近年、政府の要求もあり、多くの上場企業でコーポレートガバナンス改革が進められている。ただし実際には制度を整えただけで終わり、実質が伴っていない例も少なくない。そうしたなかでアサヒグループホールディングスは、コーポレートガバナンスの強化が企業価値を向上させるための条件になるととらえ、積極的に改革に取り組んでいる。代表取締役社長兼CEOの小路明善氏に話を聞いた。
予測困難な時代には多角的な視点が必要となる
尊徳 アサヒグループホールディングス(GHD)では、古くは2000年の執行役員制度の導入や経営戦略会議の設置から始まり、これまでさまざまなコーポレートガバナンスの強化に取り組んで来られました。最近はどのような取り組みを行われましたか。
小路 まず大きいのは、取締役会に占める社外取締役の割合を3分の1以上としたことです。また、監査役会も、過半数が社外監査役で構成されています。その際には単に社外役員の割合を増やすだけではなく、多様性を持たせることを狙いに、経歴が重複していない方々を選ぶことを重視しています。
尊徳 社外取締役や社外監査役については、実態としては“お飾り”になっている企業も多く見られますが、アサヒの場合はそうではない?
小路 はい。そう言い切れると思います。例えば社外取締役でいうと、小坂達朗さんはグローバル企業でCEOを務めてきた経験が豊富で、グローバル経営のあり方に対する高い知見をお持ちです。また、新貝康司さんはJTのCFOや副社長として、大規模なM&Aを手がけてこられました。そして一橋大学教授のクリスティーナ・アメージャンさんは、コーポレートガバナンスやダイバーシティをテーマとする研究者であり、また、日本とは異なる文化の中で育ってきた外国籍の女性でもあります。
このように社外取締役のバックグラウンドがそれぞれ違うことで、当社の経営に対する意見も多角的な視点からいただくことが可能になります。そういう意味で社外取締役は、当社において非常に重要な役割を担っています。
トップダウンで物事を決断して、組織を引っ張っていくのはリスクが高すぎます
尊徳 なぜ多様性をそこまで重視するのでしょうか。
小路 私は昨年あたりから世界は、「VUCAの時代」が深まったと考えています。VUCAとは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の4つの単語の頭文字から取った言葉で、端的に言えばより一層予測困難な時代になったということです。
予測困難な時代には、いくらトップが優秀だったとしても、トップダウンで物事を決断して、組織を引っ張っていくのはリスクが高すぎます。トップが一つ間違えると、取り返しがつかないことになってしまう。そうならないためにも、高い専門性と多様な視点を持つ人たちから構成される経営戦略会議や取締役による合議制によって、最適な意思決定ができる体制へとガバナンスのあり方を転換していく必要があると考えたわけです。
尊徳 しかし一方で合議制は、意思決定に時間がかかるというデメリットがあります。
小路 そうですね。合議と意思決定のスピード化の両立が大きな課題となります。ただし、すべての議題で合議が必要なわけではありません。本当に多角的な視点からの検討が必要あるテーマのみに絞り、そのテーマについてはしっかりと討議を重ねる。そしてある程度方向性が見えてきた段階で、社長兼CEOが最終的な意思決定を行うというかたちを取れば、両立は可能です。
また、当社ではこれまで、代表取締役会長と代表取締役社長の2名が代表権を有していましたが、会長については今年の3月に取締役会の議長として代表取締役を兼務しない体制に移行しました。これにより代表権を持つのが社長兼CEOのみとなりました。社長兼CEOに経営の執行の権限を集中させたことも、意思決定のスピード化を図る上でプラスに作用するはずです。
経営の執行と監督の分離を図る
尊徳 多くの日本企業は、経営の監督と執行の分離が不明瞭ですよね。同じ人間が裁判所の役割と検察の役割の両方を担っているようなところがあります。会長から代表権を外したのは、経営の分離を進めるという狙いもあったのでしょうか。
小路 その通りです。執行の責任は社長兼CEOが担い、一方で会長は取締役会の議長として監督の責任を負うことになります。社長兼CEOに執行に関する権限を集中させるとともに、その暴走を防ぐために、会長が議長を務める取締役会がきちんと監督していくという体制を整えました。
