気軽さの無い社会での子育ては息苦しい【児童虐待を取材してきたルポライター杉山春さんインタビュー】

2019.03.29

社会

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数年前と比べて、明らかに多くの「虐待」が取り上げられるようになった。非道な虐待親が糾弾される様子に溜飲を下げつつも、親としては少し息苦しい。でも、その理由がよくわからない。数々の虐待事件を取材し、子育てや親子について考察を重ねてきたルポライターの杉山春さんは、昨今の虐待事情をどう見て、何を感じているだろうか。

 ルポライター

杉山 春 すぎやま はる

1958年生まれ、東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。雑誌記者を経てフリーのルポライターに。子育てや親子関係をテーマに取材し、数多くの児童虐待事件を取材。著書に、『児童虐待から考える 社会派家族に何を強いてきたか』(朝日新書、2017年12月)、『自死は、向き合える 遺族を支える、社会で防ぐ』(岩波ブックレット、2017年8月)、『ルポ 虐待 大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書、2013年9月)、『満州女塾』(新潮社、1996年5月)などがある。
Twitter:@sigraprimavera

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虐待親もかつては虐待を受けて育った子どもだった

連日のように虐待死事件が報道され、虐待親のことを「極悪非道」と、今日も人々は断罪している。

私も、その“人々”のうちの一人だった。

わが家には、2人の幼子がいる。彼らを育てる親としては、虐待する親の気持ちが知れないし、知りたくもないと思っていた。子どもたちの痛ましい事件を見るたびに自分が消耗するような気分がして、虐待親のことを罵ることでなんとかバランスを保った。

そんなときに出合ったのが、ルポライター杉山春さんの著書だ。これまで、愛知・武豊町3歳児餓死事件や大阪2児置き去り死事件などの虐待死事件を取材してきた杉山さんは、著書『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新書)で、読者にこう問いかけている。

――「虐待は許せない」という、メディアが後押しして生み出された市民感情は、誰かを断罪しないではいられないのか。

――虐待は、それを行った個人にモンスターのようなイメージを貼り付けて社会から葬りされば解決できる問題ではない。

読んでいてハッとした。虐待親を罵り、社会の枠の外に置けば、未来の虐待が起こらないわけではない。そこに至ってしまった社会構造を理解し、分解するようにしてひとつずつ向き合っていかなくては解決できない問題なのではないか。

杉山さんの著書を通して見えてきたのは、虐待親がそうなるまでの経緯だ。日常的に虐待を繰り返した末に、子どもを虐待死させてしまうほどのひどい事件では、虐待親もかつては虐待やネグレクトを受けて育ってきたことがわかっている。

「どの事件を見ても母親の力が弱く、10代から20歳前後で若年出産しています。もちろん、若年出産=虐待と結びつけるのは早計です。若くて、子育ての力が乏しくても、人を頼ったりできれば違ったのでしょうけれど、若くて出産する女性たちの中には、さまざまな理由で、自我が育っておらず、社会に向かってコミュニケーションをきちんと取れず、困っているときに『困った』と言えない人たちも少なくありません。それは、実は社会の構造の中から生まれている現象ですが、そのことに社会が十分に気づいているとはいえません。

私は2012年~14年まで、NPOの職員として生活保護家庭の子どもの支援をしていたことがあります。その中には、親が困難を抱えており、子育てをする力が乏しかったために、自我が十分に育っていない10代の子どもたちがいました。自分を大切な存在だと確信できない。困ったときに『困った』と伝える、習慣そのものを持っていない。親が子どもをコントロールする。そのために、自我を育てることができなかったのではないかと感じました。

我が子を虐待死させた親たちにも、そういうところがあったのだろうと容易に想像できました。自分のことを主張しないし、大人からケアを受けたこともあまりない。そして将来を切り開いていく職業に従事するために必要な力を育ててもらっていない。妊娠・出産以外で、自分の未来を作る道筋がないのです」(杉山春さん、以下同)

家庭内で虐待がエスカレートする構造は

全国の児童相談所(児相)の虐待相談対応件数はこの10年で3倍以上になり、過去最多を記録(平成29年度、厚生労働省)。家族というのは本来、子どもを守る装置だ。しかし、その最小単位での子育てに、無理が生じてきているのではないか。

