米トランプ大統領を大相撲観戦させるのが最高の外交(もてなし)になる理由

2019.05.23

社会

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米ドナルドトランプ大統領と安倍首相

写真/Bloomberg/Andrew Harrer

米トランプ大統領が5月25日に来日する。元号が令和になって初の国賓だ。アメリカは中国との関税引き上げに関する軋轢があり、日本もまた周辺諸国との関係悪化などの問題を抱えており、強固な信頼関係を築き国際社会に訴える絶好の機会である。そんななか、26日になんとトランプ大統領が大相撲夏場所千秋楽を両国国技館で現地観戦するというニュースが報じられている。さて、大相撲観戦は国賓のもてなしとして相応しいのだろうか?

厳戒態勢!異例ずくめの大相撲観戦

トランプ大統領の来日に際して、国技館での大相撲観戦が波紋を広げている。というのも、今回は何かと異例づくめだからだ。国賓席での観戦であれば天皇陛下や首相なども過去に例があるが、マス席にいすを置き、スリッパを履いて土俵に上がり、優勝力士に“トランプ杯”を渡すことが計画されているのだ。そのため、警備上の理由から正面のマス席の販売は無く、湯呑も急須も出せないのだという。

これらの是非については、正論で言えばすべてがNGだ。舞鶴市長が倒れたときに批判を集めてでもこだわった相撲のしきたりにも反するし、何より観戦を楽しみにしてきたファンにも迷惑をかけてしまうことになる。アメリカ大統領なら何をしても良いのか?という批判に対して私は返す言葉が何もない。だが、もうこれは決まってしまったことだ。突っ込み始めたらキリが無いのだが、一つ疑問がある。

そもそも、大相撲観戦は国賓のもてなしとして適当なのだろうか。

これほどまでに無理を通し、批判の声が集まるなかで決行し、その結果、トランプ大統領に楽しんでもらえるのか、という疑問に答えられるだろうか? これを読んでいるあなたは、限りなく土俵に近いところで大相撲を観戦したことがあるだろうか? そして、その魅力を語れるだろうか?

私はただの相撲好きが興じて8年前からブログを書き始め、現場に足を運ぶようになり、気がつけばライターとして記事を書いている立場の人間だ。つまり、根は単なる相撲好きの38歳のおっさんである。そしておっさんは今回トランプ大統領が予定している正面マス1~3列目で何度か観戦している。その経験から今回の相撲観戦の意義を考えたい。

大相撲は前時代的で非合理な楽しい競技

結論から書くと、このもてなしにどこまでの計算があったかはわからないが、国技館のスペシャルリングサイドでの大相撲観戦は楽しくなる要素がありすぎて、否応なしに楽しめるものだということである。

まず、国技館に来ると江戸時代にタイムスリップしたかの錯覚を起こす。茶屋にもてなされ、道を抜けるとそこには無数のマス席がある。髷(まげ)の力士が居る。館内なのに宙吊りの屋根がある。そして、リングではなく、土の土俵がある。すべてが前時代的だ。髷も屋根も土俵も前時代的なものには生まれた理由があるので、今さら合理化することはできないだろう。そして仮に合理化したら必ずや味気ないことになるだろう。

例えば、投げの打ち合いで態勢が有利なのに髷が先に地面に付いて敗れるという理不尽を排除するために、すべての力士を角刈りにしたらどうなるだろうか? 土の土俵の段差が理由でケガをする力士が後を絶たないからという理由で、土俵の外にウレタンマットを敷いたらどうだろうか? 雰囲気が壊れることを理由に続けている非合理性は、日本的体験をするという意味でポイントが高いのである。

そして、力士に圧倒される

幕内は平均体重 166キロのぶつかり合いだ。野球もサッカーも現場だと臨場感はあるが、土俵に限りなく近いマス席の距離はわけが違う。力士の息遣いも激突音もそこに迫る迫力も、2階の「貴賓席」では味わえないものである。

