大企業と中小企業で賃上げ対応に格差 実質賃金が物価上昇に追いつかず

物価上昇をカバーする賃上げに踏み切る企業も 写真:ロイター/アフロ

経済

大企業と中小企業で賃上げ対応に格差 実質賃金が物価上昇に追いつかず

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厚生労働省が5月9日に発表した3月の毎月勤労統計調査(速報)によると、物価変動の影響を除いた実質賃金は前年同月比2.9%減と、12カ月連続のマイナスとなった。物価は上昇しているのに賃金が追いついていない、実質的な生活苦が鮮明になっている。今春の労使、賃金交渉では大企業を中心に、労組の賃上げ要求に対して満額回答が相次いだが、このままでは、それもぬか喜びになりかねない。経済の好循環をもたらす鍵はどこにあるのだろうか。

名目上の賃上げはなされたが、庶民の生活は苦しくなっている

2023年の政治的な眼目は、「賃上げ」にあったはずだ。岸田文雄首相は1月5日、経済3団体の新年祝賀会であいさつし、「インフレ率を超える賃上げの実現をお願いしたい」「今年の賃上げの動きによって日本経済の先行きは全く違ったものになる」と経済界の面々に語りかけた。これは、賃上げが産業界全体に広がり、国内消費を喚起することで企業の売上が伸び、日本経済全体が押し上げられる――そうした経済の好循環を実現したいという決意表明だった。労働組合も賃上げ要求で足並みを揃え、連合は2023年の春季交渉でインフレ率を上回る5%程度の賃上げを要求した。その結果、岸田首相の要請を受ける形で大企業を中心にインフレ率を上回るベースアップ(ベア)を含む賃上げが相次いだ。

実際に、厚労省の3月の毎月勤労統計調査(速報)では、賃上げに伴って名目賃金に相当する1人当たりの現金給与総額は、前年同期比0.8%増の29万1081円と、15カ月連続のプラスとなった。しかし、 実質賃金の算出に用いられる、“持ち家の帰属家賃”を除く消費者物価指数(CPI)は、総務省の発表によると3月に前年同月比3.8%も上昇し、約40年ぶりの高い水準にある。つまり、物価上昇を加味した実質賃金は目減りしているのだ。

これは、政府の電気・ガス負担抑制策などでエネルギー価格の伸びが抑えられているものの、食料を中心に価格転嫁の動きは早く、かつ広範囲に渡っているためだ。さらに、帝国データバンクの4月の調査によると、今年1~7月で値上げ済み、または値上げ予定の食品の累計品目数は2万815品目と、前年同時期の約2倍となっている。庶民の生活は確実に苦しくなっている。

加えて、日本経済の根底を支える中小企業の賃上げは鈍かったことも実質賃金の減少に拍車をかけた。このまま、労働者の約7割を占める中小企業の賃上げがなされない以上、岸田政権が求める経済の好循環は画餅に帰しかねない。

物価上昇を価格転嫁できない日本企業の悪循環

実質賃金が減少する一方、円安進行やロシアのウクライナ侵攻に起因する資源高や供給網の分断により原材料費は高騰しており、消費は伸び悩む。中小企業は、足元のコストプッシュ型のインフレに苦しんでいる。実際に日本商工会議所の調査では、原材料費の高騰分を商品・サービスに十分に反映できていない企業は約9割に上る。日本商工会議所の小林健会頭(三菱商事相談役)は、新年祝賀会で「中小企業が自発的に賃上げをできる原資の確保が必要だ。取引価格の適正化による価格転嫁の促進が不可欠だ」と訴えた。

実際に、アメリカが物価上昇をほぼすべての企業が価格に転嫁できるのに対して、日本企業の価格転嫁率は低い。人件費や原価上昇の半分程度しか価格に上乗せできていないのが実情だ。 値段を据え置いて内容量を減らす「シュリンクフレーション」、いわゆる「ステルス値上げ」で対応している企業もあるが、それにも限界がある。低い価格転嫁は利益率を低下させ、収益を圧迫する。結果、賃上げを行う余裕はなくなっていく。まさに悪循環だ。

つまり、現在の日本経済は、慢性デフレに急性インフレが加わった、危うい状況に陥っていると言っていい。労働者側からみれば賃金は上がらないのに物価は上がるというジレンマに陥っている。

大企業はグローバルに標準を合わせて“異次元の賃上げ”

翻って、大企業はどうだろうか。確かに大企業では“異次元の賃上げ”が顕在化している。ユニクロなどを展開するファーストリテイリングは、国内外の給与制度を3月に統一し、国内従業員の年収を数%から最大4割引き上げた。国内で働く約8400人が対象で、国内の人件費は約15%増える見込みだ。同社の単体1698人の平均年収は959万円(平均年齢38歳、2022年8月期)で、平均15%アップするとなると1102万円となり、1000万円を超える。日本人の平均年収は2021年で443万円。いかに高額給与かがわかるが、ライバルのH&Mの12万ドル(約1600万円)などと比べるとまだ低い。

ただし、同社はすでに売上高の半分を海外が稼ぎ出しており、「グローバルな働き方に報いていく仕組みを整えなければいけない」(岡崎健最高財務責任者)との問題意識があった。特に、円安進行に伴い国内の賃金がドル換算で大きく目減りしており、「欧米など海外従業員の年収はすでに国内を上回っている」(小売アナリスト)とされ、早急に不公平感を解消する必要に迫られていた。

人手不足と資金繰りにあえぐ中小企業

一方で、肝心な中小企業では大企業ほど賃上げは広がっていない。一旦、賃金を上げると下げることが難しいためだ。基本給(賃金)の減額は労働条件の不利益変更にあたり、労働契約法の定めによって労働者の同意なく行うことはできない。

そもそも賃上げには定期昇給とベースアップという2つの考え方がある。定期昇給とは企業が定めた基準に沿って定期的に行われる昇給で、主に従業員の勤続年数や年齢、評価結果等に基づいて決定される。一方、ベースアップは全従業員に対して一律で行われるベース(基本給)の底上げで、インフレ時など物価に対して賃金の水準が低く、労働者の生活への支障が懸念される場合に行われるケースが多い。いま主に問われているのは後者のベースアップの引き上げということになる。

賃金の引き上げは当然、企業経営を圧迫する。このため日本企業は賞与の増額や特別賞与の形で従業員に利益を還元し、ベースアップを極力避けてきた。特に中小企業ではこの傾向が強かった。

「新年度は費用が嵩む。4月は中小企業にも大企業と同等の時間外労働の割増賃金が適用される。ベースアップに回せる資金の余裕はない」と都内の中小製造業経営者はこう吐露する。原材料費が高騰しているものの思うように価格転嫁できていないという。こうした苦悩を抱える中小企業は多い。日本商工会議所の調査では賃上げを予定している企業は6割弱に留まる。

だが、それでも中小企業は賃上げを行わなければならないジレンマを抱えている。人手不足による倒産の可能性があるためだ。コロナ禍からの回復過程で、人手不足はサービス業などを中心に深刻化している。賃上げの背中を押すのが、最後は“人手不足による倒産の危機”というのは皮肉でしかない。

国内企業の手元資金は2022年末に約259兆円と10年前に比べ約6割増えた。反面、企業の収益がどれほど働き手に分配されているかを示す労働分配率は2022年末で57.5%と10年前に比べ8ポイント減っている。そこに空前の物価高が襲っている。実質賃金の減少は深刻だ。

2023年は売上の上昇、利益率の向上を通じて賃金が引き上げられるという好循環が実現できるかが問われる年と言える。鍵は中小企業の賃上げが握っているが、余力は少ない。