今後進めていきたいのは、経営戦略会議と取締役会の機能強化です。社内の役員から構成される経営戦略会議が高い専門性を基に構築した経営戦略を、多様なメンバーから構成される取締役会が多角的な視点から吟味し、戦略をより高度化させていくという体制を充実させていきたいと考えています。
尊徳 国がガイドラインとして提示している「コーポレートガバナンス・コード」では、CEOの選解任の基準を明確に定めるように求めています。この点については、どのように対応されていますか。
小路 当社でもCEOの退任基準を新たに設けました。これは定量的な面と定性的な面に分かれており、まず定量的な面ではROE(自己資本利益率)や売上目標、利益目標が一定期間未達の状態が続いた場合に、指名委員会がCEOの退任を検討することになっています。また定性的な面では、CEOが不祥事や経営に深刻な影響をもたらす重大リスクを起こしたときに、やはり指名委員会が解任の検討を行います。そして最終的には取締役会で退任、解任の決定を下します。
トップがどれだけ現状に強い課題意識を持ち、コーポレートガバナンスの強化にコミットしているかどうか
コーポレートガバナンスを「仏作って魂入れず」にしない
尊徳 なるほど。ここまでお話を伺っていると、アサヒでは今の時代に合った最適な意思決定を、高い透明性や客観性、スピード感を持ってできる仕組みを作るために、コーポレートガバナンスの強化を進めてきたといえそうですね。
小路 ちょっと抽象的な言い方になりますが、私はコーポレートガバナンスとは“社会適合性”だと思っています。社会適合性というのは、社会の状況や価値観の変化、あるいはステークホルダーの会社に対する要請に対して、スピーディに応えていくということです。時代に合致したコーポレートガバナンスのあり方について、常に思いをめぐらせています。
尊徳 コーポレートガバナンスの整備については、もちろんどこの企業も取り組んではいます。ところが現実には、トップの暴走や会社ぐるみの粉飾決算、経営トップや役員の選解任をめぐる迷走など、ガバナンスに問題がある企業も多く見られます。いわば制度は整えたけれども「仏作って魂入れず」の状態になっている。制度として整備したコーポレートガバナンスを、確実に機能させるためには何がカギとなるのでしょうか。
実際に機能しているかどうかをチェックし、改善を行える仕組みを作っておくことも大切ですよね
小路 トップがどれだけ現状に強い課題意識を持ち、コーポレートガバナンスの強化にコミットしているかどうかでしょうね。それがないと、事務局が形だけ整えたものを承認して終わりになってしまいます。
もう一つ、コーポレートガバナンスを実効性のあるものにしていく上で重要なのは、企業価値の向上に連動させていこうとする意識を持つことです。コーポレートガバナンスの強化によって組織の透明性や客観性が高まれば、その分、株主や顧客からの信頼度も増します。
私はコーポレートガバナンスの整備は、企業価値向上の必要十分条件のうちの十分条件だと思っています。どんなに競争優位な戦略によって持続的な成長を続けていたとしても、社会や投資家からコーポレートガバナンスが十分ではないと判断されたならば、企業価値向上における十分条件を満たしていないと考えています。
尊徳 制度として設けたコーポレートガバナンスが、実際に機能しているかどうかを定期的にチェックし、改善を行える仕組みを作っておくことも大切ですよね。
小路 当社では、第三者が社外取締役、社外監査役にインタビューをして、取締役会と監査役会がその責務を果たしているかどうかを評価する第三者評価を実施しています。第三者評価では、基本的には高い評価をいただいていますが、あえて言えばESG(環境・社会・ガバナンス)関連の強化に関する議論を取締役会でもっと活発に行うべきだといった指摘を受けています。
現在は「取締役会実効性向上プロジェクト」を立ち上げて、取締役会の実効性の分析・評価・改善の質をさらに中身のあるものにするために、どんな仕組みや手立てを講じるべきかについて議論を重ねているところです。
経営トップが短中期の会社の将来ビジョンを社員に明確に示してあげること
社員の意欲を引き出し会社の成長に結びつける
尊徳 社内の従業員に対するガバナンスについては、何を重視して取り組んでおられますか。
