禅寺では、季節ごとに禅語の軸を寺に掛ける。今回、旧暦では夏となる5月にふさわしい禅語を平井住職に選んでいただいた。そこから見えてきたのは、苦しいときこそ我に返ろうという教え。禅宗ならではの教えや坐禅で、心を軽くしてみてはどうだろう。
◇今回の禅語は…
「薫風自南来」くんぷうじなんらい
“夏の暑さ”にも負けない仏のこころ
「薫風南より来たり 殿閣微涼生ず」という夏にふさわしい禅語があります。出自は、中国・唐代の文宗皇帝が詠んだ詩で、「夏のどんなに暑い日でも、広々とした御殿には薫るような風が南より吹いてさわやかなことだ」という意味でした。それが後に”仏様の心境”として解釈され、「どんなに辛いときでも、それに煩わされずに環境を楽しめたらいいだろう」という禅宗の教えとなったのです。
皆さんが思い描く”仏の世界”は極楽かもしれませんが、実は私たちの世界と同じように、暑い寒いがあり、逆境もあります。それでも仏様であれば、その苦しみに嘆いてただ煩わされるのではなく、環境を楽もうとするはずだという解釈です。つまり何事においても、捉え方次第で幸せにも不幸にもなるということ。
たとえば周りから見たら貧しい家庭でも、本人たちが幸せであればよいし、満たされた家庭に見えても本人たちが苦しみを抱えていたら当然幸せではありません。他人から見えるものではなく、自分自身の心根が肝心なのです。
ビジネスにおいても、最大のピンチは最大のチャンスと言ったりします。失敗をして落ちていく時というのは、きっかけは他人によるものだとしても、最終的に諦めてしまうのは自分自身。自暴自棄にさえならなければ、修復する道はあるはずです。
苦しいときこそ、我に返る
苦しいときでも状況を前向きに捉えるコツは、ふと”我に返る”ことです。人間は、どうしても自分の見たいもの、聞きたいことしか認識できない性質があります。自分自身を鏡のようにして周囲を心に映し出し、冷静に状況を見渡してみる。すると狭くなっていた視野が広がり、さまざまなことが見えてきます。自分はこんなことで悩んでいたのかと気付けることもあるでしょう。それこそが我に返るということ。坐禅もそのきっかけになります。静かに坐り、自分自身と向き合って考えを巡らせてみるのです。
現代は、会社にも家庭にも静かな場所がほとんどありません。絶えず刺激を受けていると自分の内側には入れませんから、現代人こそ、そういった環境に身を置く必要があると思います。父のお師匠さんで、昭和の傑僧と言われた山本玄峰先生は、坐禅が難しければ夜寝る前にその日の自分の行いを省みるだけでもいいとおっしゃいました。それも、辛いときだけでなく毎日行うこと。
日々、自分自身の振る舞いや考えを省みることで、特別に落ち込むようなことがあっても自暴自棄にならず、落ち着いて状況を見渡せる「しなやかな心」を持つことができるのです。
心を晴らす”薫風”はいつもある
私は25才の時に父を亡くし、全正庵の住職になりました。まだ修業中の身で、青天の霹靂ともいえる出来事でした。真っ先に私は、この寺は潰れてしまうのではないかという不安にとらわれました。坐禅の講釈もできない半人前の自分が住職では、みんなが寺から離れていってしまうと思ったのです。誰も坐禅に来なくなり、寺がなくなる夢を見たほど。
しかしあるとき檀家さんが「お寺は檀家のものだから、住職はただ寺に住んでいればいいんだよ」と言ってくださり、「ああ、そうか」と大きな不安が一気に晴れたのです。まさに、「薫風南より来たり 殿閣微涼生ず」の”薫風”、「さわやかな風」が心に吹いた瞬間でした。
私は自分一人で全正庵を支えなくてはと気負っていましたが、檀家さんも若い私にそんな期待をしてはいませんでした。実は自分の頑張りなんて周りから見ればどうということはありません。もちろん一生懸命やることは大切ですが、ときどき我に返って冷静に自分自身を振り返り、視野が狭くなっていないか確認するべきです。
苦しい状況で力足らずだと気付いても、とにかく自分のできることを精一杯やればよいし、頑張ることは当たり前だと思えば楽になるものです。薫風はいつも吹いていますが、それに気付けるかどうかは自分自身ということです。
日本人の心の弱さを知る
日本人は、世界の人々に比べると精神力が少し弱いように思います。先のオリンピックでも、メダルへの大きなプレッシャーに負けてしまう選手が多かった。その理由は「島国」という特殊な環境にあるのではないでしょうか。
大陸にある国々は陸続きに国境を持ち、長い間領土争いをしてきました。海に守られ、侵略されることもなかった日本人のDNAが、逞しく生き抜いてきた彼らと異なるのは当たり前でしょう。その反面、外界から邪魔されることなく大切に育まれてきた独自の文化があります。
和食の繊細さや建築の精巧さ、精密機械の緻密さなど、長い年月をかけて洗練されてきました。日本は世界でも特殊な国なのです。禅宗においても、伝来されてきた中国とは異なる点が多くあります。坐禅で姿勢がブレたからぴしゃりと叩くという慣わしは日本ならではだと思います。いまどきの若者は繊細すぎて扱いづらい……なんて言ったりしますが、相手を気遣えずまともにコミュニケーションも取れないことは逆に鈍感である証拠。繊細さとは、きめ細やかなおもてなしの心や気配り、一生懸命さだと思います。そういった自国の長所や短所、気質や国民性をきちんと理解していくことも、社会で生きていく上で大切なことなのです。