白鵬のかち上げで失神する栃煌山や、200キロ近い千代大龍を吊り上げる栃ノ心、大男を向こうに回してスピードで翻弄する炎鵬のすごみは、映像よりも実物の方がはるかに説得力を持つ。それは目の前で力士たちが繰り広げる非現実的な戦いが、現実のものであると受け止めざるを得ないからではないかと私は考えている。

野球の現地観戦で豆粒のような選手たちを見るのとは対極だ。ちなみに逸ノ城の尻が目の前にある光景はまさに圧巻。夢に出てくる。

さらには、相撲という競技特有のわかりやすさもまた、現地観戦を彩る魅力である。円から出すか、体が地面に着いたら勝負あり。たったこれだけのことである。つかまえて円の外に出すために体を大きくする。押して円の外に出すために、体を大きくすることと初動のスピードを高めることを両立する。ルールがシンプルだからこそ、勝つための方法も突き詰めると原始的だ(本当はそれを実現するためにとても複雑な戦略と技術が存在するのだが)。

この原始的なルールの中での戦いである。しかも、アスリートにあるまじき脂肪を蓄えた裸同然の大人が、髷姿でこれを行うのである。見ようによってはバカバカしく感じることもあるだろう。

相撲ライターの肩書でモノを書いている私でも、客観的に見ると本当に不思議な競技だと思う。でもこれを大男たちが大真面目に明日を掛けて取り組んでいるのである。その必死さと大男たちのすごみに触れたとき、バカバカしいという視点は一旦置いて声を失うことになるのである。

大相撲は、髷や土俵、まわしなどの文化的側面から来る前時代的な訳のわからなさと、ルールに起因したわかりやすさが両極端で、しかも至近距離という仕掛けがさらにそれを煽り、観る者を最初は激しく混乱させながらも、その魅力を受け止めた後は心の底から楽しめる文化、スポーツだといえるのだ。

付け加えるとトランプ氏はアメリカの大統領だ。アメリカンフットボールを愛する国民性を考えると、大男が激しくぶつかり合うコンタクトスポーツに親しんでいることから、大相撲の魅力を受け止める下地はすでにできているはず。これがもし、国を代表するスポーツがサッカーや自転車という国柄だとしたら感覚レベルで伝わりにくい部分はあるかもしれない。だが、そうした障壁はトランプ大統領にはまったく無いところも含めてプラスなのである。

バカバカしさを乗り越えて

トランプ大統領は幕内後半の数番を観戦するとのことだが、本当はここでマス席のもうひとつの魅力を味わってもらいたい。そう、酒である。大相撲観戦において酒が持つ意味は非常に大きい。

大相撲を楽しむ上で恐らく最大の障壁となるのは、大相撲をバカバカしいととらえる視点である。文化に理解のない人ほどその傾向は強いだろう。

ただ、大相撲の“すごみ”に触れることができたなら、すごみが与える快楽によってバカバカしいと思う視点は吹き飛ぶことになる。土俵から近ければ近いほど作用は強い。そして、さらに没頭するための装置としては酒が欠かせない。

考えてみて欲しい。子どもの頃に大相撲をバカバカしいという視点で観ていただろうか? 細かいことを考えずに両親や祖父母と観ていたあの頃が、一番大相撲が楽しかったはずなのだ。しかし、人は成長の過程でさまざまな視点に触れた結果、一旦大相撲から離れることが多い。そんな大人に対して、酒はバカバカしいと感じる小賢しい視点を押し流し、ゴジラやウルトラマンが好きだった頃の怪獣少年に戻してくれるのである。20歳を超えて、一切合切をわかった上で、バカバカしさも受け止めた上で、人は大相撲に戻ってくるのである。

酒があれば骨の髄まで大相撲を楽しめるのだが、今回、恐らくそれは達成されないことだろう。誠に残念なことではあるが、これは仕方のないことだ。しかし、酒が無くてもトランプ大統領には大相撲の魅力が十分に伝わるのではないかと思う。

さあ、5月26日はトランプ大統領と大相撲を観ようではないか。大相撲のバカバカしさも、トランプ大統領に対する複雑な思いもこの日くらいは忘れて、酒を片手に目の前の大相撲と歴史的な一日に酔いしれるのも一興である。