会社の奴隷と化した社員を皮肉たっぷりに表した「社畜」という言葉。「ブラック企業」とセットで、近年さまざまなところで見聞きするようになりました。極めてネガティブな表現に聞こえますが、果たしてそうでしょうか? そもそも「社畜」と言っているのは誰か、という話です。
「集団的な統率力」と「社畜」は日本人的な気質の表裏
「社畜」という言葉をご存知でしょうか。Wikipediaによると、「主に日本で、勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化したサラリーマンの状態を揶揄したものである。『会社+家畜』から来た造語で、『会社人間』や『企業戦士』などよりも、皮肉が強く込められている言葉である。英語圏では同様の概念として『wage slave』(賃金奴隷)が存在する。」とあります。
何とも痛烈な解説でありまして、「社畜」というのは良い意味ではないようです。関連項目に、「サービス残業」「過労死」「栄養ドリンク」が上がっているのも辛辣な気がします。
日本人的な気質は、集団で力を発揮します。2度と起こしてはいけませんが、戦争で大国に打ち勝ったのも集団的な統率力があったからだと思います。ところが、集団的な力は個人の主体性を損なうというマイナス要素も兼ね備えているようです。それが、「社畜」という表現のような気がします。
ところで、会社に飼い慣らされているという「会社」とは誰のことを言うのでしょうか? 社長? 創業者が元気なベンチャーや中小企業の場合ならそう言えるかもしれませんが、歴史のある大企業でサラリーマンから出世した社長は、”社員を飼っている”とは思っていないでしょう。
もうひとつ、「自分の意思と良心を放棄し奴隷と化した」とありますが、そんな人がいるのでしょうか? 「社畜」とは、外的な要因によって生まれるのではなく、自らの意思として生まれるもの。サラリーマンが自虐的に言っているか、ほかのサラリーマンを揶揄して使っている言葉に過ぎないと思います。
「社畜」は必ずしも悪いわけではない
ところで、「社畜」の反対はどんな言葉になるでしょうか? 家畜の反対は野生動物です。野生動物はエサを与えられることはなく、自分で食べていかなければなりません。サラリーマンの場合は、どんな人になるのでしょうか?
サラリーマンには野生動物は存在しないので、おそらくフリーランスで仕事をしている人のことを指すのが適切ではないかと思います。フリーランスは自由です。何をしてもいい。その代り雇用保険もないし、退職金の保証もなく、失業保険もありません。それなりにリスクがあるので、僕は社畜であることを否定しません。
会社に利用されているのは誰?
雇うという言葉は、”利用する側”という意味で解釈されることもあります。ここで考えたいのが「利用」の意味。安い給料でこき使うことがあるとしたらそれは利用なのでしょうが、そんなことをしたらみんな辞めてしまいます。ブラック企業と言われる会社もありますが、すべての人においてブラックなのかといえば、そうでもない。そこで活躍している人もいるわけです。
そもそも人を利用するというのはそんなに簡単なことではありません。現実的には、利用されていると考えている人と、利用しているつもりの人がいるだけです。”利用する側にまわれ”というような自己啓発の教えもあるようですが、利用して何をするのかという目的がないと利用することすらできません。人を利用して楽をしようと考えても、世の中はそんなに甘くはないのです。
結局、”利用している””利用されている”というのは、自分の考え方次第ではないかと思います。
「社畜」が会社で活躍する方法
最後に、「社畜」の活躍について思うところをお話ししたいと思います。社畜の活躍とは、人を応援することだと思います。
「誰かのために何かをしてあげたい」と考えるのは利用されていることになるのでしょうか? ”他人に協力する”のは利用されていることになるのでしょうか?
サラリーマンとして協力したい社長や上司がいたり、やりがいのある事業を行っている会社で仕事をすることは大変に感謝すべきことです。僕がサラリーマンの時代にずいぶんと出世が遅れたのは、僕の考え方にあったと思います。自己重要感を満たすために、会社を敵にしてしまっていたのです。
自分の成長を目指すことは悪いことではありません。しかし、自分の成長を優先する人を高い報酬で雇ってくれる会社もありません。自分の成長が会社の成長につながるという仕事の仕方こそが、サラリーマンのベストな働き方ではないかと思います。
現在、僕は40代の半ばですが、30代でこのことに気づくことができたので、ぎりぎりセーフだったと思います。もちろん、野生動物ですから、安心はできていませんけど(笑)。