日本酒「獺祭」を世界的ブランドに育てた旭酒造の桜井博志会長。杜氏の経験や感覚に頼らないデータ解析による酒造りや精米歩合へのこだわりなど、独創的な方法で成功を収めている。今のポジションを築くまでに、数々の業界の常識を破ってきた桜井会長だが、なぜそれができたのか? 既存体制や常識にとらわれずに事業を成長させる方法、そして次のステージの戦略について、編集長が桜井会長に聞いた。
「獺祭」は異端の日本酒
尊徳 日本酒「獺祭」が売上を大きく伸ばして10年ほどが経ちました。酒造業界でも異端扱いはされなくなってきたのでは?
桜井 いや、どうでしょうか。酒造関係者の集まりで講演をしてくれと頼まれることもありますが、僕の話なんか聞くもんかという人もいますよ。
尊徳 でも、ほかの酒蔵にも「変わらなきゃ」という意識を持った人が増えてきたのではないですか?
桜井 それは当たり前のことですよね。日本酒の消費量は全盛期の3分の1ほどに落ち込んでいます。まともな経営者なら変わらなくてはと考えるはずです。
尊徳 当然、酒造会社もかなり減ってきていますよね。
桜井 それがそうでもないですよ。ちょうど僕が業界に入った1973年が、日本酒の売上のピークで980万石(1石=180リットル、約17.5億リットル)でした。酒蔵も3300社ほどありましたね。現在、売上はピークの3分の1ほどに落ち込んでいますが、酒蔵は1300社ほど存在します。
200~300社に絞られてしかるべき状況だと思いますが、淘汰が進んでいません。経営者が別の会社に勤めたり、不動産収入を得たりして、細々と続いている酒蔵も多い。そうやって一つひとつの酒蔵は残っても、結果として業界全体が淘汰されてしまった感があります。
“女性向け”と謳われた日本酒を女性が飲みたいと思うのか、ちょっと疑問です。
尊徳 なぜ、日本酒は飲まれなくなったのだと思いますか?
桜井 単純に、魅力的な商品を提案できなかったからだと思います。社会が変わった、欧米からワインが入ってきた、ビールに押された……。いろんな言い訳が聞こえてきますが、(酒造会社の)オウンゴールだと僕は受け止めています。
尊徳 社会がどう変わろうと、実際に「獺祭」のように広く受け入れられるお酒もありますからね。
桜井 魅力的な商品を提案しようとすると、日本酒業界では多品種少量生産に走りがちです。若い人に好まれるお酒、女性向けのお酒、そうしたニッチな商品開発をしてみるものの、大きく当たる商品は出てきません。だいたい“女性向け”と謳われた日本酒を女性が飲みたいと思うのかどうか、ちょっと疑問ですよね。
マーケティング会社の言うことを聞いてはいけない
尊徳 では、広く市場に受け入れられるお酒とは、どんなものだとお考えですか?
桜井 おいしいお酒。これに尽きると思います。
尊徳 どうしたら、桜井会長の言うおいしいお酒がつくれますかね。
酒は料理と合わせるものではない?
