佐藤尊徳が聞く あの人のホンネ
『古事記』研究家・吉木誉絵が考える日本人のルーツと主体性
2017.6.12
0コメント写真/芹澤裕介 文/唐仁原俊博
日本人のルーツとして『古事記』を研究し、メディアではさまざまな論客と持論をぶつけ合い、海上自衛隊の客員研究員として国防を考える若手論客、吉木誉絵さんと、尊徳編集長が熱く語り合う対談【前編】。
中国、韓国、北朝鮮、アメリカ、ロシアなど日本を取り巻く国際社会が大きく動くなか、私たちは否応なく人種や国境を意識させられ、日本人としての対応を考える必要性に迫られている。そこで求められるものは何なのか。
日本のルーツを古事記から読み取る
尊徳 吉木さんはまだ30歳と若いけど、そのぐらいの年代の人には珍しく、日本の神話である『古事記』に通じているし、国防や安全保障に関して自分の意見を持っていて、メディアを通じて積極的に発信している。吉木さんにまずお聞きしたいのは、どうしてそういった分野に興味を持つようになったかということです。
吉木 父の実家が島根で、神話の舞台となった場所ということもあり、島根の神話は絵本で読んでいました。しかし、小学生の頃は日本の神話ではなくてギリシャ神話が興味の対象で。休み時間に図書館に行ってはギリシャ神話の本や紙芝居を読んでいましたから、図書館にあったものは読み尽くしたはずです(笑)。
尊徳 「古事記」に興味を持ったのは、もっと後のことですか?
吉木 きっかけは高校のときにアメリカに留学したことです。留学先の高校はキリスト教系の学校で、聖書の授業が必修でした。聖書について学んでいると、西洋の文化が聖書からいかに影響を受けているかがわかってきました。
尊徳 そうですね。世界中、どの地域にも古来の宗教観は根強く残っていて、生活の基本になっている。それこそ1週間が7日で、日曜日が休日というのも、旧約聖書が由来ですよね。
吉木 ものの考え方であったり、自然との付き合い方であったり、「どうして日本人ってこうなんだろう?」と疑問に思っていたことがたくさんあったのですが、『古事記』を読んだことで、「ああ、だからなのか」と氷解しました。それが、日本のルーツが『古事記』にあると考える理由です。
ルーツは知ることにこそ意味がある
吉木 祖先たちがどんな世界観の中で生きていたのか、それを知ることはとても重要なことだと思います。それを好きか嫌いかは、その人の価値観によりますが。
尊徳 西洋だって聖書に書いてあることをそのまま受け継いでいるわけじゃないしね。
吉木 ええ。留学したときにも、聖書の内容に同意できない、信じることができないというアメリカ人にたくさん会いました。でも、それって、知っていて初めて言えることなんです。
十字架を身に着けない人には、身に着けないちゃんとした理由がある。だから、ルーツとなるものが好きであっても、嫌いであっても、例えば聖書に書いてあることについての議論がちゃんと成り立つし、希薄にならない。でも日本人はそもそも、そのルーツを知らないと感じています。
ルーツに無頓着な日本人に僕は違和感を覚える。
尊徳 僕も気をつけるようにしているけど、何かを批判するときって、そのことについてちゃんと知った上でやらないといけない。歴史とか神話についても、それを信じなくてもいいけど、ルーツを理解しているか、いないかで大きな違いがある。
だけど、日本人って本当にルーツに無頓着だよね。たとえば、クリスマスもあんなに盛り上がるのに、本来の意味を知っているかというと全然知らなくて、僕は違和感を覚える。
でもそこに異論を挟むと、「偏屈だなあ。お祭りなんだからいいじゃない」とか言われてしまう。結婚式でも、三三九度をしたと思ったら、次はウエディングドレスで登場したりね。かと思えば、亡くなったら戒名をつける。ぐっちゃぐちゃで、何なんだよって。おかしな国だなあと思いますよ(笑)。
吉木 ある意味、さまざまな文化の良いとこ取りをできるのが日本らしいともいえますが、ルーツを知らないと、上辺だけになってしまう。今の日本は、先人たちが残してくれたことの重みや価値を知らずに、上澄みだけすすって生きているのではないか……。私は、危機感を覚えますね。
もちろん、ルーツとなるものについて、それぞれ好き嫌いはあると思うし、信仰の自由がありますから、押し付けるつもりは微塵もないですが。
