学生よ、武器を持て

賢人からのメッセージ~川淵三郎キャプテン、見城徹氏、秋元康氏

2014.7.10

ビジネス

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第5号の巻頭に登場いただいた見城氏、秋元氏に、若いときに何を考えて今の仕事に就こうと思ったのかを聞いた。また、前号に引き続き川淵キャプテンのインタビューの後編も。

 日本トップリーグ連携機構代表理事 会長/日本サッカー協会 相談役

川淵三郎 かわぶち さぶろう

1936年12月3日生まれ。大阪府出身。高校からサッカー選手として活躍し、日本代表としてオリンピックなどに出場。現役引退後は日本代表監督に就任。Jリーグ創立に尽力し、初代チェアマンを務めた。その後、日本サッカー協会会長や最高顧問などを務め、現在は相談役。また、公立大学法人首都大学東京理事長(2013年4月~2017年3月)を務めたほか、日本バスケットボール協会会長(2015年5月〜2016年6月)に就任しBリーグ創設を牽引した。2015年5月より、日本トップリーグ連携機構代表理事 会長。職歴としては、早稲田大学卒業後、古河電気工業株式会社入社、古河産業の取締役を務めた。

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株式会社幻冬舎 代表取締役社長

見城 徹 けんじょうとおる

1950年12月29日生まれ。静岡県出身。慶應義塾大学法学部卒。1975年角川書店入社。文芸編集者として名を馳せる一方、坂本龍一、尾崎豊、松任谷由実らミュージシャン本も数多く手掛ける。1993年幻冬舎を設立し代表取締役社長に就任。2003年1月上場。2011年3月MBOにより上場廃止。著書に『編集者という病い』(太田出版/集英社文庫)、『憂鬱でなければ、仕事じゃない』(藤田晋との共著・講談社文庫)ほか

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 作詞家

秋元 康 あきもと やすし

1958年5月2日生まれ。東京都出身。中央大学文学部中退。作詞家。高校時代から放送作家として頭角を現し、「ザ・ベストテン」など数々の番組構成を手掛ける。作詞家として、美空ひばり『川の流れのように』など数々のヒット曲を生み、総合プロデューサーを務めるAKB48のほぼ全楽曲の作詞を手掛ける。著書に小説『象の背中』(扶桑社)、『趣味力』(NHK出版)、『天職』(朝日新聞出版)ほか。

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川淵三郎キャプテンインタビュー[キャプテンから若者へ 後編]

前回、「大人しい」と今の若者への憂いを口にした川淵キャプテン。だが、サッカー界では今の選手の方が断然優れているという。選手たちの言動から、キャプテンが導き出した答えとは?

なぜ、一流選手のコメントは光るのか

川淵キャプテンの現役当時と比べると、今は海外で活躍する選手は増え、ニュースで目にすることも多くなった。プレーはもちろん、その発言でも注目を浴びることが多い彼ら。サッカーに没頭してきた選手たちが、自分の言葉を持っていることを不思議に感じていた川淵キャプテンは、最近、ひとつの答えにたどり着いた。

「カズ(三浦知良)とかは最初から内容のある話をしていた訳ではないし、香川(真司)も聞いたらそんなに学校の成績も良くなかったって。だから自分の体験してきたことを口に出しているだけなんだけど、それがすごく重みがあるんだよね。彼らは一流クラブでレギュラーになって、活躍するためにはどうすればいいのかを常に考え、実行しているから”考えること”が身についているんだと思う。だから、頭がまとまって発言も素晴らしいものになる。それに、経験を基にした話だから、人に感銘を与えることもできると」

とにかく考えること!

サッカーの発展とともに、選手たちが考えなければいけないことは圧倒的に増えたという。

「最近のサッカー、本当にシビアだから。持った途端にガシャっとやられるからね。ちょっとボールコントロール外してもダメだし、周りに敵がいるかいないかってことを事前に察知していない限り、いいプレーがなかなかできない。プレーをするときに知ってなきゃいけない状況っていうのは、僕のときが”1″だとすると、今は”100″くらい知ってなきゃいけないかな」

引き合いに出すのは本田(圭佑)だ。

「360度にパスできるからね。いつもアンテナを張り巡らせて、味方の誰がどこにいるかっていうのを把握して、一番良いポジションにパスを出す。敵も見ながら状況に応じて判断して、とてつもないパス出すもんね、本田は。例えば中田(英寿)とはいえ、今まではそういうパスが出せなかった。全然違うもん。中田のパスコースと、本田のパスの意外性っていうのは」

没頭することが人を成長させる

考えることが人を成長させることはわかった。だが何について考えればいいのだろうか?

