2020年9月16日に発足した菅新内閣で続投となった“
公害対策で先行しながら脱炭素では今や後進国
日本人の環境問題への認識の低さはデータでも示されている。みずほ情報総研が2015年1月にまとめた世界5都市(東京、ニューヨーク、ロンドン、上海、ムンバイ)の地球温暖化に関する意識調査でも、「温暖化に対して備えているか」の問いに「考えている」と答えた割合は、東京30%に対しムンバイ81%、他の3都市も50%前後と高率。大気汚染が深刻な新興国、中国・インドの商業都市が環境問題に敏感なのは納得だが、同じ先進国ながら欧米に比べ日本の方が環境問題への認識が低いのはなぜか。
1950年後半~1970年代前半の高度成長期に深刻な公害問題に見舞われ、厳しい対策を次々に断行し、この間に省エネ戦略も進めた結果、少なくとも1990年代まで日本は自他ともに認める“環境先進国”を謳歌していたはずだ。ところが今やその輝きも失われつつあり、“環境後進国”と囁かれる場面もチラホラ……。
酸性雨は西欧を蝕む「今そこにある危機」
日本人が地球温暖化=脱炭素に疎いのは、公害として実感できない点が大きいようだ。CO2排出は環境に悪い、という事実は小学生でもわかるが、CO2はそもそも口から吐き出している気体であるばかりか、昨今は健康意識高い系の人間が炭酸水を愛飲するなど、ちょっとしたブームになるほど。他の有害物質と違い「今日は大気中のCO2が濃いから気分が悪い」と訴える人はまずいないだろう(もちろん高山地帯の低酸素は話が別)。
この理屈は欧米人でも一緒のはずだが、実際は全くの逆。これには「酸性雨」が現在進行形で欧米、とりわけ西欧の自然環境や住民の健康を直接蝕んでいる、という事実が関係しているのでは。映画化されたトム・クランシーの小説ではないが、まさに「今そこにある危機」である。
西欧人にとって酸性雨は1世紀以上も続く公害で、石油や石炭などの化石燃料の燃焼の際にCO2とともに窒素酸化物(NOx)や硫黄酸化物(SOx)が発生し、雨水を強酸化する現象だ。特に石炭を燃焼した場合が顕著で、19世紀にイギリスで産業革命が最高潮に達し石炭が浪費されると悪化した。その後、西欧全体で工業化が進むと被害は一層酷くなり、ドイツが誇る一大森林地帯シュバルツバルト(黒い森)など、樹木が大量に枯れたり、一見美しい湖沼が実は強酸化で魚も住まない“死の湖”と化してしまったり、さらには大理石で造られた歴史的建造物・彫刻が溶け出したりと目に見える形で被害が続出したのは有名だ。
酸性雨対策に本腰を入れ始めたのはエネルギー革命が起こった1960年代後半からで、産業用エネルギーの主軸が石炭から、窒素酸化物(NOx)、硫黄酸化物(SOx)排出量が圧倒的に少ない石油、天然ガスに移行し、1970年代の2度の石油ショックによる自動車の低燃費化など省エネ化もあいまって低公害化が推進。酸性雨禍は欧米で環境問題を語る上で不可欠かつベースとなる要素で、「石炭は窒素酸化物(NOx)、硫黄酸化物(SOx)を大量に排出、CO2も大量に発生、だから使用しない方が地球環境に良い」という“石炭悪玉論”の三段論法もすんなりと成立してしまったのだ。
日本で酸性雨が深刻化しない理由
ただ酸性雨が工業化の副産物というのなら日本でも被害が深刻化するはずだが、あまり実感がない。実は西欧とは全く異なる日本特有の風土が、幸いにも酸性雨の被害を最小限に抑えている。
西欧の大半は西岸海洋性気候で、スカンジナビア半島が冷帯湿潤気候に属する。冷涼で湿気も少なく年間降水量も日本の2分の1~3分の1と少ない(東京の約1500㎜に対し、ロンドン、パリ、ベルリンは約600㎜)。西から東へと偏西風が常に吹き年間を通じて気象は穏やかで、なだらかなヨーロッパ平原が広がる大陸の西側に大西洋を臨むという位置関係。
対して日本は高温多湿で多雨の温暖湿潤気候が大半を占め、北日本を除き夏季の気候は熱帯地域に匹敵する。加えて年間何本も台風が訪れ、日本海側が世界屈指の豪雪地帯といった具合に気象の変化が激しい。国土は南北に細長い島国で縦深(海岸~内陸の距離)が浅く、平地も少ない急峻な地形だ。
このため日本の場合、仮に大気汚染物質が大量に排出されても、まず雨量が大量のため酸性度が薄まり、加えて急峻で国土の縦深が浅いため、酸性雨はすぐさま海へと流されてしまう。さらに偏西風は日本上空でも西から東に流れているため、工場の煙突などから排出された大気汚染物質を含む煙はすぐさま列島の東に広がる世界最大の海・太平洋に流れ去ってしまう。こうした幸運が重なったお陰で、日本ではあまり酸性雨を問題視する風潮が現れず、ひいては脱炭素もピンと来ないのではないか。
