「わあ、ここが5人の部屋だよ」「かっこいいね」――。トーハクこと東京国立博物館の展示室は、観客の抑えた感嘆の声やため息に満ちた。特別展「はにわ」の目玉である5体の「挂甲の武人」に、車いすに乗った人や白杖を持った人も含め、観客が自分のペースで向き合う。この日は、実は博物館の休館日。博物館と三菱商事が共催した「障がいのある方のための特別鑑賞会」の一幕だ。
ボランティアのサポートで安全・安心な鑑賞環境を
三菱商事と東京国立博物館は11月11日、「障がいのある方のための特別鑑賞会」を開催した。東京国立博物館で開催していた特別展「はにわ」を、事前に申し込んだ障がいのある方と付き添い者が、当日14時から16時まで鑑賞できるイベントだ。博物館の研究員による約15分間の見どころ解説付き。
鑑賞会は、博物館のスタッフと共に、三菱商事の社員ボランティアが受付や案内誘導など、イベントの運営を補助して行われた。同社はこのような取り組みを約20年にわたって続けている。また、東京国立博物館も“誰もが安心して文化を楽しめる博物館”を目指してアクセシビリティ向上に取り組んでいるところだ。
特別展「はにわ」
会場:東京国立博物館(平成館 特別展示室)
会期:2024年10月16日(水) ~ 2024年12月8日(日)※東京会場 終了しました
埴輪とは、古墳時代(3世紀から6世紀頃)を中心に、古墳(王の墓)に立て並べられた素焼きの立体造形である。時代や地域ごとに個性豊かな埴輪が作られていたが、特に国宝「挂甲の武人」は傑作と名高い。東京国立博物館では、この埴輪が国宝に指定されて50周年を迎えることを記念し、全国各地から約120件の埴輪を集めて展示している。「素朴で“ユルい”人物や愛らしい動物から、精巧な武具や家にいたるまで、埴輪の魅力が満載の展覧会です。東京国立博物館では約半世紀ぶりに開催される埴輪展にどうぞご期待ください」(博物館公式サイトより)。
11月11日、秋晴れの上野には、多数の参加者が集まった。家族や友人と連れだって参加する人も多く、なごやかな雰囲気が広がる。鑑賞の前には、大講堂で見どころ解説が行われた。主任研究員の河野正訓氏は、一部の男性はにわに見られる髪型「みずら」を模したカチューシャを装着して登場。スクリーンに写真や資料を投映しながら「はにわ」展の目玉を紹介し、参加者も聞き入った。
解説が終わると、各自で2階へ上がって、自由に展示を鑑賞する時間だ。同館によれば、コロナ禍に一区切りがついた後、館内は平日でも混み合うことが増えたという。休館日の特別鑑賞会は「貸切の状態で見学環境をご用意できるので、ゆったりスペースを確保し、安全にじっくりと作品をご鑑賞いただける」(同館)点が、参加者の大きなメリットになっている。
「車いすの高さからも見やすい」「音声ガイド聞き取りやすい」と好評
はにわと聞いて多くの人が最初に思い浮かべる「踊る人々」や、国内外から5体が集結した「挂甲の武人」にも、特別鑑賞会では人垣に遮られることなく、車いすの高さからでも十分に作品と向きあう事ができ、参加者は思い思いのペースでゆったりと散策するように、展示物を鑑賞していた。
鑑賞を終えた参加者に話を聞いてみると「車いすだから普段は人だかりの後ろからは展示が見えないけれど、今日はしっかり見られてうれしかった。広い部屋に5体だけというあの演出が印象に残っています。説明書きも全部読めたので理解が深まりました。お友達同士で来て、それぞれのペースで見て、今は待ち合わせしているんです」と喜びの声が。
別の参加者も「上野にはお父さんと来たことがあります。今日は作業所のみんなで来ました。(鑑賞体験は)順調でした。展示はすごかった。ミュージアムショップに寄れたのがうれしかった」と、購入したはにわクリアファイルを掲げて笑顔を見せた。
全盲のアスリート、高橋勇市選手も、自ら申し込んで、この鑑賞会に参加。妻の嘉子さんと共にたっぷり90分をかけて鑑賞した。高橋選手は2004年アテネパラリンピックのマラソン金メダルなど数々の輝かしい成績を収め、現在は三菱商事に所属し、競技に加えて、パラスポーツの普及活動にも注力している。
「僕は全く見えないんですが、音声ガイドにイメージをふくらませてもらって、子ども時代に教科書で見たはにわを思い出しながら楽しみました(※高橋選手は30歳のときに失明)。」と高橋選手。
「音声ガイドも、混み合っていると人の話し声などでよく聞こえなかったりするけど、今日はゆっくりじっくり聞きながら鑑賞できました。欲を言えば、手で触れられるレプリカなんかを用意していただけると、なおありがたかったとは思うんですけど。それでも、ミュージアムショップでぬいぐるみのはにわをビニールの上から触らせてもらって、だいたいの形を想像できました。いや、楽しかったです。また機会があれば参加させていただきたいです。今日はありがとうございました」(同選手)
三菱商事の社員ボランティアも「皆さんが熱心に鑑賞されていたので、このような鑑賞会をお手伝いできてよかったなと思いました。はにわ展は撮影OKの展示物が多いので、ご希望に応じて、はにわとの記念撮影のお手伝いをしたりもしました。皆さんの楽しそうなお顔が見られて、とてもいい時間でした」と充実感をにじませた。
約20年の歴史を持つ三菱商事の「博物館・美術館プログラム」
三菱商事は、障がいのある方のための特別鑑賞会などを開催する「博物館・美術館プログラム」に、2005年から取り組んできた。東京での開催は今回で101回目。参加ボランティアはのべ1900人以上、参加者は1万7000人以上だ。
プログラム創設のきっかけは、グループ企業の社員旅行だった。自由時間の訪問先に美術館が含まれていたものの、車いすユーザーの社員が「混んでいると、車いすからは作品を鑑賞することが難しい」とこぼしたことが、介助していた社員の心に残った。その後いろいろと調べた結果、通常の開催では鑑賞が困難な人がいることが分かり、困難を抱える人が閉館後や休館日に展覧会を鑑賞できる特別鑑賞会の企画に至ったという。東京国立博物館には最初に相談し、賛同が得られて、今回で38回目の開催となる。
開催日程が決まると三菱商事では社内イントラネットなどを通じて社員ボランティアを募集する。なお、同社には、社員が1年間に5日まで、休暇を取得してボランティア活動に参加できる「ボランティア休暇」制度がある。
2024年4月から、博物館・美術館プログラムに参加する社員ボランティアは、日本ケアフィット共育機構による「サービス介助基礎研修」を事前に受講することになっている。これに先駆けて2023年から、社内で年2回、各2時間の研修を実施している。障がいのある方とのコミュニケーション方法を座学と実技で習得するものだ。
三菱商事は東京国立博物館のほか、国立科学博物館、東京国立近代美術館、国立西洋美術館、国立新美術館など、国立の施設を中心に同プログラムを実施してきたが、東京都や民間の施設でも少ないながら開催実績がある。同社は「インクルーシブ社会の実現」「次世代の育成・自立」「環境の保全」の3つを軸にした社会貢献活動と災害支援に取り組んでいるが、博物館・美術館プログラムは、インクルーシブ社会実現を目指した活動の一つだ。これからも時代の変化を捉え、社会課題の解決に向け様々な社会貢献活動を続けていく。