最近のNHKにまつわるニュースを見て「公共放送」の意味を考えることが増えた。受信料徴収対象の拡大、最高裁の契約義務規定判断など首をかしげたくなることもある一方、「NHKから国民を守る党」の躍進、スクランブル放送の議論など、NHKにとっての逆風も強くなっている。ネットテレビも一般的になってきたこの時代、国に許認可を受けた上で放送する「公共放送」にはどんな役割があるだろうか?
NHKの権益拡大に不安と不満の声
NHKに猛烈な逆風が吹き始めている。
「NHKをぶっ壊す」というスローガンを掲げ、4月の統一地方選で26名もの当選者を出した政治団体「NHKから国民を守る党」が、参院選に公認候補41人を擁立すると発表したのだ。
もちろん、もし同党の国会議員が誕生したところで、すぐにはNHKが解体されるようなことはないが、同党が主張している「受信料の強制徴収問題」や、NHKと契約した者だけが視聴できる「スクランブル放送」導入の是非などが国政の場で論じられれば、世間の関心度も格段に違ってくる。
つまり、「NHKなんて見てないぞ」と受信料の支払いを拒否したい人々の不満や怒りを刺激して、公共放送としてのNHKの解体を求める声が一気に盛り上がる可能性もあるのだ。
そのリスクをさらに高めているのが、テレビにとどまらず、ネットにまで受信料の網をかるという権益拡大への反発である。
5月29日、NHKのテレビ番組が常に同時にネットで視聴できるようになる改正放送法が成立。これによって、テレビを持っているだけで問答無用で受信料を請求されるのと同様、スマホを持っているだけでも“被害”に遭うのでは……という懸念が高まっている。
ちなみに、このNHKのネット進出には“民業圧迫”という批判も起きている。某インターネットテレビの制作者が憤る。
「民間のアイデアをパクって、潤沢な制作費で本家を上回るコンテンツをつくるのがNHKの常套手段。ネット同時配信がスタートすれば当然、ネットテレビやYouTubeでウケているコンテンツをパクって、それにさらに金をかけたものを流すというのは容易に想像できる。地道に努力する民間企業を苦しめて、何が公共放送だと思いますよ」(インターネットテレビ局社員)
「公共放送」はすでに過去の概念
このような“公共放送失格”の声は他方面からも聞こえてくる。この数年、いわゆるネトウヨの皆さんの間で盛り上がっているNHKバッシングだ。
報道スタンスがあまりにも反政府的、左翼的だ、あるいはドキュメンタリー番組で紹介される歴史認識が偏向しているなど叩かれ、放送法4条で定められた「政治的に公平であること」に反しており、公共放送を名乗る資格が無いというのだ。
これらの批判を見てもわかるように、NHKが自身の正当性を主張する際に必ず持ち出す「公共放送」という言葉が皮肉なことに、アンチNHKの人たちを余計にイラつかせてしまっているのだ。
なぜこうなってしまうのかというと、「公共放送」というもの自体が、実は世の中的にはとっくの昔に終わっている概念となっており、むしろ既得権益を象徴するようなネガティブワードとなってしまっていることが大きい。
NHKがやっていることはNHK以外でもできる
例えば、NHK自身は「公共放送」というものをこのように位置づけている。
「特定の利益や視聴率に左右されず、社会生活の基本となる確かな情報や、豊かな文化を育む多様な番組を、いつでも、どこでも、誰にでも分けへだてなく提供する役割を担っています」(NHKホームページ)
だが、特に若いスマホ世代などは、これを聞いてもまったくピンとこないだろう。
「特定の利益」というが、先ほども申し上げたように、番組内容が“偏向”しているという批判が後を絶たない。「視聴率に左右されない」という主張も、数字の取れそうな人気役者をズラリと揃えた朝ドラや、民放バラエティ化している紅白歌合戦からすれば、虚しく響くだけである。
社会生活の基本となる確かな情報や、豊かな文化を育む多様な番組をやっていると胸を張るが、それは何もNHKだけしかないというわけでもない。民放でも良質なコンテンツはある。また、BS、スカパーなどの有料チャンネル、さらにはネットテレビなども含めれば、個々が求める確かな情報や、文化を育む番組はいくらでも見つけられるのだ。
