[特別対談] 創志学園 理事長 大橋 博×ディー・エヌ・エー 取締役 ファウンダー 南場智子

2014.11.10

ビジネス

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創志学園の理事長・大橋博氏と、株式会社ディー・エヌ・エーの創業者であり、日本を代表するIT起業家の南場智子氏が、起業や経営、そして日本の教育のあるべき姿について語り合った。

創志学園 理事長

大橋 博 おおはし ひろし

関西大学法学部法律学科卒。兵庫教育大学大学院修士課程修了。学校法人創志学園の創立者であり理事長。学習塾設立を皮切りに幼稚園、専門学校、高校、大学などを全国に展開。

株式会社ディー・エヌ・エー 取締役 ファウンダー

南場智子 なんば ともこ

新潟市生まれ。津田塾大学卒業後、1986年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。90年ハーバード・ビジネススクールでMBA取得。96年マッキンゼーでパートナー(役員)に就任。99年同社を退社し株式会社ディー・エヌ・エーを設立、代表取締役社長に。2003年内閣IT戦略本部員、規制改革・民間開放推進会議委員などを歴任。2011年、夫の看病のため退任し、代表権のない取締役となる。2013年に出版した自著「不格好経営―チームDeNAの挑戦」(日本経済新聞出版社)は12万部を超えるベストセラーとなっている。

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すべての始まりは父親に抗って進学した東京の大学での学び

大橋 著書「不格好経営ーチームDeNAの挑戦」を読ませて頂きました。DeNAという会社が、どのように誕生し、成長していったのか。また、その前段階として、これまでどのような人生を辿ってこられたのか。南場さんのパーソナリティ形成、という面で深く印象に残ったのがお父様、お母様の存在です。現在の南場さんの活躍は、ご両親の役割が果たすところが大きかったのではないかと感じました。特にお父様に「私の決めた通りにやりなさい」というお考えがあったようですが、当時はどのようにとらえられていましたか。

南場 父はわが家では絶対権力でした。子どもの頃からずっと心の中で『自由になりたい、自由になりたい』と、抗っていました。息苦しい家庭でしたが、その分、母は太陽のように明るくて優しくて。母がそうでなければ、私も姉もおかしくなっていたと思います。

大橋 しかし今の時代、子どもに「こうしなさい」と言う事もできない、権威のない父親が増えていますよね。お父様の”厳しさ”は、南場家をぐっとひとつにまとめるという役割を果たされていたのではないでしょうか。そして、そのお父様とお母様のバランスが絶妙だったのでは、と感じました。

南場 十代の頃は「厳しい父のもとを離れたい」という想いが、とにかく強かったですね。その一心で、父に抗い、初めて成功したのが大学進学でした。女子大である津田塾大学ならば、と最終的に進学先を決めたのは父でしたけれども。津田塾に関しては、最初は「女子大なんて」と思っていたのですが、全学で一人だけ奨学金でアメリカの姉妹校に留学できるという制度があって。私はとにかくその1名の枠を獲得するために懸命に勉強し、留学することができました。振り返ると、津田塾で留学を経験したからこそマッキンゼーに入社できたし、その後ハーバードのビジネススクールにも行けたと思うんですね。こう考えると、結果的には良かったのかもしれません。

大橋 共学だと、物凄く価値観が多様化しますよね。しかし女性ばかりの中で「もう勉強で勝つしかない」と、一番の成績をとって留学された。価値観をそこに絞って頑張ったという点が、南場さんにとって非常に良かったのではないかと思いますよ。そして就職先にはマッキンゼーを選ばれた。その時は、お父様も賛成されたんですよね。

南場 思いがけないことで、びっくりしてしまって。就職は父の言う通りに、という約束で東京に出してもらっていましたから。

大橋 それはある意味、お父様の厳しさの中でこそ磨かれてきた”芽”があったからではないでしょうか。

南場 確かにそうですね。自分で自由にできる事がとても少なかった分、できる事に関しては全力投球した結果なのかもしれません。

大橋 マッキンゼーに入社された後、いったん退職してハーバードのビジネススクールに留学されましたね。そして、再びマッキンゼーに戻られた。これはどういった経緯だったのでしょう。