桜井 マーケティング会社の言うことを聞かないことでしょうか(笑)。業界全体は安価なお酒をたくさん売ろうという方向性ですが、われわれは純米大吟醸に特化して酒造りをしてきました。一時は僕の発言が誤解を生んで、相当なバッシングを受けましたし、自宅に脅迫状が届いたこともあります。
「酒は二級酒がうまいんだ」「特級酒なんか好かん」とは、僕ら以上の世代ではよく聞かれた言葉です。でも、そうは言いながら、みんな銀座の感じの良いバーで上等のお酒を楽しんでいる。お客さんも自分たちが思っていることを必ずしもストレートに話してはいないんです。
マーケティングには限界があるので、それよりも自分たちがおいしいと思うものを大事にするべきだし、僕らはそうしてきました。自分たちがおいしいと思わないものを、売れそうだからといってつくるつもりはありません。
尊徳 以前、菊正宗酒造の嘉納社長(第十二代嘉納治郎右衞門)が、おじいさん(先々代)から「酒は料理の邪魔をしてはいけない。料理と合いやすい“酒”をつくるんだ」という教えを受けたと話してくれました。桜井会長とはまた違った見解ですね。
桜井 料理に酒を合わせるのは、欧米から入ってきた考え方であって、日本の文化に無かったものだと思います。例えば、昔は職人さんが仕事を上がって角打ちでまず一杯、渇いた喉を潤すようにしてぐいと日本酒を飲み干す。それが一般的な飲み方でした。日本酒は日本酒らしくあるべきだから、僕は料理と合わせるなんてことは言いません。おいしいお酒をつくるだけです。
外から業界を見た年月が改革につながった
尊徳 桜井さんは若い頃、先代社長であるお父様と衝突したこともあったそうですね。
桜井 私が(修業から)旭酒造に戻った頃(1976年)から日本酒業界は縮小し始めました。そうなると企業は軋みますよね。父は高度経済成長期の成功体験があるので、昨日までと同じことをただ真面目にやっていればいいという考えでしたが、僕からすると、それはおかしい、このままではもたないという思いでした。
ぶつかった結果、父が「お前なんかもう会社に出てくるな」と言うので、僕も「そうですか、わかりました」と。それから、いったん他業種に飛び込んで、(1984年に)父が亡くなるまで酒蔵を継ぎませんでした。
尊徳 成功体験を持つ人は、そうでない若年者の話をなかなか聞けないものですよね。
桜井 僕も当時は若造ですから、いま振り返れば、大したことは言ってないんですよ。結果的には良かったんだと思います。父にクビにされて酒蔵からいったん離れたから、今がある。一緒にやっていたら早晩、僕が折れて父のやり方を認めることになっていたと思うんです。それでは、父が亡くなった後で何かしようとしても出来なかったでしょうね。
確信なんてあるわけないじゃないですか。
尊徳 お父さんは亡くなっても、従業員の皆さんはお父さんと同じように成功体験をしてきた人たちで、従来のやり方にもこだわりがあったはずですよね。そういう人たちをどう納得させたんですか。
桜井 特に何かした覚えはありません。うちは10年間で売上が3分の1になっていたので、古くからの社員もさすがにみんな危機を感じていました。僕のやることに心底から賛成かどうかはともかく、誰かが公然と足を引っ張るようなことはありませんでしたね。
尊徳 ご自身は(自分の改革が良い結果を生むという)確信があったんですか?
桜井 あるわけないじゃないですか。
尊徳 そんななかで、何をモチベーションにして改革に突き進むことができたんでしょうか。
桜井 それは単純な話です。中小企業の経営者は、銀行から会社に融資を受けるとき、連帯保証のハンコをつくでしょう。酒蔵が破たんすれば自分の生活も破たんする。やらなきゃしょうがないわけです。
尊徳 経営が苦しいとき、人員を整理する考えはなかったんですか?
桜井 確かに、経営が傾いたときの社員には辞めてもらって、新しく若い社員を雇い入れるのが経営の常道だと思います。でも、僕はええかっこしいのぼっちゃんですから、そういうことはできなかった。これは美談にしないでください。当時はバブル景気だし、うちを辞めていたほうが、その人たちも金銭的にもっと豊かになっていたでしょうから。
他業種の改革者、同業種の非改革者
尊徳 ちなみに、桜井さんが「この人は既成概念を打ち破ったな」と認める経営者は誰ですか? 他業種でも結構です。
