中国が香港政府の頭越しに香港国家安全維持法を制定したことにより、国際間で心配になるのは香港の都市機能だ。トランプ米大統領は7月14日、香港の自治の侵害にかかわった中国や香港当局の人物と取引をする金融機関に制裁を科せるようになる香港自治法に署名し、さらに香港との貿易に関する優遇措置を停止する大統領令を発表、強硬姿勢を強めている。米中に挟まれるかたちで国際ビジネス都市としての機能を失いつつある香港は厳しい選択を迫られている。
「Made in Hong Kong」を「Made in China」へ表示義務付け
香港はなぜ国際的なビジネス都市なのか? 香港には、「アジアの金融センター」「フリーポート(ゼロ関税)」「レッセフェール(自由放任主義)」「低税率(法人税16.5%)」という特徴があり、日系企業を含めた世界中の企業を引きつけてきた。
そのほか、香港を中国とは異なる地域として扱うことを規定した「米国-香港政策法(The United States–Hong Kong Policy Act)」がある。これは1992年にアメリカで制定され、通商・経済に関して、1997年の中国返還後も香港を完全な自治がある地域として扱うことを合意したものだ。世界最大の経済国で、基軸通貨のアメリカドルをもつアメリカが香港を特別扱いするというメリットは非常に大きかった。
しかし、中国の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)の常務委員会は6月30日、香港基本法18条の付帯文書3を利用して香港国家安全維持法を制定し、翌7月1日から施行。トランプ米大統領は香港国家安全維持法の対抗措置として7月14日にアメリカ上下両院が全会一致で可決した香港自治法に署名し、かつ香港への優遇措置を停止する大統領令(EO13936)発表した。
香港自治法は、香港の自治侵害に関与した人物と、それら人物と取引のある金融機関に制裁を加えるもの。指定された人物は、アメリカの司法権の及ぶ資産の凍結やアメリカへの入国ビザの取り消し・国外退去の対象となる。外国金融機関にも規定があり、米金融機関からの融資の停止、外国為替市場での取引の禁止、銀行取引の禁止など多岐にわたる。
優遇措置は、世界貿易機関(WTO)において香港は独立した関税地域とみなし、香港からの輸入関税はほとんどゼロに近いレベルだった。しかし、アメリカ当局は8月11日付で、アメリカが輸入する香港製品に対し、9月26日から原産地を「Made in Hong Kong」から「Made in China」と表示することも義務付けるほか、中国本土と同じ関税率を適用すると発表した。
世界的にはやはりまだ中国製のイメージは良いとは言い切れない。そのため、一部の香港企業にとってはブランディングのハードルが上がることになった。
金融機関は香港国家安全維持法と香港自治法の板挟み
米政府は8月7日、香港への自治侵害などを理由に香港政府トップの林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官、鄭若驊(テレサ・チェン)司法長官や、香港国家安全維持法の施行を受けて新設した治安維持機関である国家安全維持公署の鄭雁雄署長ら11人に制裁を科すと発表した。もし彼らが米国内に保有する不動産や資産があれば凍結される。
米シティバンク(香港内に多数の支店を展開している)は関連口座の一部の凍結に向けた手続きを始めたほか、英スタンダードチャータード銀行は新規口座の開設を停止。影響はそれだけにとどまらず、中国銀行、中国建設銀行ら中国資本の大手銀が新規口座の開設に慎重になっているようだ。
香港国家安全維持法は条文があいまいで適用範囲がわからないことが最大の懸案事項となっているが、香港自治法の一部も同じで抽象的な表現が多い。つまり、何が米金融当局のボーダーラインなのかわからないことが世界中の金融機関の活動を委縮させる。