南場 当時、マッキンゼー・ジャパンには留学制度がなく、辞める以外の選択肢はなかったんです。ビジネススクールを終える時には外資系の投資銀行のほか、マッキンゼー・ニューヨークなどから内定をもらいましたが、ちょうど母が病気になり、そのため日本への帰国を決め、マッキンゼー・ジャパンに戻ることに決めました。

大橋・南場

尊敬できる仲間と起業DeNAは最高のチーム

大橋 マッキンゼーに戻られて、今度は起業を思い立たれた。DeNAの創業当初は随分、苦労されたようですが。

南場 マッキンゼーを退職した後は、もう極貧で(笑)。主人が支えてくれたおかげで食べるものには困りませんでしたが、この時は洋服を3年間で1着も買いませんでした。移動も、マッキンゼーの頃は飛行機であればファーストクラス、ビジネスクラスが当たり前。それが、すべて格安航空券です。タクシーにも全く乗らなくなり、選ぶ靴もかかとの低いものに。ただ、それが大変だったかというと、何ら困ることもないし、平気だったんですよね。

大橋 DeNAのホームページに、当時、苦労をともにされた役員の方々が紹介されていますね。拝見しましたが、皆さん、とても顔の相がいい。私は教育の世界で生徒の顔を50年見てきて、その子が伸びるか伸びないか、今悩んでいるかどうか、分かるようになったんですよ。お写真を見て、こんなにいきいきと素晴らしい方々が組織の中枢におられることに感心しました。

南場 そう言っていただけると、とてもうれしいです。確かにみんな、いい顔をしていますよね。

大橋 役員の皆さんの経歴を見ますと、東京大学、京都大学など、いわゆる難関大と言われる優秀な大学のご出身者が多くいらっしゃいますね。

南場 これはたまたまで、学歴は気にしていません。ただ、賢くなければダメというのはありますね。有名大学出身でなくても、賢い人はたくさんいます。あとは、逃げずに頑張れる人。それから、成功した時にこの人と一緒にビールを飲んでおいしいかな?とか、抱き合って喜び合いたいかな?とか。そういった視点を大切にしています。特に今、社長を務めている守安功ですが、私はこんなにすごい人間をみたことがない。守安との出会いは、私の人生にとって奇跡といえるものです。

大橋 人間とは不思議で、対する人間によって自らも変化してくる。守安さんも、役員の方々も、南場さんとの出会いで何か変わったのではないでしょうか。

南場 そうかもしれませんね。幸いなことに、集まった当初から一丸となって試合に集中できるチームです。船の中の椅子の取り合いに必死になるのではなく、船を漕ぎ、目的地を目指すことだけに全力を尽くせる清々しいチームです。

大橋 それでも、物凄い修羅場をくぐってこられている。今振り返って、ここが一番苦しかったというのはどの時期ですか。

南場 最初に「ビッダーズ」というサービスを立ち上げた時でしょうか。油を差していない自転車を必死になってこぎ続けているような状態でした。何とか黒字になって成長基調に乗りましたが、それまでの4年間はずっと赤字。それはもう、きつかったですよ。

大橋 踏ん張ってやり続けようと、大変な局面を切り抜けてこられてきた原動力はどこにあるのでしょう。

南場 心から尊敬できる人たちと、仕事ができる喜びでしょうね。尊敬できる仲間だから、自分も恥ずかしいところを見せたくないですし。力を合わせて絶対に勝つ、というようなことをやりたかったんですね。

南場

目指す先は、世界 プログラミング教育で次代のリーダーを育てたい

大橋 今は少し後ろに引いた形で経営に参画されていらっしゃいますね。

南場 トップは守安です。私は決定権を持っていませんが、意見はすごく激しく言います。それでも最後に意思決定するのは守安です。昔は逆で、守安がうるさく意見を言ってきて、社長の私が決めていました。その頃から、彼はとても内容の濃い意見を言ってくれたんですよ。必ず、検討に値することを言ってくれる。だから私も、守安がトップになった時には、質の良い意見を言うことこそが恩返しだと考えていました。