桜井 まず、ユニクロの柳井正さん(ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長)。衣料の業界もやっぱり縮小傾向のなかで、彼も市場が縮んでいたから改革をやれたと言っていて、僕も影響を受けました。それから、最近(会長兼CEOを)退任されることを発表したカルビーの松本晃さん。オーナー(創業家出身で元社長の松尾雅彦氏)に迎えられて後を託されて、8年連続の大幅な増収という好業績で応えてみせた。すごいことだと思います。
尊徳 退任が発表されたのをきっかけに株価が急落するほど、カリスマ的な存在でしたよね。創業者以外からも名前が挙がって、ほっとしました。
桜井 (社外から招聘された)松本さんのご活躍には驚かされました。企業にはこういう道もあるんだなと。そして、お菓子業界が飽和するなかであれだけのことができたわけですから。
尊徳 ちなみに、日本酒業界ではどうでしょうか。最近は若い人がさまざまな挑戦を始めているようです。
桜井 日本酒業界にも面白い人はいますよ。新政酒造(秋田)の佐藤祐輔さんなんか、僕は大好きです。
でも、業界の中には発想が“前”へ行かない人も多い。そういう人たちはとにかく設備投資をしません。お酒もおいしくて、つくれば売れるのに、生産量が少なくて1年の3分の2ほどで商品が売り切れてしまう。そして、そんな状況にも平気でいる。どんなおいしいお酒をつくったって、そういうお酒に感動はありません。
一般のお客さんにそこまで味がわかるものでしょうか。
業界の慣習よりメーカーとしての大前提を優先
尊徳 旭酒造は酒造りから杜氏制度を廃し、徹底したIT管理を導入しました。杜氏制度をどうお考えなのか、改めて聞かせてください。
杜氏(とうじ)
酒造りの職人集団。受け継がれた技法や経験・勘をもとに酒造りを行う。日本酒を仕込む秋~冬~春(寒造り)にかけて蔵元へ出向き、それ以外の季節は農業・漁業など別の仕事に従事する。南部杜氏(岩手県)、越後杜氏(新潟県)、丹波杜氏(兵庫県)など全国に分布。
旭酒造は、桜井会長の代になってから出稼ぎで訪れる杜氏制度を廃止し、従業員だけで酒造りを行うようになった。
»「まごころや大和魂だけで酒はうまくならない」純米大吟醸酒「獺祭」の生みの親、桜井博志会長のやまない開拓精神
桜井 酒蔵って日本酒メーカーですよね。メーカーなのに、製造技術をつかさどる部門が社外にあるのは危うい体制だと思いませんか? 技術のキモのところは自社で握っているべき。旭酒造がやってきたのは、メーカーとしてごく常識的なことばかりです。
尊徳 ものづくりでも、伝統工芸などアートに近い分野では、職人の技術が出来を左右するし、そこに付加価値が生まれるものですが、日本酒はそうあるべきなのかどうか、考えてみる必要はありそうですね。
桜井 昨日と同じようにやるのは楽なので、そうそう変わっていかないですよね。酒蔵の稼働率にしたってそう。日本酒は寒造りというけど、メーカーとして考えたら、1年365日つくって稼働率を上げるほうが正しい。当たり前の話です。
尊徳 旭酒造はニューヨークで醸造所の建設を進めています。これも、酒造りのノウハウをデータ化してきたからこそ、世界のどこに醸造所を持っても基本的には同じ酒がつくれるというわけですか。
桜井 海外だから出来ないということはないです。ただ、同じ酒がつくれるというほど、酒の発酵は簡単な話ではありません。米って同じ品種でも同じじゃないんですよ。
例えば、僕らは兵庫県加東市藤田地区(特A地区)の山田錦を使いますが、山に近い方の田んぼで取れたのか川に近い方か、それによっても性質がまるで違います。これはデータ化すればするほど、違うものなんだということがよくわかります。
尊徳 なるほど。細部まで突き詰めて、その米に合わせた酒造りができるんですね。しかし、一般のお客さんにそこまで味がわかるものでしょうか。
桜井 自分には味がわからないと思い込んでいる人は多そうですが、実際にはほとんどの人は味がわかると僕は思っています。
これまでは「獺祭」の供給が不十分だったせいで、市場に出ていればとりあえず買うという買い方も多々あったようです。でも、われわれは「足りないから買う」「評判だから買う」というお客さんを追いかけるべきではない。生産体制を増強して出荷量も増やしましたし、今後は「おいしいから買う」というお客さんで消費者の構成図を再構築したいと思っています。
“おいしいということ”のために杜氏制度も業界の慣習も全部放り投げた。
「獺祭」は理系の人間にウケがいい?
尊徳 日本酒は味だけでなく、そのお酒や酒蔵の背景に共感したり、個人的な思い入れを抱いたりして選ぶ場面も多いように思いますが、その点はいかがですか。