第5号の巻頭に登場いただいた見城氏、秋元氏に、若いときに何を考えて今の仕事に就こうと思ったのかを聞いた。また、前号に引き続き川淵キャプテンのインタビューの後編も。
川淵三郎キャプテンインタビュー[キャプテンから若者へ 後編]
前回、「大人しい」と今の若者への憂いを口にした川淵キャプテン。だが、サッカー界では今の選手の方が断然優れているという。選手たちの言動から、キャプテンが導き出した答えとは?
なぜ、一流選手のコメントは光るのか
川淵キャプテンの現役当時と比べると、今は海外で活躍する選手は増え、ニュースで目にすることも多くなった。プレーはもちろん、その発言でも注目を浴びることが多い彼ら。サッカーに没頭してきた選手たちが、自分の言葉を持っていることを不思議に感じていた川淵キャプテンは、最近、ひとつの答えにたどり着いた。
「カズ(三浦知良)とかは最初から内容のある話をしていた訳ではないし、香川(真司)も聞いたらそんなに学校の成績も良くなかったって。だから自分の体験してきたことを口に出しているだけなんだけど、それがすごく重みがあるんだよね。彼らは一流クラブでレギュラーになって、活躍するためにはどうすればいいのかを常に考え、実行しているから”考えること”が身についているんだと思う。だから、頭がまとまって発言も素晴らしいものになる。それに、経験を基にした話だから、人に感銘を与えることもできると」
とにかく考えること!
サッカーの発展とともに、選手たちが考えなければいけないことは圧倒的に増えたという。
「最近のサッカー、本当にシビアだから。持った途端にガシャっとやられるからね。ちょっとボールコントロール外してもダメだし、周りに敵がいるかいないかってことを事前に察知していない限り、いいプレーがなかなかできない。プレーをするときに知ってなきゃいけない状況っていうのは、僕のときが”1″だとすると、今は”100″くらい知ってなきゃいけないかな」
引き合いに出すのは本田(圭佑)だ。
「360度にパスできるからね。いつもアンテナを張り巡らせて、味方の誰がどこにいるかっていうのを把握して、一番良いポジションにパスを出す。敵も見ながら状況に応じて判断して、とてつもないパス出すもんね、本田は。例えば中田(英寿)とはいえ、今まではそういうパスが出せなかった。全然違うもん。中田のパスコースと、本田のパスの意外性っていうのは」
没頭することが人を成長させる
考えることが人を成長させることはわかった。だが何について考えればいいのだろうか?
「考えるには、やっぱり大好きなことに打ち込むこと。いろんな知識が豊富になって、人との付き合いの深みができたり、それがもとになって他のことにも発展したり。だから一つのことに没頭することは人間の成長に大きな影響を与えると思うね」
だが、最近の若者に多いのは”好きなものがない”ケースだ。
「僕の場合はもともと3日坊主でね。あっちこっち好きなことがあって、すぐ飽きちゃって、好きなものが変わっていったんだけど、サッカーが好きになったら一筋だったよね。3日坊主はダメだって言われているけど、要するに新しいものが好きだから3日坊主になるわけで。あちこちに興味を持って、100個目に『これが好きだ!』っていうのが見つかる可能性があるなら、3日坊主は奨励すべきことなんだよ」
曰く「どんどんいきゃいいのよ」と。そのプレイスタイルのように豪快に語るキャプテンは、とてもシンプルで明快な導きを残してくれた。
ヒットメーカーへの道もバイトから
名編集者・見城徹と作詞家・秋元康はなぜ今の仕事に就いたのか? スタートはどちらもアルバイト。大事なのは”覚悟”と”きっかけ”です。
「『覚悟』こそがたった一つの武器」(見城徹)
大学のとき、俺は学生運動をやり過ぎて、Aの数が4年間で4個しかなかった。でも、なぜか卒業ができそうで就職を考えた。今みたいに3年のときから就職活動なんてしてないよ。あんまり身辺調査をされないで行けるのはマスコミくらいしかなかったんですよ。でも、小学館から新潮社までことごとく全部落ちて。それで小さな出版社に入ったんです。
そのあと、たまたま友達のマンションに角川春樹さん(当時の角川社長)が住んでいたんですよ。それで紹介してもらったの。そしたらお前気に入ったと言われて、アルバイトで角川書店に潜り込みました。寝る時間も惜しんで必死でやりましたよ。それで6ヵ月後くらい経って社員になったの。
角川さんとは二人三脚で、彼が発想したものを、現実に落とし込むっていうのが俺の仕事で、ずっと17年間やってきたわけですよ。そういう中で角川春樹さんがコカイン疑惑で逮捕されてしまった。僕は最年少の取締役だったけど、当然、辞任届けを出したんです。そのときにいくつかの大手出版社が来ないかって言ってくれたりして、一人だったら行けたと思う。ところが二十数人が僕について来るって言ってくれた。だから会社をつくるしかなかった。でも会社をつくるのに二十数人なんていきなりは無理だから、6人で幻冬舎を始めたんです。
しょうがなくて始めたことだったけど、今思えば、春樹社長の逮捕に背中を押されたんですよ。僕の今がこうしてあるのは、角川を辞めて、自己破産覚悟で幻冬舎を作ったからだと思う。きっかけというのは誰の周りにも落ちているわけで、それをつかむのは覚悟が出来たときしかない。腹を括れるかどうか。「覚悟」こそがたった一つの武器です。
「人生に一番大事なことは”きっかけ”」(秋元康)
何をきっかけに思うか。僕にとっては、ラジオ局に自分の書いた台本を送ったことが一つのきっかけ。小学生の頃から官僚になりたという夢を持っていて、ずっとアルバイトのつもりで放送作家をしていました。
腹をくくらなきゃいけないと思ったのは、美空ひばりさんの「川の流れのように」を作詞したときに、あの美空ひばりさんが作詞家として認めてくれたんだから、もうアルバイトじゃなくていいか。正社員になれたかなっていう、もう一つのきっかけがそこであるんですよね。この2つのきっかけがつながるんです。それがなければいまだにアルバイトのつもりで、中途半端な気持ちで、なんでドロップアウトしちゃったんだろう……とか思っていたかもしれない。
僕のように、きっかけは偶然の場合もあるし、自分でつくることもある。ただ、大事なのは、「これがきっかけなんだ!」と感じることです。正解は自分で見つける。自分の中にある。