるよう税外収入の上積みやその他の追加収入を含めた取組の状況を踏まえ、柔軟に判断する」。政府は防衛増税の開始時期について、6月30日に閣議決定した経済財政運営の指針、いわゆる“骨太の方針”にこう記した。これまでは「2024年以降の適切な時期」としていたが、与党内の要望を受けて1年先送りできるようにした格好だ。
もともと「2024年以降」なのだから2025年でも2026年でもいいわけだが、あえて「2025年以降」と明記したのは世論の反発を恐れたからに違いない。2024年から実施すると今年の年末に決める税制大綱に盛り込まなければならないが、そうなると今秋や来春の早期解散が難しくなる。とりあえず先送りしておいてその間に衆院総選挙を行い、選挙後にしれっと増税を実施すればいい、というのが多くの与党議員の本音だろう。
防衛増税に代わる“サラリーマン増税”
防衛増税に代わって、ネットをざわつかせているのが“サラリーマン増税”なるキーワードだ。きっかけは政府税制調査会(税調)が2023年6月に取りまとめた答申。「わが国税制の現状と課題―令和時代の構造変化と税制のあり方―」と題した261ページに及ぶ論文には、企業に勤める会社員をターゲットにした増税を示唆する文言が並んでいる。
曰く「給与所得控除は相当手厚い仕組みとなっている」、曰く「(退職所得控除は)支給形態や労働市場における様々な動向に応じて、税制上も対応を検討する必要が生じてきている」、曰く「公平・中立な税制を構築する観点から、配偶者控除・配偶者特別控除のあり方についても検討する必要がある」などだ。
答申は、岸田文雄首相の諮問に対する専門家からの回答という位置づけだが、実際には時の政権の意向が反映されるのが通例。岸田首相は財政規律を重視する「財政再建論者」とされており、首相の思いを汲んで文書にしたのがこの答申と言える。政府が同時期にまとめた“骨太の方針”にも「退職所得課税制度の見直しを行う」と明記された。
退職金から通勤手当、生命保険控除、食事の支給まで課税の見直しか
現状、退職金への課税は支給額から控除額を引いた額の2分の1が対象となり、控除額は勤続20年までは年40万円、20年を超えると年70万円となる。控除額は、同じ会社に20年務めると800万円だが、30年だと1500万円、40年では2200万円と急増する仕組みになっている。総務省の統計によると、大学や大学院を卒業した人が勤続20年以上かつ45歳以上で定年退職した際に受け取る退職金の平均額は約2000万円なので、定年まで勤めればほとんど税金はかからない計算だ。
しかし、政府は終身雇用を前提としたこの制度が、デジタル産業など成長分野への労働力移動の弊害になっていると判断。見直しに着手する方針を打ち出したが、すでに同じ会社に長く勤めている中高年の会社員にとっては大幅な増税となる可能性があるだけに制度設計は簡単ではない。そもそも、退職金制度とは関係なく、若者を中心に雇用の流動化は現実に進んでおり、税制の改正によって政策誘導する必要があるのかどうかも疑わしい。
給与所得控除や配偶者控除も同じで、現状制度を前提に生活を組み立てている国民がたくさんいる。税調の答申では通勤手当や生命保険控除、食事の支給といった現物支給まで課税制度の見直し対象にあげられているが、「取りやすいところから取る」という財務省の論理に基づいているようにも見える。
時代の変遷とともに制度を見直していくことは必要だが、国民の間に不公平が生まれないように配慮が欠かせない。永田町では「岸田政権は財務省のいいなり」との評も多いことから注意する必要がある。
首相サイドは“サラリーマン増税”は否定も増税自体には含み
「“サラリーマン増税”うんぬんといった報道があるが、全く自分は考えていない」。岸田首相は7月25日に自民党の宮沢洋一税制調査会長と首相官邸で会談し、こう強調したという。通常、首相の詳細な会話を漏らすのはご法度だが、あえて公表したのは“サラリーマン増税”の火消しを図りたいという首相側の意図が働いたからだろう。報道によると首相官邸は財務省に「“サラリーマン増税”を検討しているという印象を打ち消してほしい」という意向を伝えたという。
しかし、政権の広報役である松野博一官房長官は首相発言の翌日、こう軌道修正した。「サラリーマンを狙い撃ちにした増税は行わない」。増税そのものを否定していないという意味で、あらゆる政策の可能性を残した格好だが、余計に政権の迷走ぶりを印象付ける結果となった。
岸田首相は安倍晋三元首相のような長期政権を目指しているとされるが、長く政権を維持するには負担の議論は避けて通れない。「聞く力」だけでなく、「決める力」が今後、求められそうだ。