「考えるには、やっぱり大好きなことに打ち込むこと。いろんな知識が豊富になって、人との付き合いの深みができたり、それがもとになって他のことにも発展したり。だから一つのことに没頭することは人間の成長に大きな影響を与えると思うね」

だが、最近の若者に多いのは”好きなものがない”ケースだ。

「僕の場合はもともと3日坊主でね。あっちこっち好きなことがあって、すぐ飽きちゃって、好きなものが変わっていったんだけど、サッカーが好きになったら一筋だったよね。3日坊主はダメだって言われているけど、要するに新しいものが好きだから3日坊主になるわけで。あちこちに興味を持って、100個目に『これが好きだ!』っていうのが見つかる可能性があるなら、3日坊主は奨励すべきことなんだよ」

曰く「どんどんいきゃいいのよ」と。そのプレイスタイルのように豪快に語るキャプテンは、とてもシンプルで明快な導きを残してくれた。

ヒットメーカーへの道もバイトから

名編集者・見城徹と作詞家・秋元康はなぜ今の仕事に就いたのか? スタートはどちらもアルバイト。大事なのは”覚悟”と”きっかけ”です。

「『覚悟』こそがたった一つの武器」(見城徹)

大学のとき、俺は学生運動をやり過ぎて、Aの数が4年間で4個しかなかった。でも、なぜか卒業ができそうで就職を考えた。今みたいに3年のときから就職活動なんてしてないよ。あんまり身辺調査をされないで行けるのはマスコミくらいしかなかったんですよ。でも、小学館から新潮社までことごとく全部落ちて。それで小さな出版社に入ったんです。

そのあと、たまたま友達のマンションに角川春樹さん(当時の角川社長)が住んでいたんですよ。それで紹介してもらったの。そしたらお前気に入ったと言われて、アルバイトで角川書店に潜り込みました。寝る時間も惜しんで必死でやりましたよ。それで6ヵ月後くらい経って社員になったの。

角川さんとは二人三脚で、彼が発想したものを、現実に落とし込むっていうのが俺の仕事で、ずっと17年間やってきたわけですよ。そういう中で角川春樹さんがコカイン疑惑で逮捕されてしまった。僕は最年少の取締役だったけど、当然、辞任届けを出したんです。そのときにいくつかの大手出版社が来ないかって言ってくれたりして、一人だったら行けたと思う。ところが二十数人が僕について来るって言ってくれた。だから会社をつくるしかなかった。でも会社をつくるのに二十数人なんていきなりは無理だから、6人で幻冬舎を始めたんです。

しょうがなくて始めたことだったけど、今思えば、春樹社長の逮捕に背中を押されたんですよ。僕の今がこうしてあるのは、角川を辞めて、自己破産覚悟で幻冬舎を作ったからだと思う。きっかけというのは誰の周りにも落ちているわけで、それをつかむのは覚悟が出来たときしかない。腹を括れるかどうか。「覚悟」こそがたった一つの武器です。

「人生に一番大事なことは”きっかけ”」(秋元康)

何をきっかけに思うか。僕にとっては、ラジオ局に自分の書いた台本を送ったことが一つのきっかけ。小学生の頃から官僚になりたという夢を持っていて、ずっとアルバイトのつもりで放送作家をしていました。

腹をくくらなきゃいけないと思ったのは、美空ひばりさんの「川の流れのように」を作詞したときに、あの美空ひばりさんが作詞家として認めてくれたんだから、もうアルバイトじゃなくていいか。正社員になれたかなっていう、もう一つのきっかけがそこであるんですよね。この2つのきっかけがつながるんです。それがなければいまだにアルバイトのつもりで、中途半端な気持ちで、なんでドロップアウトしちゃったんだろう……とか思っていたかもしれない。

僕のように、きっかけは偶然の場合もあるし、自分でつくることもある。ただ、大事なのは、「これがきっかけなんだ!」と感じることです。正解は自分で見つける。自分の中にある。