横綱白鵬を正しく評価する 大相撲への3つの功績

平成20年1月場所千秋楽、相星決戦で朝青龍を下した一番。 イラスト:EleccaTetice

社会

横綱白鵬を正しく評価する 大相撲への3つの功績

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横綱白鵬が9月29日に引退届を提出した。膝の状態が悪いということは誰の目にも明らかではあったが7月場所も全勝優勝しており、健在をアピールした後だっただけにそのニュースは驚きをもって伝えられた。ただ、この大横綱の引退については相撲協会やファンとの対立という、功労者には相応しくない切り口とともに伝えられることが非常に多い。確かに白鵬自身に批判されるべき言動が多かったのも事実ではあるが、この先伝説として語り継がれることを考えると疑問が残る。そこで今回は客観的に見た白鵬の実績について振り返りたい。

名古屋場所のガッツポーズは「引退」でしかつながらなかった

白鵬引退の噂は、確かに7月の名古屋場所の頃からあった。千秋楽で勝っても負けても引退。

名古屋まで駆けつける家族は、取組前から涙を隠しきれない。そして運命の一番ではカチ上げが照ノ富士の顔面をとらえる。しかし優勢には進まない。動きの速さで主導権を握り、渾身の小手投げ。そしてガッツポーズ。

すべてが異常で、前代未聞の横綱のフィナーレに相応しいものだったように思えた。だが、優勝インタビューではそんな噂があるようなことを匂わせることなく次の目標まで、にこやかに答えていた。白鵬が「引退」を口にすることによってそれまでの流れがすべてつながると思い込んでいた私は拍子抜けしてしまった。

結局あの噂が何だったのかは今となってはわからない。ただ、9月場所は所属する宮城野部屋の力士が新型コロナウイルスに感染した影響で休場せざるを得なかったとはいえ、すでに限界だったと考えると7月場所の千秋楽のあの光景について納得できるものがある。

白鵬は、人の想像を超える言動を取ることで常に議論の対象となった。ラフな相撲のスタイルも、率直な発言も、そしてサービス精神によって行ったことでさえ物議を醸してしまう。われわれの定規では測れない何かがこの大横綱にはあるのだ。

白鵬の引退に際して気になったのは、見ている側が功績を正しく評価できていない点だった。第一に語られるのがトラブルや言動、取り口の話。史上最多の優勝回数を誇り、言動も相撲もすべてが規格外というとんでもない横綱を見てきた割に、好き嫌いという最も原始的な切り口が強く出過ぎているように思えてならない。

父親世代には王・長嶋という存在があった。数字で見れば長嶋茂雄より優秀な選手は存在するが、彼らが語り部となることによって長嶋が野球界に対して果たした役割の大きさ、スーパースターたる所以をわれわれ世代も知ることができた。

そういう意味では、今のままでは白鵬が嫌いな人は白鵬を捻じ曲げて伝えてしまうことになるだろう。同じ時代を歩んできた者として白鵬の果たした役割を整理し、正しく伝える義務があるのではないだろうか。

白鵬は、数字の面で史上最強

まず挙げねばならないのは、数字の面で史上最強力士だということだ。

  • 優勝回数45回
  • 年間86勝
  • 63連勝
  • 横綱在位14年
  • 幕内1093勝
  • 7連覇

際立った数字を挙げればキリがない。数字という観点で考えると、年6場所になって以降の白鵬は史上最強力士であると断言できる。どれだけすごいかと言えば、あれほど強かった貴乃花(22回)の倍以上優勝しているのである。

少し意地の悪いファンの方は「強いライバルが居なかった」と指摘するだろうが、これについては3つポイントがある。

まず一つ目は、白鵬が台頭してきたときに土俵を席巻していたのは当時史上最強力士になる可能性のあった朝青龍だったということだ。朝青龍は29歳で引退しているが、25回優勝している。白鵬は引退前直前の朝青龍に7連勝しており、この大横綱を二十代前半にして超えたと言っていいだろう。

二つ目は、外国人力士が数多く入門している時期だったということだ。2000年以降に多くの相撲部屋が外国人力士の獲得に動き、優秀な力士が数多く育った。2021年9月現在では幕内には10人の外国出身力士が居るが、一時は半数の20人ほどが外国出身だった。トップを席巻しかねないという懸念から一部屋1人までという外国人枠を設けたほどだったのである。日本人力士の質の低下という側面はあったかもしれないが、優秀な外国人同士で切磋琢磨してきた時代の頂点に君臨していたのが白鵬だった。

また、三点目に触れておきたいのは朝青龍引退後も決して低レベルではなかったということだ。優勝回数9回の日馬富士と6回の鶴竜は横綱として平均ラインには位置している。むしろほかの時代の横綱よりもレベルが高いといえることは忘れてはならないだろう。

