佐藤優の名著解説

第2回:北畠親房『神皇正統記』

2014.1.10

ビジネス

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北畠親房『神皇正統記』 『日本の名著9 慈円・北畠親房』中央公論社、1971年に収録(現在は、岩波文庫/岩佐 正 校注版にて入手可能)

今回の名著は、日本人と日本国の多様性を読み解くためのヒントが隠されている。歴史を学ぶことにより、未来を予測することも可能になる。歴史は繰り返すからだ。自国の歴史を知らないで他国のことは理解できない。グローバルな世の中を生きていくためにも、必読の書だ。

日本人でさえ知らない日本人の特徴

外国人と話をしていると、必ず「日本人の特徴は何か」という話題がでる。自分自身の特徴を認識するのは難しい作業だ。北畠親房(1293~1354年)が著した「大日本者神國也(おおやまとはかみのくになり)」で始まる『神皇正統記』(1339年)は、14世紀の書物であるにもかかわらず、現代に通じる日本人の特徴を見事に表現している。原文は中世の古文なので読みにくいが、幸い永原慶二、笠松宏至両先生による優れた現代語訳がある。親房は、本書の冒頭で日本についてこう定義する。

<大日本は神国である。天祖国常立尊がはじめてこの国の基をひらき、日神すなわち天照大神がながくその統を伝えて君臨している。わが国だけにこのことがあって他国にはこのような例はない。それゆえにわが国を神国というのである。>(北畠親房[永原慶二/笠松宏至訳]「神皇正統記」『日本の名著9 慈円・北畠親房』中央公論社、1971年、339頁)

日本(本朝)の特徴は、インド(天竺)、中国(震旦)と比較するとはっきりする。

<中国はとりわけ乱逆で秩序のない国である。昔、世の中がすなおで道が正しかった堯、舜の時代でも賢者をえらんで王位につかせることがあったから、皇統が一筋に定まっているということはない。夏・殷・周以後、乱世となり、力をもって国を争うこととなったから、民衆の中から出て王位についた者もあるし、辺境の戎狄(戎は西方、狄は北方のえびす)から身をおこして国を奪った者もある。あるいは代々王臣の身でありながらその君主を圧倒してついに王位を譲りうけた者もある。伏犠氏ののち、中国では天子の氏姓、王朝の交替は三十六に及んでいるから、乱のはげしさは言語道断というほかはない。この点、ただわが国のみは天地開闢の初め以来今日にいたるまで、天照大神の神意を受けて皇位の継承はすこしも乱れがない。時として一種姓のなかで傍流に伝えられることがあっても、またおのずから本流にもどって連綿とうち続いてきている。これはすべて天照大神の天壌無窮の神勅が変わることなく生きているからであり、他国の場合と全く異なるところである。>(前掲書345~356頁)

寛容と多元性のある国・日本

日本の独自性は、中国と異なり、天照大神から続く皇統が維持されているところにある。裏返していうならば、この皇統が維持されなくなると、日本は日本でなくなってしまうのである。特に中国の影響が及んで、力によって国家権力を奪取できるという事態になると、日本が内側から壊れてしまう。それではどうすれば、日本を維持することができるのであろうか。親房は、天皇をはじめとする国家指導部が、寛容と多元性を日本国家の統治原理に据えることが、鍵になると考え、以下の主張をする。

<天皇としてはどの宗派についても大体のことを知っていて、いずれをもないがしろにしないことが国家の乱れを未然に防ぐみちである。菩薩・大士もそれぞれ異なる宗をつかさどっている。またわが国の神もそれぞれに守護する宗派がある。一つの宗派に志ある人が、他の宗派を非難したり低く見たりすることはたいへんな間違いである。人間の機根(人の心性やその動き)もいろいろであるから、教法も多種多様にある。まして自分の信じる宗を深く学びもしないで、ぜんぜん知らない他の宗をそしるのは罪深いことである。自分はこの宗を信じるが人は別の宗を信じており、それでそれぞれに利益があるのである。これもみな現世だけできまったことではなく、前世以来の深い因縁によるのである。一国の君主や、これを補佐する人ともなれば、いずれの教え、どの宗派をも無視せず、あらゆる機会をつかんで利益のひろまるように心がけるべきである。>(前掲書395~396頁)

寛容は苦難に打ち勝つ勇気を与えてくれる

この多元性と寛容の原理は、学術、芸術、技術においても適用される。そうすることによって、日本の社会が強くなり、その結果、国家も強くなるのである。歴史は直線的には進まない。筋の通らないことがあっても、嘆く必要はないと親房は考える。

<人はとかく過去を忘れがちなものだが、歴史のたどってきた道をふり返れば、天は決して正理をふみはずしていないことに気づくだろう。もっとも、「それならばなぜ天は、この世の現実をあるべき正しい姿にしないのか」という疑問をもつ者があるかもしれない。しかし人の幸・不幸はその人自身の果報に左右され、世の乱れは一時の災難ともいうべきものである。天も神もそこまれはいかんともしがたいことに属するが、悪人は短時日のうちに滅び、乱世もいつしか正しき姿にかえるのである。>(前掲書445頁)

という楽観主義が、苦難に打ち勝つ勇気をわれわれに与えてくれる。