尊徳 うん。だからせめて、若い人たちが考えるきっかけにしてほしくて、いろんなことを発信するべく「政経電論」をやってるんだけどね。
なぜ日本は主体性を失ったのか
尊徳 吉木さんが『古事記』に関心を持った理由はわかったけど、そこからどうして、憲法改正の議論とか、国防の問題にまで興味を持ち、発信していくようになったんでしょう。
吉木 出発点は「今の日本に足りないものって何だろう?」と考えたことです。自分のルーツをしっかり見つめることが足りていないなと感じて『古事記』に触れたのと同じように、自分の国を自分で守るという主体性を持った考え方も、日本に欠けていると感じました。
だからもっと考えなきゃいけないし、勉強しなきゃいけないし、自分の考え方を発信する必要があるな、と。
尊徳 なるほど、主体性。どうして日本は主体性を失ってしまったと思いますか。
吉木 きっかけはやはり敗戦でしょうね。アメリカは占領中、二度と日本が歯向かわないように、日本人の支柱を奪ってしまおうと考えた。そこで、それまでの日本は根こそぎ否定されてしまいました。
そのこと自体は悔しいことだけど、敗戦国としては当然といえば当然。そのとき行われた国や歴史に対する誇り、自信を奪う教育は、現在に至るまで大きな影響を残しています。
尊徳 うん。僕は日米同盟の存在も無視できないと思うけど、吉木さんはどうでしょう。
吉木 良くも悪くも日米同盟は現実の脅威をシャットアウトして、認識しにくくする面があります。自衛隊があって、彼らも日本を守っているんだけど、その先には米軍がいて、現実に存在する脅威を、日本が直接浴びることがない。
だから主体性がなくても、ここまでやってこれた。”やってこれてしまった”と言ったほうがいいかもしれませんね。
尊徳 そうですね。国防について、考えなきゃいけないこと、変えなきゃいけないことはいくらでもあるだけど、日本ってやっぱり、ある意味、ボケてしまっているんですよ。
でも国際社会との関係、そして日米同盟があることで、逆にできなくなっていることもたくさんある。日本のメーカーは、本当は国防関連の装備品、もっとつくれるものがあるはずなんだけど、そこに縛りがかけられている。
吉木 もちろん日米同盟はとても大事だし、私は破棄するべきとまでは思いません。ただ、現在の主体性の無さはどうにかしないといけません。
尊徳 脅威は存在しているのに、多くの人はそれに気づいていない。そんな状況だと、防衛費を上げたところで問題が解決するわけではないだろうな。
吉木 防衛費は上げたほうがいいと思いますが、おっしゃるように、ただ上げればいいというものではない。防衛って、その一番根本の部分は、国民一人ひとりの心の内から発せられるものであって、そこを抜きにしては語れません。
先程から出てくる「脅威」という言葉ですが、脅威は「意図×能力」で計るものだとされています。武器の性能や情報力という能力がいくら高くても、「意図」がゼロだと意味がないんですね。
だから中国は、日本を脅威とは感じていません。日本人には自分の国を守る気概がない、つまり日本の「意図」が限りなくゼロだと見ているからです。
尊徳 そういう意味では、ナショナリズムを醸成したほうが勝ちだと思うけど、中国は中国で、ナショナリズムが本当にあるかどうかは疑問なところだよね。
中国に限らず、権力基盤を強固にするために、仮想敵を作るというのは、どこの国でもやっている。ただ、特に中国の場合、国民が13億人もいて、それをどうにかしてまとめなきゃいけない。
しかも内部ではいろんな権力闘争が起こっているでしょ。そこから国民の目をそらすために、外の仮想敵に向けさせる。そういう意味では反日をやめることはないだろうな。
吉木 そこをわかって付き合うことは大事でしょうね。中国、韓国との関係は、反日教育で国をまとめているという現実があるので難しいところがある。ただ、朝鮮半島や中国大陸は古代から日本にとって脅威であったと同時に、先進的な文化を伝えてくれる存在でもありました。
日本は「和」の国で、いろんな文化から良いところを取り込んできたし、人の個性を認めてきた国なんです。
向こうからやってきた渡来人が帰化して、天皇の政(まつりごと)を立派に支えたり、ケンカしていた天皇と皇后の仲を取り持ったという話も古事記に載っています。ですから排他的なナショナリズムには陥らないようにしなければいけません。