国産ジェット旅客機MRJの初飛行成功でも喜んでいられない三菱重工業

2016.1.12

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「日の丸旅客機がついに羽ばたく!」と、メディアが一斉に報じた「MRJ」(三菱リージョナル・ジェット)。2015年11月11日、初飛行に成功、開発主体の三菱重工業(三菱航空機)はホクホクだが、実は諸手を挙げて喜べない理由がある。開発の遅れだ。

5回の初飛行延期に続いて納入も順延

MRJは、日本初の、比較的大きめの、国産ジェット旅客機として注目される。日本は1962年にYS-11という旅客機を開発(2006年に民間フライトから退役)したが、こちらはプロペラ(ターボプロップ)機だった。また、1960年代に三菱重はMU-2を、そしてMRJと並行する形で現在ホンダも「ホンダジェット」なる機体を開発するが、両機ともビジネス・ジェットと呼ばれる、乗客10名程度の極めて小型の機体。これに対しMRJは、乗客100人程度の比較的大きなサイズ(ただし旅客機としては小型)。「リージョナル機」と呼ばれ、主として地域(地方)間を結ぶ路線に投入されるものだ。

新興国の急激な経済発展で人の動きも活発化。小回りが利き経費もかからず、滑走路が短い空港でも運用できるリージョナル機の市場も拡大が見込まれ、今後20年間に5000機の新規需要が創出されるというから驚きだ。

そして三菱重工は、これを悲願成就の”千載一遇のチャンス”ととらえる。同社は太平洋戦争時の傑作機、零式戦闘機(ゼロ戦)を開発した名門だが、戦後、航空機開発からは少々乗り遅れていた。それでも航空自衛隊向けにアメリカの戦闘機をライセンス生産したり、ボーイングやエアバスの旅客機の胴体部分を下請けとして製造したりと、世界屈指の航空機技術を持つ。つまり足りないのは”ジェット旅客機開発”だけだった。

MRJ 初飛行の様子 2015年11月11日
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超慎重な姿勢が悪夢を引き寄せる

だが旅客機といえども商品で、売れなければ無意味。”造れる”と”売れる”は別だ。そんななか、”開発の遅れ”というアキレス腱が気になりはじめている。

MRJの本格開発は2000年代半ばから動き出し、当初”2011年に初飛行、2014年に初号機をANAに納入”を目論んでいた。だが、コンセプト見直しや設計変更、不具合調整などで初飛行時期は5回も延期、結局4年も遅れてしまう。しかも2015年12月24日には量産初号機の納入時期を、これまでの2017年4~6月から1年順延し2018年半ばに順延と公表。「とんだクリスマスプレゼントだ」との揶揄も。試験項目の増強や機体強度のアップなど”超慎重”の結果だ。

だが、新型機開発の場面で計画延期はむしろ普通だが、商品化の順延は研究開発コストの償却や収益が入る時期の順延に直結するだけに、バランスシートへのダメージは少なくない。加えて、事前予約した航空会社からの多額の違約金支払い請求や契約キャンセルのリスクも気になる。

MRJの受注数は400機余りに上り比較的順調だが、実はその内、オプションという条件付きの機体が相当数に上る。要するに”無条件でキャンセル可能”という代物だ。旅客機はエアライン側にとって高価な買い物で、中長期的な経営戦略に基づき購入時期をピンポイントで選ぶはずで、1年の納入遅れは、収益損失を意味する。

仮にMRJのキャンセルが続けば、MRJの量産効果は上がらず価格は上昇、競争力も急激に失い、さらに販売が振るわない、という悪循環に陥りかねない。三菱側にとって悪夢だ。

ボンバルディアの二の舞?

実際、似たような事例が存在する。カナダの航空機メーカー、ボンバルディア・エアロスペースだ。世界のリージョナル機市場を、ブラジルのエンブラエル社と2分する名門(実は同市場には、ボーイング、エアバス両社とも参入していない)だったが、欲が出たのか、100人乗り以上の中・大型機市場への参入に挑み、「Cシリーズ」と呼ばれる機体の開発を推進。

開発に予想以上の時間を費やした上、中・大型機市場を支配する2強、ボーイングとエアバスの返り討ちに遭い苦戦。莫大な開発コストを回収できぬまま業績を急激に落とし、今やカナダ政府など公的資金による救済策で糊口をしのぐ状態。不振の航空機部門を維持するため、堅調な機関車などを造る鉄道事業部門を中国系企業に身売りか、との報まで出る始末だ。

ボンバルディアの不振はある意味、三菱側にとってチャンスだが、一方でMRJとはガチンコの中国版リージョナル・ジェット、「ARJ」が2014年後半から製造をスタート。世界最大規模の旅客機市場をお膝元に抱え、まずは旺盛な国内需要で量産効果を図りながら世界市場をうかがうとやる気満々で、もちろんMRJへの対抗心も剥き出しだ。

今後、最低でも1000機、最終的にはリージョナル機市場の半分、2500機の受注を目指すと、三菱側の鼻息は荒いようだが、”千載一遇のチャンス”は待ってはくれない。

名門・三菱重工が輝きを取り戻すために

 

三菱重工は三菱グループの御三家で、経団連にもたくさんの人材を輩出している名門企業だ。かつては国策企業で、軍需産業の中心にいた。軍需産業は裾野の広さや規模において、技術力向上の一翼を担うが、日本は武器輸出禁輸のため、軍需産業は育たなかった。アメリカのボーイングやダグラス(ボーイングに買収される)などの航空会社は、戦闘機技術から民間航空機に応用されてきた経緯があるが、それとはたどる道が異なる。

零戦で世界最先端の技術を誇っていたといっても、それは昔の話。三菱重工も造船技術では世界の先頭を走るが、宇宙事業の技術では、派生して分かれた三菱電機に先を行かれ、かつての輝きを取り戻すためには民間航空機で世界を席巻するしかない。

しかし、なかなか実用化ができないようでは、その開発コストや信用力で大きく遅れて、逆に屋台骨を揺るがしかねない。航空業界は数年先の投資で航空機を発注するため、納入遅れは命取りになりかねないからだ。日の丸飛行を目指したら、墜落ということにならなければいいが。