「子育てにはお金も時間も必要です。経済的に困窮することは、家庭を壊す理由のひとつになります。親の不安や、『うまくいかない』という思いは、最も力の弱い子どもに向けられやすくなる。そういう意味では、経済状況の悪化のなかで、ひと昔前とは違うタイプの虐待も増えているのではないでしょうか」

虐待には、生きづらさや、社会の行き詰まりが反映されている――。

最近騒がれた、東京・目黒区や千葉・野田市の虐待事件では、父親の暴力を母親が止められなかったこと、長距離を移動することで情報の連携がうまくとれなかったことが要因になっている。これらの事件を杉山さんはどう見ているのか。

「DV問題が虐待問題と家庭内の暴力として、一緒に語られるようになったのはよかったと思っています。家庭の中の暴力そのものが大変なことなんだという視点がないと、解決に結びつかないですから。

終身雇用制度がまだ力を持っていたひと昔前までは、仕事に就いている父親が、仕事を放り出してまで長距離を移動するような転居はしにくかったはずです。現代社会では非正規雇用が増加していますが、それと無関係ではないと思います。

つまり、父親たちが、職場の共同体を失っている。そこでは、自分自身のアイデンティティを育むことができない。その代わりに、家族のあり方や自分の子どもの教育にアイデンティティを持とうとしているのかもしれない。ある意味、男性たちが社会の中で力を発揮できていないから、家族をコントロールすることで自分の存在を誇示しているようにも見えます」

力を持った者が、家族をコントロールする。そして、家族の中だけに閉じこもってしまう。密室化する家庭内で虐待がエスカレートする。そんな悪循環が生まれているのではないか。

「家族内の暴力は、いったんエスカレートし始めると、自分だけでは止められない。野田市の事件で父親が子どもを閉じ込め始めた理由は、『子どもにあざをつけてしまったから、人に会わせられない』というものだと言われていますよね。

この事件に限らず、子どもを亡くしてしまうような事件を見ていて思ったのは、親は子どもをアイデンティティにしない方がいいということ。また、一人の人間には、たくさんのアイデンティティを支える要素があった方がいいのではないかということを感じます。その上で、何かがうまくいかないときに、簡単に社会に助けを求められることが重要だと感じます。助けを求めるハードルが下がることが必要だということです」

これまでの虐待事件の取材を通して杉山さんは、「大きなSOSが潜んでいても助けを求めることができないのは、他者を信頼できないことが原因のように思う」と話す。「助けて」と言ったら、必ず助けてくれる人がいると思えるかどうか。

虐待は家族や親、貧困の問題だけでなく、社会の基盤が揺らいでいることも問題なのではないか。もっと気軽に、「社会の福祉に助けを求めていい」という認識が広まっていった方がいい。そのためにも、社会のインフラが整うことが重要だ。

「地域の行政にさえ行けば最低限は保障されるというセーフティネットが、今は弱まっているのではないでしょうか。虐待事件などを通じて、“家族”は、時には恐いものでもあるという認識も広まっている。実際、家族だけに子育てを頼ることは、難しい。

確かに、お互いに頼り合う資源が豊かにある家庭もある。しかし、家族の助け合いが機能しない家もある。だからこそ、行政が子育ての足りていないところに適切に力を発揮してもらうことが大事だと思うんです」

この日のインタビューは3時間に及んだ。杉山さんには丁寧にお答えいただき感謝しています。

虐待親を子から切り離して終わりではない

虐待をする悪い人間は社会から追い出せばいい、悪い親は子どもと引き離せばいい――。果たして、それで万事解決となるのだろうか。

児相の機能のひとつに、問題のある家庭の子どもを保護するというものがある。しかし、問題を起こした親が外でいつも通りに暮らしているのに、一時的に子どもを保護して、また親元に戻すことが何の解決になるのだろう。この虐待親に対して、加害者プログラムなどのケアをすることが大事に思える。

何より、「人は変わることができる」という認識が広まっていかないと、助けを求めることができないし、手を差し伸べることもできない。そうでなければ、虐待をしてしまった親は行き詰まった末に取り返しのつかない事件を起こして、彼らが社会から排除されるだけだ。

