SNS(ソーシャルネットワーク)に代表される、ネットを介したコミュニケーションが発達して久しい。スマホも普及し、固定電話や手紙しかなかった時代と比べると情報伝達の方法はすっかり変わりました。でも、便利になったのはいいけど、ときどき息苦しさを感じるのはなぜ……? SNSを通して人々は何を得て、何を失ったのか、現代のコミュニケーションの在り方について平井住職に聞きました。
恋愛と似ている!? SNSの苦しみ
皆さんは、SNSをどのように利用しているでしょうか。私自身はスマートフォンを持っていませんし、連絡手段はもっぱら電話かメールですが、妻は子供が通う幼稚園の連絡網にLINEを使っているようです。
メールもそうですが、手が空いたときに読んでもらえればいいので、相手の都合をあまり考えずにメッセージを送れますし、連絡事項が文字で残るのは便利ですよね。連絡手段として以外にも、自分の考えを広く発信したり、独り言や日記のような内容を投稿したりする楽しみ方もあるのだとか。
一方で、弊害もあるように感じます。自分が発信した内容に反応が返ってこないと不安や不満につながるというのが、一番大きな弊害でしょうか。
恋愛と同じで、好きになること自体は素晴らしいけれど、相手に「自分を好きになってもらいたい」と思った瞬間から、苦しみになってしまう。SNSにもそういう側面があるのでしょうね。
投稿を見た人の方にも、何かしら反応しなければいけないという義務感が生まれたりするそうです。読んだのに反応しないのは悪いこと、という考えの人もいて、だからなのか、最近では電車でも街中でもスマホを手放せず、画面をひっきりなしに触っている人をたくさん見かけます。
当たり前の光景なのかもしれませんが、SNSやスマホに夢中になる人を見て、嫌な気持ちになる人もいますよね。私も、一緒に食事をする人がスマホで料理の写真を撮ることに夢中だと、まず目の前の人間関係を大切にしてほしいなと思ったりします。
スマホに使われてはいけない
サービスを生み出した人は、こうだったら便利だろうなという思いの下に作ったはずですし、実際に利点も多々あると思います。ただ、便利の裏側には逆に不便になるところが出てくるもの。何かを得れば何かを失うことは心得ていなければいけません。
忘れないでもらいたいのは、どんなに便利な道具が生まれても、使うのは人間だということです。SNSも自分が主体となって”使う”べきもので、スマホやSNSに”使われる”のはおかしい。スマホの奴隷になってはいけません。かくいう私は幼いわが子の奴隷ですが(笑)、それはまだ言葉が通じないし、今のところ仕方ないかなと思います。
つまるところ、SNSに関する悩みの多くは、お互いに寄りかかるから生まれるものだと思います。精神的に自立できていないから、SNSの投稿にどうしても反応が欲しくなり、無いと不安になるわけです。
他人に認められたい、誉められたい……。でも、それは本来、生きていく上では”どうでもいいこと”です。自分のことを誰が認めようが認めまいが、大したことではないでしょう。人は一人では生きられませんが、結局は一人で生きていくのですから。
何にでも良い面、悪い面があるし、負の部分は影のように常についてくる
たまには黙って坐れ!
SNSとは直接、関係がないかもしれませんが、”尊敬する人”が特にいないという人が増えたことも、私は気になっています。尊敬に値する人がいないわけではなく、みんなが尊敬してあげないのではないかと思います。父親、教師、地元の政治家、誰でもいいですが、昔は下から持ち上げて”尊敬する人”たらしめていました。今はそれがありません。
この全生庵を作った山岡鉄舟さんは優れた人でしたが、彼にも欠落した部分はありました。若い頃は日本中の娼婦をなで斬りにしたとも言われる人です。
何かに秀でれば、何かが欠けるもの。昔はそんな人の欠陥を知っても、別の素晴らしいところを尊敬する世の中だったように思いますが、今は欠点を見つけては、こぞってネットで叩き、誰も彼もを自分のところまで引きずり下ろしてしまいます。
人を尊敬すると、自分もこうありたいと願う気持ちが出てくるし、結果的に心の自立を助けてくれるものなのですが……。個性、個性というわりには、みんなをフラットにしたがるムードがあるなと感じます。そうして、お互いを過度に気にし合う。
自分の心を振り返らないから、外に外に求めていってしまうのでしょう。もっとも、人には目があり、耳があり、外からの情報に反応するようにできているので、周りを気にせず自分に向き合うのは難しいことではありますが。
だからこそ私は、「たまには黙って坐れ」と言いたい。禅の修行は精神的な自立を突き詰めるものですから、今こそ、禅のようなものが重要になるのではないかと思います。私はこの4月から、日本大学で講座を持っていますが、若い人が学校で坐禅を組むことの意味も、そんなところにあると考えています。
スマホに縛られるな
僕も平井住職と同い年なので、”スマホに使われてはいけない”というのは同感。でも、これはもうオジサンの域に入ってきたということか(笑)。
まだほとんど誰も持っていなかった頃から、僕は秘書をしていたために携帯電話が必要で、会社から大きなやつを持たされていた。 すごく縛られているようで、とても嫌いだった。
それが今では誰もが持つようになり、世の中はまるでスマホに支配されているかのよう。それが時代だと言われればそれまでだけど、「恋人からの別れをLINEで告げられた」などという話を聞くと違和感を覚えるのは僕だけか。フェイスツーフェイスのコミュニケーションが減ってしまった気がする。
ある人に言われたことがある。「ネットは基本ネガティブなことを言う方が圧倒的に多い」と。匿名で投稿もできるので、悪口や批判が多数あるということだが、確かにそうだ。便利になったし、技術革新も起こったので、否定するものではないけど、一日くらいスマホやケータイをしまって出掛けてみたら、いつもと違った過ごし方ができるんじゃないだろうか?