なぜ日本の脱炭素は難しいのか
とはいえ、CO2の排出が地球温暖化を加速させていることは科学でも証明されているだけに、日本でも脱炭素を進めるに越したことはない。しかも日本は自ら決めたCO2削減計画を厳守すると世界中に宣言しており、計画必達は“先進技術立国ニッポン”の沽券にかかわる。
近年はEUが掲げた「グリーンリカバリー」戦略に触発されてか、「日本も石炭火力発電、さらには液化天然ガス(LNG)発電も全廃して太陽光や風力など自然エネルギーをメインにした発電方式へと早急に返還すべきだ」と喧伝する政治家やSDGs推進者は少なくない。もちろん彼らの主張、総論はその通りなのだが、各論となると日本の実情に果たして合うのだろうかと首をかしげてしまう。
私自身も何度となく取り上げてきたが、欧州とは異なり日本の場合“石炭火力の全廃”は現実的ではない。主に(1)電力の安定供給 (2)エネルギー安全保障 (3)電気料金の3点で石炭火力がどうしても必要だからだ。
ここでは詳述は避けるが、まず(1)は太陽光・風力両発電は所詮“お天道様任せ、風任せ”で不安定さがつきまとう。しかも欧州とは違い日本は台風・豪雪に毎年見舞われ、その上地震による被害も圧倒的に多い。風水害や地震による土砂崩れで太陽光パネルや風車が破壊・倒壊し電力供給がストップという事態が頻繁に起きているのも事実。
また(2)エネルギー安全保障に関してだが、石炭火力を全廃する代わりにCO2排出量の少ない液化天然ガス(LNG)火力の比重をさらにアップし、不安定な太陽光・風力両発電を補うベースロード電源(コスト抑え一定の出力を供給)とすべき、との理論もある。だが天然ガスの相当量を国産しているのなら話がわかるが、天然ガスはほぼ全量輸入に頼っているのが現状だ。そんな状況でベースロード電源を事実上天然ガスだけに絞った場合、日本はすぐさま天然ガス産出国に足元を見られ、価格を吊り上げられたり、外交カードに使われたりする危険性がある。“選択肢は多く持つ”というのがエネルギー安全保障の鉄則で、その点で石炭の産出国=輸入先は多岐にわたる。
最後の(3)電気料金だが、石炭は石油や液化天然ガスに比べて安価で電気料金も安くできる。これに対し太陽光・風力両発電のコストも石炭火力と同等かむしろ下回っている、との声も近年強まっている。だがそれは諸外国の話で、額面どおりとらえるのはむしろ危険で精査が必要。
例えば雨がほとんど降らない無人の広大な砂漠を有する中東や北アフリカ、中国のメガソーラー(太陽光発電というよりは“太陽熱発電”の場合も少なくない)や、台風が来ることがほとんどなく、常に一定方向に偏西風が吹く欧州の北海沿岸地域に林立する風力発電ならば発電コストは安くつくはず。しかし、日本の風土や気候がそれと同じであるとは限らないのだ。
日本は「脱炭素」よりも「親炭素」でアピールすべき
「脱炭素」はもちろん地球に優しいが、EUなどの動きに単純に右へ倣えし、「石炭火力全廃し太陽光・風力をメインに」へと盲進するのは危険だ。電気料金が数倍に跳ね上がり天候次第で停電が発生するような日本は、「カントリーリスクが高い」と外資系企業に烙印を押され、続々と撤退されてしまう。それ以前に文化的な日常生活の維持すら危うい。
ではどうすべきか。単に炭素排出を限りなくゼロにするという発想ではどうしても行き詰ってしまうし、無理がある。ならば発想を思い切り転換し、排出するCO2を確実に回収、貴重な資源として逆に積極活用するという戦略を掲げ、世界に向けて強力に発信していくべきではないだろうか。
つまりは「脱炭素」ではなく「親炭素」の着想だ。例えば2019年に東芝は新触媒でCO2をCO(一酸化炭素)に変換、燃料や化学品・医薬品の原料として使用する技術を確立し、2020年代後半の実用化を目指しているという。また日本が得意とするCO2を高効率に回収・貯蔵するCCS(Carbon dioxide Capture and Storage)技術にさらに磨きをかけ、一方回収されたCO2はLED照明で野菜の促成栽培を行なう近未来型の大規模植物工場の“原料”として使用する、という構想も描けるはず。
世界の人口はまだまだ増加し、加えて中国やインド、東南アジアなど新興国の一人あたりGDPも着実に増し、食糧の需要も質量ともにアップすることが確実だ。すでに食糧不足も懸念されるなか、日本はCO2を武器にむしろ食糧増産へと舵を切り、強力な輸出産品に育て世界に冠たる食糧輸出国として台頭という、一大構想を掲げてもあながち荒唐無稽とはいえないだろう。要するに大事なのは“やる気”である。