小路 これは狭い意味でのガバナンスとはちょっと異なる話になるのかもしれませんが、当社では新しいグループ理念の中で、「会社と個人の成長を両立する企業風土の醸成」を打ち出しています。一人ひとりの社員が高いモチベーションを持って仕事に取り組んでもらえる企業風土を作ることが、個人の成長につながり、会社の成長にもつながるというものです。
では、どうすれば高いモチベーションを社員に持たせられるかというと、1つには経営トップが短中期の会社の将来ビジョンを社員に明確に示してあげることです。「会社はこういう方向に向かおうとしていて、その中で自分はこういう役割を果たすことができそうだ」という道筋が見えれば、社員の意欲は高まります。
2つ目は人事評価です。よく人事評価は客観性が大事だと言われますが、私は“納得性”だと考えています。例えばプロジェクトのある結果に対して、評価できる点と課題を上司と部下がお互いに共有化できており、なおかつそれに納得していれば、たとえ評価が低くても社員のモチベーションが落ちることはありません。
3つ目はOJT(On The Job Training)ですね。人は上司と仕事を通して成長していくものだと私は考えています。社員一人ひとりの状況に応じて、いかにその社員を成長に導く上司や仕事を配置してあげるかが大切になります。
尊徳 人事評価については、制度面でも工夫をしているのでしょうか。
小路 ホールディングスもそうですし、各事業会社でも納得性の高い人事評価制度作りに取り組んでいます。納得性を保つためには、ファクトベースで成果を見てあげなくてはいけません。
例えば、私自身は部下を持ったときに、部下の名前を縦に、1月から12月までの月を横に書いた表を作成しました。そしてAさんならAさんの仕事ぶりについて、月ごとに良かった点と課題をファクトベースで書き込んでいきます。すると1年間で12個の良かった点と課題が出てきます。これを基に社員との評価面談を行えば、部下に対してより納得性の高い評価結果を示すことができます。こうしたことを奨励しています。
尊徳 アサヒでは経営陣の後継者の育成計画については、どのようなプランを立てて実行されていますか。
小路 社員が40代半ばに達した時点で、その社員が経営に向いているか、実務に向いているか、あるいは高い専門性を有したエキスパート向きかといった見極めを行います。経営に向いていると判断した社員については、50歳前後の時点で規模の小さな事業会社の経営を任せるなどして、トップマネジメントを経験させます。
その中で経営企画や財務の経験を積ませることで、経営者に必要な能力を身につけさせていくわけです。特にトップは財務情報を読み解けなければ、自社の経営課題を抽出することができませんから、財務分析力を高めさせることをとりわけ重視しています。
社長は飛行機の主翼、会長は尾翼
尊徳 今回、小路社長からお話を伺っていて強く実感したのは、「コーポレートガバナンスの強化は、会社の成長のために不可欠であり、これをやり遂げなくてはいけない」というトップの思いの強さです。特に会長が代表取締役を兼務せず取締役会議長に専任することは、トップの既得権にメスを入れることを意味していますから、なかなかできないことです。
小路 代表権を外そうという提案をしたのは、私ではなく、泉谷直木会長自身です。泉谷は私欲がなく、物事を非常に客観的かつ中立的に考えることができる。だからああいうことができました。
以前、泉谷から「会長と社長の役割の違いは、何だかわかるか」と聞かれたことがあります。泉谷によると、飛行機に例えれば、社長は主翼で会長は尾翼だと言います。主翼は飛行機を上昇や下降させたり、右旋回や左旋回をさせたりするときに必要となります。一方尾翼は、上昇や旋回の角度を修正する際に用いられ、最適・最短のルートで目的地に到達する上で重要な役割を担います。今回会長から代表権を外し、経営の監督と執行の分離を図ったのは、いわば主翼と尾翼の役割分担を明確にしようということです。
尊徳 そして飛行機で尾翼である会長は、主翼である社長の仕事には一切口は出さない。
小路 そうです。会長は経営の執行については、口は出しません。ただし、経営を監督する責任がある取締役会議長としては、かなりがんがん意見を言ってきます(笑)。
企業によっては、会長がすべてのことに口を出すか、まったく口を出さないの両極端に分かれているところが少なくありませんが、これは会長と社長の役割分担が不明瞭であることに起因します。私たちは役割分担を明瞭にすることで、組織としての透明性や客観性を高め、企業価値の向上を図ろうとしているわけです。