急がば坐れ!~全生庵便り

禅的思考で頭スッキリ 「お金」の正体

2015.11.10

社会

0コメント

それがすべてではないが、すべてでもある――まるでなぞなぞのような性格を持つ「お金」のことが、現代人は大好きです。でも、大人になると、子どもの頃にうれしかった100円ほどの喜びはありません。なぜでしょうか? 毎日坐禅を組み、己と向き合い続ける平井住職が、その答えにたどり着くヒントを教えます。

お金は持つ人の心や品格を映し出す

皆さんにとって「お金」とはどのようなものでしょうか? 一番大切なもの、取るに足らないもの、無いと不安なもの、無くても平気なもの……。人によってさまざまでしょう。現代においては、お金が無ければ生きることはできませんし、最低限の生活をするだけのお金が無ければ人間らしい幸福感を得ることもできません。お金は私たちにとって必要なものであることは確かです。

一般的にお金は物やサービスと交換するためのツールであって、札や小銭自体に意味はありません。にもかかわらず、お金がこれだけ多くの人の人生や、幸福感を左右するのはなぜでしょうか? それは、人の心の有り様や品格など”その人自身”がお金に映し出されるからです。

例えば、お金を人のために使える人と、自分の欲のためにだけにしか使えない人がいるとすれば、それ自体がその人の生き様を表しています。考え方に品がないことの表れだといえるでしょう。
ある人は愛情や感謝などの目に見えない気持ちを、お金で買ったモノを相手に渡すことで伝えます。おそらく、金額の大きさが気持ちの大きさになるのでしょうね。

100万円を稼いだとして、貯金する人もいれば、寄付する人もいる。ギャンブルに使う人や、買い物に使う人など、そこにある感情は実にさまざまです。人間の感情は複雑であり、欲望を否定するつもりもありませんが、それとどう付き合っていくかは大事なことです。なぜならその人の心次第で、お金は幸福をもたらすものにも、身を滅ぼすものにもなり得るから。

平井住職

お金を扱う心が幸不幸をつくり出す

お金の正しい扱い方というものはあるでしょうか? その答えはノーです。一般的に良くないとされている「借金」についても、自己責任の下にするならばOK。後先考えずに無理な借金をして、返済に苦しむのは自分ですから。冷たいようですが、人間の生活すべては自己責任だと考える禅の世界では、人に迷惑を掛けなければ問題ありません。

ただ、お金はときに人を狂わせてしまうことがあります。宝くじに当選して多額のお金を手に入れたからといって、幸せになれるとも限りません。周囲の人から妬まれて、人間不信になってしまう人もいるのです。人は額の多いお金に振り回されてしまう性質を持っているのでしょう。もし本当の幸福を考えるなら、必要以上のお金を持つことは避けたほうがいいのかもしれません。

正しいお金の扱い方をあえて言うならば、自分の身の丈に合った使い方をしなさいということになるでしょうか。

自分の身の丈を問い続けよ

では、身の丈とはいったい何を指しているのでしょうか? 一つは収入。稼いだお金に見合った衣食住をすることはわかりやすい指標だといえます。ところが、多くの人は現状の収入に満足できず、いつも不満を抱いています。お金は足りないと思ったらいくらあっても足りないし、少なくても十分だと思えるならそれで幸せだと思えるのですけど。

要は金額の問題ではなく、その人の心の問題。収入が少なければ贅沢をしないもの身の丈ですし、収入が多ければ大きな買い物や投資をして経済を動かすことも身の丈だといえます。

収入以外に身の丈を知る要素は、生まれた国や家族、学歴、会社、結婚相手、努力で培ったものまで、あらゆるものが関係しています。正直、自分の身の丈は私にもまだわかりません。それでも私は日々の生活において、この食事、この服は身の丈に合っているだろうか?ということを、いちいち考えるようにしています。自分の現状を知り、身の丈に合った生活をするためには、まずはそれを受け入れる心を養うことが必要だからです。

結局、身の丈というのは誰にもわからないものなのだと思います。ただ、「自分の身の丈はどうなのか?」ということを問い続ける、そういう意識を持つことで心が養われ、行動も変わり、少しずつ身の丈に合った生活になっていく。そういうふうに気をつけていれば、身の丈から外れて破たんすることもないのだと思います。

お金が目的になってしまっては、破滅する

 

お金はあり過ぎても困ることはない。だけど、経済的に裕福だからといって幸福だとは限らない。本人たちは不幸だと思っていないのかもしれないが、遺産相続でもめる家族もたくさんいる。

確かにお金は必要条件で、物質的な欲求を満たすにはそれがあることが一番の近道になる。しかし僕は、あり過ぎて不幸になった人たちをたくさん見てきた。

一方、”事業”の目的は金儲けだ。それが悪であることはない。ただ、儲け方や何のためにお金が必要なのかは明確にしておかなければ生き方を見誤ることになる。僕のように事業を始めたばかりだと、目の前のお金に必死になることもあるが、10年も事業を続けたら、”社会のために”という気持ちがなければその後も続いていくことはないだろう。人間の本質も同じだと思う。