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夏、戦後70年談話 歴代首相は過去の戦争を海外にどう発信してきたか

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2015年8月15日で終戦70年を迎える。「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相は、戦後歴代政権が否定し続けた集団的自衛権を容認、閣議決定し、自衛隊の”海外派兵”拡大に意欲を燃やす。そんなタイミングで出される首相談話。先の大戦についてどう表現するかなどその中身に国の内外が注目する。

「侵略」「お詫び」はもうコリゴリ!?の安倍談話

2015年8月に発表予定の安倍首相による「談話」に、国内外の耳目が集まっている。「談話」とは節目の年やある特別な事柄に臨み、大臣などが平易な文言で思いを述べること。法的拘束力はないが、閣議決定した「談話」は内閣の総意、つまり日本政府の認識として世界は受け止める。

終戦70年の節目に出される「安倍談話」の中身の中心は、もちろん先の大戦に関するもののはず。ただ「戦後レジームからの脱却」(後述)を叫ぶ安倍首相は、「いつまで敗戦国でいなければならないのか」という思いが強い。このため談話の内容は、先の「村山談話」(別項参照)や「小泉談話」を大筋で継承するものの、これらに盛り込まれていた「侵略」や「お詫び」の文言は使わない可能性が高い。現に2015年4月の米議会での演説では、太平洋戦争に関し「痛切な反省」とは述べたものの、「侵略」「お詫び」の言葉は避けている。このため「安倍談話」は閣議決定を行なわず、あくまでも”個人的見解”として海外からの批判を交わそう、と検討しているとも見られている。

歴代内閣が見解を引き継ぐ村山談話とは?

終戦50年にあたる1995年に村山富市首相が出した談話。戦前に日本が行なった戦争を「植民地支配」「侵略行為」と正式に認め、周辺国、特に中国・韓国に謝罪した点、これに関連し戦後処理問題(補償問題)に誠実に対応・推進すると宣言した。

それ以前にはなかった内容は、戦後続いた自民党一党支配が終焉、仇敵同士の自民党と社会党などが連立し社会党出身の村山氏を首相とした政権が誕生、という政治的背景もある。同談話は一個人のコメントではなく閣議決定された”日本政府の統一見解”で、後の政権も踏襲。

 

米演説
米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説/首相官邸HP  先の米議会での発言は、安倍談話にどう反映されるのか?

「戦後レジームからの脱却」
前のめりに死角はないのか

安倍首相が悲願とする「戦後レジームからの脱却」。終戦から70年が過ぎたため、あらゆる制度・体制が金属疲労を起こして現代にそぐわなくなったので一新したい、ということ。そして”本丸”である日本国憲法の改正を主張してやまない。

現憲法は占領軍だったアメリカによる”お仕着せ”で、国の基本法である憲法は日本人自らが定めるべきとの論法である。そしてその核心は9条の全面改訂、つまり自衛隊の「国防軍」化だ。

ただし憲法改正には、衆参両院がそれぞれ全議員の3分の2の賛成と、国民投票で過半数を得るという96条の高いハードルが立ち塞がる。このため、9条の大胆な解釈で集団的自衛権の行使容認を閣議決定、安保法制の制定を踏まえて自衛隊の”海外派兵”の間口も一気に広げる構えである。

だが安倍首相自身、憲法を「国の基本法」と強調する一方で、9条を拡大解釈して集団的自衛権の行使容認を強行することは大いなる矛盾だ、と指摘する声も。

国家権力の暴走を抑止できるのは有権者の一票

戦後70年もたつと、太平洋戦争は歴史上の出来事で、実感のない遠い話という感じだろう。しかし、経験者の話を聞くと、いかに悲惨で無意味なことだったかがよくわかる。権力を持つ「国家」が暴走すると、戦争によって尊い命が奪われることになるという証左だ。

奇跡といわれた経済成長を遂げた日本は、敗戦による多くの犠牲者の上に成り立っている。今、低成長になって、その実感がない若者が増えてきているが、「戦争」は世界で唯一の被爆国である日本が伝え続けていかなければならないと思う。

別に僕は護憲論者でもないし、第9条を変えるなと主張するつもりもない。周辺国が軍拡で騒がしいので、安保法制も必要だとは思うが、それならば正々堂々と改憲すればいい。憲法解釈変更で、集団的自衛権を認めるのはどうも納得ができない。いずれにしろ、周辺国と軍拡競争にならないことを祈る。

「国家」の権力が暴走しないようにできるのは、一票を持っている有権者たちだ。1925年に普通選挙が認められてから、どんどんと投票率が落ちてきている。戦後の平和に安穏として、権利である投票にも行かない人たちが増えているのは、権力の暴走を助長しかねないと危惧している。戦時中の人たちの思いを伝え続け、国家が正しい道を進む一助になりたいと思っている。