また、林鄭行政長官は中国のテレビ局のインタビューで「クレジットカードの利用が少々妨げられる」とVisaとMastercardの利用ができなくなっていることを暗に示している。残る決済手段としては、中国人観光客の増大で日本でも利用できる店舗が多い「銀聯(Union Pay)」があるが、もし同カードを持っておらず、中国資本の銀行にも口座を持っていない場合、大変かもしれない。
香港上海匯豊銀行(HSBC)らが香港国家安全維持法を支持したニュースに驚きはなかった。HSBCは英ロンドンに本拠を置くが、出自は中国と香港にある。収益の大半はアジアで稼いでいるため中国市場がなければ一気に経営が傾く。支持をしない、という選択の余地はなかった。しかし、今度はアメリカの対抗措置を受けることになる。米ドルを使わない銀行業務はあり得ないので一気に局面が変わった。
香港国会安全維持法と香港自治法、この2つを同時に遵守しながらビジネス展開をするのはほぼ不可能だ。香港自治法に違反すれば、罰金どころかドル決済ネットワークから追放される可能性もある。一方で香港国家安全維持法に違反すれば第29条、第30条にある「外国勢力との結託」に該当する可能性がある。外国金融機関は、中国とアメリカの両方から制裁を受ける可能性にさらされることとなった。ある意味、究極の選択をしなければならないという厳しい局面に陥ったともいえる。
一番厳しいのはペッグ制の廃止ではなく、SWIFTから除外されること
香港が国際的に重宝されたのは、1米ドル=7.8香港ドルに固定するペッグ制を採用しているという理由がある。ビジネスする側としては、基軸通貨の米ドルと為替レートが固定されているため計算がし易く、決済もしやすかった。もしペッグ制が無くなれば通貨バスケット制(為替レートを複数の外貨と連動させる)などを採用すると思われ、短期的には混乱するかと思われるが、長期的には落ち着くはずだ。
香港にとって一番困るのは、国際銀行間通信協会(SWIFT)による国際銀行間の金融取引ネットワーク(世界の銀行1万社以上が利用)から除外されることだろう。
例えば、邦銀の口座から外国の友人に送金するとき、名義、口座番号以外に相手銀行の「SWIFTコード」というのが必要となる。多くの中華系企業は香港の金融都市の決済機能を利用しており、香港がSWIFTのネットワークから除外されると決済ができなくなり、海外の顧客とのビジネスができなるので大きなダメージを受ける。
友人への送金でいえば[日本円→米ドル→人民元]という流れだからだ。除外されれば、国際的銀行が香港に支店を構える意味がなくなるということになる。
中国は電子決済においては先進国で、一般市民は現金を持たずスマートフォンを通じてQRコードで決済している。中国政府がデジタル人民元を推進しているのは、人民元を使いやすくして国際化を図り、米ドルを介さず直接人民元で取引できる環境を整えて、SWIFTから除外されても大丈夫なようにリスクを低減させようという試みでもあるのだ。
米系金融機関の撤退が大規模フェードアウトのきっかけに…
在香港アメリカ商工会議所は8月13日、会員を対象に香港自治法や香港への優遇措置を停止する大統領令の影響についての調査レポートを発表した。「資本、スタッフ、オペレーションの移転を考えるか」という質問には、「中長期的に移転を考える」が31.17%、「短期的に移転を考える」が4.55%と、合計約4割が香港でのビジネスについて見直すことが明らかになった。
香港にはアメリカの金融機関はほとんど進出していると言っても過言ではないが、米系投資銀行ゴールドマン・サックス、世界最大の米資産運用会社ブラックロックあたりの動向が大きな影響を与えるのではないか。ブラックロックにおいては、シンガポール政府系の投資会社テマセク・ホールディングスが主要株主であり、いつ移転が起きても不思議ではない。
彼らが香港撤退、またはシンガポールあたりに移転を判断したら、日系の金融機関を含めた他国の金融機関も雪崩式に香港から離れていく可能性がある。それに連動して、金融機関と関係の深い世界的な会計事務所、法律事務所、コンサルティング会社もフェードアウトする気がしてならない。