日本大学は、2016年4月に新設された危機管理学部の1年生を対象に、課外の坐禅講座を開いている。その講師を務めるのが、全生庵・平井住職だ。講座の内容や、学生たちのリアルな感想、大学側の狙いなどを探るべく、三軒茶屋キャンパスの坐禅室を訪ねた。
真新しいキャンパスでデニムの学生も坐禅にトライ
日大の坐禅講座は週に2クラスあり、有志の学生が月に1度の頻度で受講する。講座は1回90分。前半の40分ほどで住職が講義し、後半は坐禅を組む。20分を1セットとして、間に休憩を入れながら2セット。受講する学生は1度に10~20人程度だ。
今回取材したのは前期3回目の講座で、出席者は18人ほど。男女比はちょうど半々ぐらいだった。服装もごく普通。中には坐禅をするにはキツそうなデニム着用の猛者もいた。
この日の講演は、”修行”がテーマ。まず、臨済宗の修行について、最初の入門時に経験する庭詰(にわづめ)、旦過詰(たんがづめ)から、住職自身が修行時代に経験した静岡・三島での梅取りまでが語られる。淡々と話す住職に、学生たちはうなずきつつもどこか上の空。時折振られる住職からの質問に、”しぶしぶ”を隠さずに答える様がいまどきだ。
続いて、修行とは朝から晩までやることに心をこめること、それによって、自分の器を大きくすること……という直球の説明を。心の器というものが例えばどういうときに表れるのか、なぜ大きくする必要があるのかを、幼稚園の父兄会の例を挙げたり、禅語の「雨滴声(うてきせい)」を引用したりして示す。
日本大学は平井住職の起用について、「全生庵は坐禅会を開いているお寺として都内では有名であること。また、平井住職には坐禅についての著書もあり、講演等の経験も豊富なため講座をお願いしています」と。
身近な出来事を例に、修行の意味をわかりやすく説く
父兄会の話はこうだ。
「私にも子供が3人いて、まだ小さいんだけど、幼稚園の父兄会なんかに行くと、誰それさんちのあの子は良い子よねって言う人がいる。でも、その”良い子”って、ごはんを食べているときや電車に乗っているときに騒がない、親にとって都合の良い子のことだったりする。
われわれは毎日、そんなふうに、あれこれ言いながら暮らしてるんだけど、『これって自分が勝手に言ってるだけのことだ』って、ふと思ってみることも大切なんだよね」
住職は続ける。
「例えば雨にしても、人は『雨が嫌だな、学校に行くの面倒くさいな』と思ったり、『水不足だから恵みの雨だ』と思ったりするわけだけど、本当は雨に良いも悪いもない。自分たちが勝手にああだこうだ思ってレッテル貼りをしているだけ。そういう意味では、自分の器というものは”ない”のが一番かもしれないけど、そこまで到達しないにしても、大きくしていけたらいいよね。
『あいつ、嫌なやつだ』と思うときなんかに『でも、こう思うのも自分勝手だ』と、余計なこだわりや思い込みを断ち切っていくと、心の器を大きくしていけるはず。頑張ってください」
と、「雨滴声」の現代版ともいえる説法で講義を締めくくった。
「足が痛い」の雑念と戦う学生たち
講義が終わると坐禅の時間。複数回受講している学生も多く、組み方も様になっている。鐘の音とともに、時折、警策(けいさく)で背中を打つ音が響く。
学生たちに感想を聞いてみると、中には”宗教っぽさ”を理由に拒否感を示す学生もいたが、好評な意見も多かった。
「自分を落ち着かせる時間が欲しかったので、受講しています。坐禅をしながら、どうしても『足が痛い』とか雑念が入っちゃうけど(笑)、これからも参加します」(受講3回目)
「やってみると新鮮で、意外と面白い。気持ちがリフレッシュします」(受講2回目)
日本大学によると、坐禅の講座を開いたのは、危機管理の上で、あらゆる事態に冷静に対処でき、災害時には被災者の心の機微を感じながら解決に立ち向かえる人材を育成するためだという。学識を身に着ける授業とは別に、精神修養の機会としてとらえているようだ。
本講座を続けて受講する学生は理由について「この大学、この学部にしかない講座だから」「せっかくこんな機会を用意してもらったので」とも述べていて、これには大学側もしてやったり?
最後に、平井住職に手ごたえや意気込みを聞いてみた。
「教えることには慣れていないし、説法とはまた違うので、毎回ドキドキですよ(笑)。今の若い人たちには、静かに自分と向き合う習慣がないと思うので、坐禅を通してそういう時間の大切さを理解してほしい。その理解を助けるために、禅の言葉なんかも紹介していけたら。
相手は若い人たちなので、難しい言葉は使わずに、仏教の教義などはいっさい話さないでやっていくつもりです。でも、(学生たちは)思ったよりまじめに坐っている印象ですね。1年間受講した後、学生たちが坐禅のやり方を覚えて、『こういうものもあるんだ』と受け入れてくれたらいいですね」
若いうちに禅を理解しておくと将来役に立つ
仏教系の大学ならいざ知らず、講義に坐禅を取り入れ、立派な坐禅室まで作っている日本大学にまずびっくり。学生はぜひとも坐っておくべきだ。どうしても拒否感のある学生にはおすすめはしないが、強制力がないと自ら坐禅をする機会などないだろう。ケータイがこれだけ普及したら、一人きりで考えることなど、若いうちは特になくなったはずだ。
若いうちはいろんなものにチャレンジをして欲しい。学生時代に自分の学校で、本格的な指導のもとで坐禅ができるなど、僕にとってはうらやましい限り。
また、それこそ、禅問答といわれる「雨滴声(うてきせい)」の話など、禅に親しめば親しむほど、理解できてくることもある。あるがまま、思うがまま生きていければ、悩みも深くなくて済むし、若いうちに少しでも理解をしておけば、この先、壁にぶつかったときに、このときの話が役に立つかもしれない。なかなか面白い試みをしている大学だと思った。