大橋 事業継承がうまくいかない企業が多いなかで、貴重な成功例だと思います。

南場 今、すごく楽しいですね。事業の推進は社長時代よりスムーズですし、とても充実しています。

大橋 DeNAという会社をここまで大きく育ててこられた今、次は違った舞台で挑戦したいというようなお考えはないですか。

南場 それはありません。私の今の目標は、世界ナンバーワンのサービスの確立やヘルスケア分野での改革。さらに、プログラミング教育で今の若者を変え、世界でリーダーシップを揮えるビジネス人材を輩出したいとも考えています。そのすべてにおいて、DeNAという”乗り物”で到達できる可能性が高いですからね。

大橋 それは今、外から見えているDeNAとは違う、とんでもない業態変化が次々に現れるかもしれませんね。

南場 DeNAのなかで事業を成功させたいですし、守安はいずれザッカーバーグよりもすごい経営者になると思うので、それも近くで見ていたいと思っています。

“間違わない達人”を量産する教育ではグローバル人材は育たない

大橋 南場さんは教育についてもさまざまな発言をされていますが、現在の教育のあり方をどのようにお考えですか。

南場 今の日本の学校教育には、大きな問題があると思っています。答えはひとつであり、その正解を言い当てる、ということを徹底してトレーニングする。"間違わない達人"を量産するシステムになってしまっています。戦後の大量生産で立国していた時代はそういう人材がベストだったでしょうし、そういった教育制度やシステムが合っていたんでしょう。しかし、今はさまざまな問題の解決をクリエイティブにできなければいけない時代。そういう人材では太刀打ちできませんよね。

大橋 ”間違わない達人”とは名言です。今、ずきっと心に響きました。どこかで誰かと、そういった古い制度やシステムを打ち破るような教育を、ひとつの形につくりあげていくということは、自分にとっても非常に大きな課題だと感じます。

南場 今のままでは、世界の人間とのコラボレーションもできません。パソコンでつながる「オープンソースコミュニティ」という場では、世界中の仲間と共同作業ができますが、日本人の参加者はとても少ない。もっと世界で通用する人材を育てなければ。世界といっても、決して英語ができるということではありません。人種だとか、バックグラウンドに関係なく、どのような環境でもきちんと仕事ができる、成果が出せるという人間です。これこそが、私の考えるユニバーサルでグローバルな人間。こういった人材でなければ日本は救えないと考えているので、教育システムもそういう方向に変えていくべきと思いますが、現実的には非常に難しいです。

大橋 現状は、地位や金を得るための教育に一生懸命になってしまっている。日本の教育が抱えている、解決しなければならない大きな問題だと思いますね。

革新的な教育で次代のジョブズを、ザッカーバーグを

南場 その解決策のひとつを、私は持っているんです。それは、小学1年生からプログラミングを教えるということです。プログラミング技術と英語とタブレットさえあれば、世界の友だちと共同作業ができるんですね。プロジェクトへの参加を通じて、このコミュニティでのリーダーシップをとって、"動くもの"をつくっていく。そうすると世界が一気に広がりますよね。少なくともDeNAは、東大を卒業した人よりも、そうした場で通用する人が欲しいです。

大橋 そういう意味では、日本の教育は世界的な基準とまだまだ差がありますね。

南場 社会保障費の問題一つとっても、日本は他国に例を見ない課題に直面しています。課題先進国です。今までと変わらない前例主義では乗り越えられないですよ。

大橋 それを真正面から見ることをせず、政治も横を向いて行われている。目の前にある課題にどう立ち向かうかを考えるべきなのに、都合の悪いことはないものにしようという社会の風潮を感じます。しかし一方で、こうした日本の未来を変えることができるのは教育の力だと確信しています。私たちもますます頑張っていかねば。将来の日本を担う、逞しく社会を築き上げていく力をもった、若者や子どもを育てていきたいと思います。

南場 同感です。DeNAは今夏、佐賀県武雄市で小学生にプログラミングを教えるプロジェクトをスタートさせました。これが全国に広がれば、20年後の日本には間違いなく競争力がついていると思いますよ。

大橋 それは面白いプロジェクトですね。順調に進む事を祈っています。本日は、ありがとうございました。

挑戦と創造の教育 学校法人 創志学園