史上最強といえる数字を残し、しかも過去との比較で見ても決してレベルは低くはない。その数字には確かな価値があるのだ。

白鵬は、相撲低迷期を支えた

白鵬が台頭してきた頃は、大相撲が下降線をたどる時代と重なる。朝青龍が巡業を休場中に母国でサッカーに興じていた2007年に白鵬は横綱に昇進している。土俵内外でトラブルを起こす朝青龍に対して品行方正な白鵬という対立構図が生まれ、荒れる朝青龍が相撲界の顔で居座り続けることに“待った”をかけた。仮にこのタイミングで朝青龍だけがクローズアップされ続けていたら、大相撲はさらに大きな批判を受けていたことだろう。

朝青龍が去って以降、白鵬は長い間一人で横綱としての務めを果たした。強い横綱として君臨することによって相撲の価値を高めた。相撲人気の回復には競技としての素晴らしさを伝えられる力士の存在が不可欠で、当時の白鵬は品行の面でも相撲においてもその役割を存分に果たしたといえるのではないかと思う。

白鵬が居たからこそ、その後の人気力士たちの台頭も際立つこととなった。中でも稀勢の里の人気は白鵬との闘いを経て高まっていた。白鵬の強さが稀勢の里を高め、大相撲に物語を生み出し、新しいファンが国技館に足を運んだ。稀勢の里横綱初場所で照ノ富士を下したときのテレビ中継の瞬間最高視聴率は33%で、これに匹敵する数字が出せるスポーツはオリンピックやサッカーワールドカップくらいだ。相撲復活とその後の人気の中心には間違いなく白鵬が居たのである。

白鵬は、相撲の新たな可能性を広げた

白鵬はもともと相手の強さを受け止めるいわゆる「後の先」と呼ばれるスタイルだったのだが、稀勢の里の台頭後これまでに誰も取らなかったようなスタイルで相撲を取るようになった。

カチ上げや張り差しといった戦法を批判する方は多いが、これまでの力士たちが多用してこなかったのはそれだけリスクある取り口だったからだ。カチ上げや張り差しは脇がガラ空きになり、隙を突かれるために白鵬のように大胆には使えなかった。

ただ、白鵬は立ち合いでほぼ完ぺきにこれを決めることにより、相手の動きを止めることに成功した。白鵬はもう引退してしまったが、結局誰も立合いで脇が空くという弱点を突ける者は出てこなかった。白鵬が戦術に取り入れて以降、張り差しとカチ上げを使う力士は前と比べると増えている。

それだけではない。立合いでタイミングを外して出し抜いたり、猫だましで動きを止めたり、土俵際で仕切って立合いの強烈な当たりを回避したりと、誰もが一度は思いつくかもしれないがリスク故に実行に移してこなかったような戦術を自らの相撲に取り入れてきた。

こうした取り口は今まで小兵や格下の力士に許されてきた部分はあるが、上位の力士、特に横綱が実行に移すことはそれほど無かった。横綱には横綱が取るべき相撲と美学があるとされてきたからだ。白鵬がこうした相撲を取るとファンはともかく親方や元力士、そして横綱審議委員会から苦言を呈されてきた。

白鵬の取り口に対して好き嫌いはあると思う。私自身本来は王道の横綱相撲が好きなので、白鵬が普通に勝てるような相手に対してラフに動きを止める相撲を観ると残念に思ったのも事実だ。そして、横綱が取るべきとされる相撲の美しさが大相撲人気を支えてきたという面もあるとは思う。

ただ、白鵬の取り口が一つの契機となってさまざまな選択肢を力士たちが取るようになったとすれば、それは相撲が競技として進化を遂げることにもつながるだろう。白鵬の取り口が極めて有効な戦術だったとすれば、本来勝てないようなタイプの力士でも勝てるようになる可能性はあるし、すでに強い力士が勝つための選択肢をさらに増やすこともできる。

相撲の人気を支えてきた強い力士はこれまでも多く存在してきた。ただ、スポーツとしての相撲を技術や戦略の面から変えてしまった力士がほかに居るかと考えると少なくとも私には思い浮かばない。白鵬は人気低迷から相撲を救ったという意味で短期的な成果を残し、そして戦略面での問題提起がこれからの相撲を導くことになれれば長期的な成果を残すことになるだろう。

確かにすべてを賞賛することができない力士だったことは間違いない。そして、是非ではなく好き嫌いという側面で見ても真っ二つに別れる力士だったことも間違いない。それほど際立った存在だったということだ。ちなみに白鵬のことを嫌いだという人は居ても、弱いという人は皆無だ。強過ぎたことが客観性を奪い、評価を難しくしているといえるだろう。

改めて白鵬という力士を振り返るとその功績の大きさに気づかされる。すべてを許容することはできないし、好き嫌いはあってもよいが、同じ時代を生きてきた者として、これだけの大力士の残した功績には敬意を払うべきではないかと思うのだ。

白鵬を見られたことは好みを超えて財産になる。そう思える日が将来きっと来るだろう。