「暴力的な反応が出てしまう人たちが、それでも支援を受けることで、更生することができるという前提が社会に広まっていかないと、自分の中に暴力性を感じたり、行き詰まりを感じていたいりする人たちが、気軽に相談できなくなるのではないかと心配しています。本人が、相談に行ったら逮捕されてしまうと思いつめてしまうことも起きています。暴力やネグレクトの仕組みは、専門家によってかなり解明されてきているので、どのように外部から密室化した家庭に介入するかは鍵になってくるでしょう」

今年1月、宮城・仙台で中学1年生の息子を暴行してしまった父親が、「このままだと、もっとひどいことをしてしまうので子どもを保護してほしい」と自ら児相に名乗り出た事件があった。自分の力では止めることができないから、外へアプローチする。こんな、助けを求めることができてよかったという雰囲気や、認識が社会に広まってほしい。

「児童虐待防止というと、児童相談所の力の強化が注目を集めますが、地方自治体や地域の力が重要です。2017年夏に厚労省が発表した、『新しい社会的養育ビジョン』は、社会的養育の対象者を“すべての子ども”としています。家庭で育てられている子どもも、代替養育を受けている子どもも、胎児期から自立までが対象になっています。これは重要なことです。

2022年度までに、市区町村子ども家庭総合支援拠点が全市町村に設置され、児童相談所には、市区町村支援の担当児童福祉司が配置されます。また、親が育てられない場合には、児童養護施設ではなく、養育里親に預けることを推進する方針が出ています。例えば、小学校区、中学校区ごとに養育里親を置くことができれば、一時的に親から分離する必要がある子どもも、転校せずに通学ができ、地域の支援を受けたり、地域の資源を使ったりして育つことができます。親子再統合も地域の中で可能になります。

子どもが権利の主体となって、地域で育てられる仕組みを作ることが、最も大きな虐待防止だと考えています。地域社会で、親を支え、子どもを育てていく機能が充実していくことを願っています」

虐待に敏感になった世間の目が母親を追い詰めることも

厚生労働省によると、平成29年度に児相が対応した児童虐待相談件数は133778件。調査の始まった平成2年度の1101件からすると、この二十数年で急激に増えたように見える。毎年の調査結果をまとめた推移では、右肩上がりのカーブを描いている。

「カウントが始まった平成2年度に1101件しかなかった虐待が13万件以上まで増えているかというと、そうは言い切れないと思います。昔は同じようなことや、もっとひどいことがあっても虐待という認識そのものがなく、放置されていたということではないでしょうか。

2000年に起きた、愛知県武豊町の3歳児餓死事件のお母さんも子ども時代に飢えていますし、今だったら通報される事案でしょう。お父さんはギャンブル依存症、お母さんは家出してしまっている。そういう育てられ方を、誰も『虐待だ』とは言わなかった時代だったと思います」

つまり、虐待が「虐待」として認知され、大きく報道されるようになったことで、世間の目も敏感になった。

実際に、私も住んでいるアパートの大家さんから電話をもらったことがある。他の住人から、「子どもが泣いても抱っこしていないんじゃないの?」という声が出たという。心当たりは、保育園から帰ってきて晩ご飯を作っているときに、お腹をすかせた子どもが泣いていたことだ。原因は空腹なので、一刻も早くご飯を作らなくてはならない。抱っこすれば、その分ご飯を作るのが遅くなる。

敏感になった世間の目によって、母親たちを追い詰めている面もあるように思う。私もその一件で、“ダメな母親”という烙印を押された気がしたし、その場所に住み続けることが少し嫌になった。できるだけ外に音が漏れないように窓を閉め切った時期があった。

「気軽に生きていけない社会が生まれてきていて、その中で子育てするという負担を、ほとんどの場合、母親が引き受けている。それを全部、家庭の中だけで解決していかなければならないという考え方自体が変わっていかないと、安心して子どもを産めないですよね」

写真はイメージ

虐待親は地続きの世界にいると知る一方で、自分との違いも理解する

近隣住人の中に、私のことを「虐待しているんじゃないか」と見ている人がいるかもしれないと思ったら、急に虐待が他人事ではなくなった。さらに、「もしかしたら、自分もいつか虐待してしまうのではないか」と不安になっていった。知人の中には、虐待を受けて育ったから連鎖してしまうのではないかと、子どもを産まないと決めた人もいる。