もちろん、災害報道など民放と比べて、体制や人員が圧倒的に勝っているものもあるが、そのような緊急時に放送局としてのインフラをフル回転させて、正確な情報を国民に届けるのは、何もNHKだけに課せられた話ではない。そのために、放送局は国からの免許を受けて、電波を独占的に使用できて、新規参入規制でガッチリと守られている。
国民が受信料を払ってくれないと災害報道やりませんよ、という理屈は通用しないのだ。
だが、何より噴飯ものなのが「誰にでも分けへだてなく提供する」という点だろう。ご存知のように、民放テレビ、民放ラジオ、ネットメディアが企業努力で、さまざまな情報やコンテンツを無償で提供している。こういうメディアが星の数ほどあるおかげで、われわれは誰でも分けへだてなく情報に触れ、番組コンテンツを視聴できているのだ。
「スクランブル放送」は皆がハッピーに
という話をすると、「それでもやっぱりNHKの番組は民放よりもはるかに質がいい」と擁護する人たちがいるが、ならばそういう人たちはこれまで通りにNHKに受信料を払えばいいだけの話である。別にNHKがなくても困らない、という人たちにまで「公共放送」という錦の御旗を掲げて、問答無用で年間27,360円(BS契約含む/月額払い/継続振込等)を強制的に徴収するということが、あまりに前近代的で、社会の多様性に背を向けかねない行為だと申し上げたいのだ。
かつて国営だった電気、ガス、電話、交通機関などが現在はほぼ民営化されている。まだいろいろと問題はあるが、独占的な立場から、民間との自由競争も行われている。こういう流れのなかで、なぜ放送だけはいつまでもたっても“公共”なのか。
では、この多様性社会のなかで、NHKはどうすればいいのか。個人的には「公共放送」という看板を早々に下げて、「スクランブル放送」を導入すべきだと思う。
受信料を払わない人は、「1」や「3」にチャンネルに合わせても画面にスクラブル(暗号)がかかって何も見られない。しかし、受信料を払えばそのスクラブルが解除されて、これまで通りにNHKが視聴される。スカパーやWOWOWでもすでに導入されているので、技術的にはすぐに実現できるはずだ。
もちろん、災害など緊急時は、スクラブルを解除して、全国民が視聴できるようにする。それは、受信料うんぬんではなく、電波独占使用している放送局が当然、負うべき責務だ。
これならば、受信料を払う人は、そもそもNHKが好きなので、“偏向”などのバッシングも起きない。7000億円という受信料収入は大幅に減るので、NHK的には嫌だろうが、これまで湯水のように使えた制作費の見直しや経営の効率化にもつながるので、長い目で見れば悪くない。要するに、みんなハッピーになれるのだ。
NHKも数あるメディアの中から選ばれる立場
最近、NHKの番組の中で絶大な人気を誇るのが、「チコちゃんに叱られる!」だ。5才の女の子、チコちゃんが、ゲストに素朴な疑問を投げかける雑学バラエティだ。
そのチコちゃんが絶対に投げかけることはないだろうが、皆さんは、なぜテレビ放送が生まれたのかをご存知か。
もともとこれを開発したのは、ナチスドイツ。映画やラジオと同様に、ヒトラーのブランディングと、自国民を“扇動”させることを目的として開発された。要するに、電波を用いて、国民をある一定の方向へ導くことを目的として作られた。
戦後、これをアメリカが引き継ぎ、政治における投票行動や、消費行動を促す効果にフォーカスを当て、野球やドラマなどエンタメ色が強められた。この流れが、戦後日本に持ち込まれたのがNHKである。そういう“国民扇動”をルーツに持つ組織なので、どうしても「われらが愚かな国民を良き方向へと導いてやる」という上から目線の傲慢さが目立ってしまうのだ。
もちろん、こんな考えは時代遅れだ。
ネットの出現によって、多くの人々は、テレビや新聞が作為を持って国民を誘導していることに気づき始めた。一方でネットやSNSも扇動を目的としてフェイクニュースがあふれている。玉石混合のメディアの中から、われわれは自分の意思でどれを信じるかを選び、自分の頭で「公共とは何か」を考えなくてはいけないのである。
そんな時代に、「われわれこそが信頼できるメディアです。だって、公共放送ですから」などと胸を張って、高額な受信料を請求することが、下衆の極みであることは言うまでない。
NHKは「公共放送」という前近代的な価値観にあぐらをかいてきた。そろそろ国民から「ボーっと生きてんじゃねえよ!」とこっぴどく叱られないように気をつけていただきたい。