少子高齢化により、生産年齢人口対総人口の比率が低下することで、我が国はいよいよ”超人手不足”の時代に入りつつある。だがしかし、人手不足期の”生産性向上”こそが、経済成長の王道なのである。ところが、なぜか我が国では人手不足解消のために”外国人労働者を”という話が出てきている。この考え方は資本主義に反していることを知ってほしい。
産業革命が、全てを変えた
近代的な資本主義は、イギリスがインド産綿製品に対抗するために、大々的な設備投資、技術投資を行った「産業革命」により始まった。産業革命前の世界では、主産業が農業だったため、生産活動という経済に投じられる主なリソースは、土地と労働だった。
土地を増やすためには、戦争に勝つ以外にほとんど方法がない。また、労働の数、つまりは労働者数を増やすことは可能だが、それは”労働者一人当たりの生産物”の量が拡大するわけではない。
人間は働き、モノやサービスを生産し、顧客に購入してもらうことで所得を得る。所得創出のプロセスにおいて、生産と所得は必ずイコールになる。労働者一人当たりの生産物の量が増えないことは、労働者一人当たりの所得が増えないことも意味するのだ。産業革命前の世界では、人々は懸命に働いても一人当たり生産物の量が増えないため、なかなか豊かになることができなかった。つまりは、経済成長が存在しない世界だったのだ。
経済成長とは資本におカネを投じる経済行動
産業革命以降の世界は、生産活動に投じられるリソースが、「資本」と「労働」、そして「技術」に変わった。ここでいう資本とは、国富統計における「生産資産」を意味し、生産資産とは、道路や鉄道、港湾や空港といった交通インフラ、工場、機械設備、運搬車両などになる。
例えば、運送会社が、東京から大阪まで貨物を運送する仕事を受注したとする。運送会社は当然ながら、東名・名神自動車道という高速道路上に、トラックという運搬車両を走らせ、顧客の需要を満たそうとするだろう。
高速道路は日本政府の公共投資により生産された資本であり、トラックは日本の自動車企業が生産した資本に該当する。
運送会社はその資本を用い、自らの生産活動に労働を投じることで、”運送サービスという生産物”を生産することになるわけだ。別の言い方をすると所得を得るという話になる。
そして、高速道路の建設や自動車生産には技術が必須だ。現在の資本主義経済における生産が、資本・労働・技術の三つで成り立っていることがお分かりいただけただろうか。
例えば、運送サービスに需要制約がない、つまりは顧客が無限に存在すると仮定すると、資本が継続的に投じられることで、運送会社の従業員は生産物を増やし続けることが可能になる。高速道路が次々に建設され、運搬車両が大型化、高度化していくことで、ドライバー一人が生産する生産物(=運送サービス)が増大していくわけだ。
繰り返すが、所得創出のプロセス上、必ず生産=所得になる。資本が投じられることで、労働者一人当たりの生産量が増えるとは、労働者一人当たりの所得が拡大することを意味する。すなわち、人々が豊かになるということだ。
産業革命により、資本が資本を生みだす構造が成立して初めて、国民が豊かになる”経済成長”という現象が始まったのだ。逆にいえば、経済成長とは資本におカネを投じる経済行動、つまりは投資による生産性向上そのものなのだ。経済成長のために必要なのは投資であり、労働者を増やすことではない。
外国人労働者が生産性向上を抑制する
経営者や政府がいかなる時期に生産性向上のための投資をするかといえば、もちろん”生産性向上が必要な時期”になる。当たり前だが、必要がなければ誰も投資などしない。それでは、生産性向上が必要な時期とは、いかなる時期なのか。それは、人手不足の時期である。
今後の日本は、少子高齢化により、総人口のうち生産年齢人口の比率低下により、政府や企業は否応なしに生産性向上のための投資をせざるを得ない。そして、その投資こそが経済成長をもたらす。
ところが、”外国人労働者(=外国移民)”を入れてしまうと、人手不足が解消し、生産性向上のための投資が不要になる。つまりは、経済成長率は抑制されるのだ。
さらに、日本国民は外国人労働者とこれまで以上に”低賃金競争”をさせられ、実質賃金が下がり、実質消費も減る。これにより、日本経済は縮小し、国内から虎の子の生産能力が失われていき、最終的には発展途上国化することになるだろう。
現在の欧州をみれば理解できるが、外国人労働者(=外国移民)の受け入れは、犯罪率を引き上げ(確実に上がる)、社会を不安定化させ、最終的に我が国を”かつて日本と呼ばれていた何か”に変えてしまう。
現在の日本において、「経済成長のために外国人労働者を」などと主張する政治家などは、反・資本主義者であるという事実を、是非とも理解してほしい。
今こそ、価値観の変化を生む政策を
経済成長には需要の創出が欠かせない。産業革命以来、生産性向上とともに、技術革新で今までにないモノが需要喚起を生んだ。さらに、労働力や消費者になる子孫を増やすことで、人口増加が起こり需要を創出していた。しかし、成熟社会においては、生産性の向上をしても、モノが充足しているため、需要の喚起が起こらない。確かに、公共投資で需要をつくっていくのも一つの手かもしれないが、箱モノを作る従来の政策では将来の借金も膨らみ、不十分だと思う。物理的な豊かさだけでなく、精神的な裕福さを享受させられるような教育や、投資が必要だ。
僕は決して共産主義者でも、社会主義者でもないが、行き過ぎた金融資本主義を是正し、行き過ぎた格差をなくしていく政策転換が必要だと思う。そして、これからの日本を支える若年層に政治の目が向かうことを願う。