「『誰でも虐待をする可能性がある』という考え方が社会に広がってきている気がします。しかも、なぜそういうことが起きるのかわからない。虐待理解が不十分で、得体が知れない。だから、怖い。そんな気持ちも生まれてきているのではないでしょうか。

何かの都合で、子育てうまくいかなくなると、自分を責める。それは辛い。もっと虐待の仕組みがよく理解される必要があるのではないでしょうか。社会に、子育てに関しての理解が広がっていくと、不安からも自由になれるのではないかと思います。

虐待事件は誰にでも起きるという言い方もできるし、事件を起こすのは、さまざまなことを奪われてしまい、非常に孤立した人たちなんだという見方もできる。不用意に不安がるのではなく、社会にそうした人たちをケアする仕組みをもっともっと手厚く用意してほしいと、社会的な視点で考えることも、個人的で先の見えない不安を解消していくことにつながるのではないかと思います」

杉山さんは前出の著書の中で、武豊町3歳児餓死事件の母親との違いをはっきりと見出したと書いている。当初は同じ母親として、時代の子育てに関する空気感を通して、この母親に強く自分を重ねていたという。

「事件を追うなかで、彼女が拘置所内で書いたというノートを読みました。彼女は当時、妊娠していたのですが、『お腹の子が亡くなった子の生まれ変わりで、夫と子どもたちの家族4人で暮らすのだ』と語っていた。子どもを死なせたというリアルからは遠く、病理性を理解しました。母親は、大きな困難の中にいる。そのときに、子どもを虐待死させてしまう母親と、自分を過剰に重ねてはいけないと気づいたんです。

だから、何でもかんでも重ねない方がいい。例えば子ども時代、親に虐待された人もいるかもしれない。でも、大人になっていく過程で考える力や、社会にアプローチする力など、いろいろなものを備えてきているはず。そうした力を持っていれば、むやみにおびえる必要はないんです。そういう意味では自分をもっと信じていいと思う」

幼いときの自分をかわいがるように

杉山さんと話していて、私の方がインタビューされているのではないかという瞬間が何度もあった。いつのまにか、自分の子育ての不安や考えを引き出されていた。

子どもに自分の都合を押しつけてしまうこと、声が荒くなるときがあること。その後に反省して、子どもに謝っていること。いつかストッパーが外れてしまうのではないかと不安を抱えていること。だからこそ、自分の子育てが正しいと思わずに、自分への疑問は常に持ち続けていこうとしていること。

そう伝えたときに、杉山さんにこう言われた。

「私は、自分を大事にしたらいいのにって思う。自分のことをかわいがってあげたらいいと思います。私はよくやっているよね、頑張ってるよね、って。自分を褒めるっていうのはすごく大事です」

えっ。もっと自分をかわいがってもいいの……? 思わぬ言葉に、いつの間にかボロボロと涙が出ていた。誰かに評価してもらえることに、こんなに飢えていたのか。それは、自分自身の評価が著しく低いということもあっただろう。自分が思っていたよりも随分と張り詰めた中で子育てしていたのだと、気づかされたようだった。

「以前、カナダの加害者プログラムについての取材をしたときに、『幼いときの自分をかわいがって、声をかけてあげるようにすることが大事』と聞きました。自分をすごく大事にしてあげることが、一番、暴力から遠ざかっていく道だと感じます。自分を大事にできないと、人を大事にできないそうです。世のお母さんたちはみんな、あまりにも反省しすぎているような気がします」

私が特殊なのかというと、決してそうではないと思っている。この社会は女性に対して、母としても仕事人としても輝けと、理想の母親像を押しつけてくる。ますます役割を増やされた挙句、少しでも“あら”があると叩かれる。これでは、母親の自己肯定感が育ちにくい世の中なのではないだろうか。

インターネットが発達して、いろんな意見が聞けるようになった。さまざまな選択肢が認められ、多様性が受け入れられるのはいいことだ。同時に、母親が「大変だ」と声を上げやすくなった一方で、子育てが大変そうに見えて出産しない道を模索する人もいる。

情報を選び取りながら、自分たちで生き方を決めていかなくてはいけないからこそ、悩む。私たちはまだまだ多様性に翻弄されているのかもしれない。

でも、どういう道であれ、自分で選び取り、生きるための努力をしているのだから、これからは「よく頑張ってるね」と褒めてあげたいと思った。幼いあの日の自分に話しかけるように。