「日銀新総裁 大山鳴動して安全パイの経済学者に落ち着く」――。岸田政権が決めた日銀の新体制はこう表現できるような布陣となった。舞台裏ではポスト黒田の金融政策をめぐる政府と与党幹部の駆け引き、財務省と日銀の暗闘、日銀OBによる圧力など数々の力学は働いていた。
NHK会長人事の轍を踏みたくなかった岸田政権
政府は4月8日に任期を満了する日銀の黒田東彦総裁の後任人事案を、2月14日に国会に提示した。日銀人事案については当初、10日にも国会に提出される見通しだったが、「荒井秘書官の問題もあり、LGBT法案と日銀人事が重なるということで、LGBT法案の目途を待ってということになっている」(与党関係者)ということだった。いずれも自民党安倍派(リフレ派)の了承が鍵を握るという点で重なるためだ。
また、岸田文雄首相は直近のNHK会長人事で、本命視されていた候補者に電話を入れて断られた経緯があることから、日銀総裁人事については同じ轍を踏まないよう事務方は慎重の上にも慎重にことを運んでいるとされる。
そうしたなか、日本経済新聞が2月10日の電子版で次期日銀総裁、経済学者の植田和男元審議委員起用へと報じた。日経は6日の夕刊、7日朝刊で次期総裁は雨宮正佳副総裁の昇格の方向で調整していると報じていただけに迷走の感が強い。「雨宮氏は2022年末以降、就任を固辞する発言をしていたが、やはり難しかったのか」(メガバンク幹部)と、金融界では驚きをもって受け止められている。
一方、総裁人事と同時に提示される2人の副総裁人事については、前金融庁長官の氷見野良三氏と日銀プロパー理事の内田真一氏が就くことが決まった。総裁、副総裁との事前の予想を覆すサプライズ人事だった。
植田日銀総裁は消去法 雨宮氏は家庭の問題で固辞
当初、本命視された雨宮副総裁については、2月6~7日に日経が雨宮氏に打診と報道していた。にもかかわらず、岸田総理側近の木原誠二官房副長官は「事実ではない」と否定し、岸田首相も「観測気球でしょう」と素気ない反応で終始していた。そして蓋をあけてみれば植田氏の起用。日経も11日付けで「総裁に植田氏、雨宮氏は就任辞退」と報じ、「政府が本命視していた雨宮氏が、今後の金融政策には新しい視点が必要だと固辞した」と、中面で解説した。
だが、読売新聞は11日朝刊解説で「人選は首相、側近の木原官房副長官らが水面下で検討を重ねた。その結果、1月下旬で植田氏の起用が固まった」と報じている。雨宮打診は、読売新聞が報じたように植田起用がほぼ固まった時点でもなお続けられていたのだろうか。実は、雨宮氏が総裁就任を固辞したのは「家庭の事情がある」と日銀関係者は語る。
雨宮氏が「家庭の事情」で昇格を固辞したのは今回がはじめてではない。2012年5月に、本来であれば上がりポストの大阪支店長に就いた時もそうだった。将来の総裁候補の大阪支店長就任という異例の人事に、「当時、ポスト白川方明総裁をめぐる政治の圧力もあり、日銀内部では伝統的な金融政策を重視する派とそううでない派とが反目していた。この混乱に巻き込まれ将来の総裁候補の雨宮氏が失脚してはならないと、大阪支店に一時疎開させた。企画畑一筋の雨宮氏は家庭の事情もあり地方の支店長を経験していなかったので大阪行きもいいのではないかとなった」(日銀関係者)と言われた。一年後、雨宮氏は反目していた白川総裁が退任し、黒田総裁に交代したのに合わせ大阪支店から本店に呼び戻され、再び企画担当理事に復帰したのだが、雨宮氏には常に「家庭の事情」が付きまとっていた。
また、日銀では総裁経験者で有力OBとしていまなお日銀人事に影響力を持つ福井俊彦氏や白川方明氏が雨宮氏に対して批判的であったことも、経済学者で金融政策にバランス感のある植田氏起用に傾いた可能性も指摘される。黒田氏の暴走をとめられなかったというのが雨宮批判の理由だ。日銀生え居抜きの有力OBにとって、異次元緩和の名の下に、野放図に国債を買い続けることは、財政ファンナンスともとられかねないまさに禁じ手だった。
植田総裁起用で固まるまで、次期総裁候補には、雨宮氏ほか元日銀副総裁の山口広秀氏や中曽宏氏、さらに民間から三菱UFJ銀行特別顧問の平野信行氏の名前などが上がっていた。いずれも論客で、金融界のみならず国際的な人脈に優れ、次期総裁に就く可能性はあった。平野氏については、かつて三菱銀行の頭取から1964年に日銀総裁に就いた宇佐美洵氏とオーバーラップしていた。異次元緩和の出口戦略で最も重要視されるのは民間金融機関との対話である。その点、平野氏は最適な人材と言えた。
副総裁には若手文人派が起用
一方、2人の副総裁人事については、「財務省がポストを確保できるのかが焦点」(市場関係者)と見られていた。まず、「多様性に配慮した新しい社会と経済の実現」を掲げる岸田首相に相応しく女性の起用が予想された。候補には、日本総研理事長の翁百合氏か、日銀の各役職で“女性初”のレコードを築いてきた国際派の清水季子理事の起用が有力視された。そして、焦点となるもう一つの副総裁枠は財務省がとり、元財務省次官で、現日本たばこ産業副会長の岡本薫明氏が最有力とみられたほか、元財務省次官で日本政策金融公庫の田中一穂総裁や、同じく元財務次官で日本政策投資銀行会長の木下康司氏の起用が取り沙汰された。
しかし、これらの予想に反して、前金融庁長官の氷見野氏と日銀生え抜きの内田氏という若手文人派の起用で決着した。
氷見野氏は富山県出身、東大法卒で1983年に旧大蔵省(現財務省)入省、金融行政を中心に歩みバーゼル銀行監督委員会事務局長、証券課長、銀行一課長、総務企画局・監督局各審議官を経て、2016年に金融国際審議官に就いた国際派。「3年間に及んだバーゼル事務局長時代には金融危機に備え銀行の自己資本を積み増すバーゼル2の策定に関与、各国の利害が絡む難しい案件だったが調整役として見事にまとめ上げた。この時に培った欧米金融当局者とのパイプが最大の強みだ」(金融庁関係者)という。また、主要国の金融当局でつくる金融安定理事会(FSB)の常設員会議長に日本人で初めて就任した。
氷見野氏は早くから将来の金融庁長官候補と目されたが、2016年に金融国際審議官に就いたことで、一時は“ここどまり”と見られた時期もあった。金融国際審議官は財務省の財務官に相当する、国際畑の最上級ポストのためだ。「19年開催のG20東京サミットの運営責任者の一人として白羽の矢が当たったものだが、これを花道に退任説も囁かれた」(同)。また、遠藤長官と年次が1年しか違わないことや「前長官の森信親氏と近く、遠藤長官が後継指名するかわからない」(メガバンク幹部)という見方もあった。
氷見野氏は、官僚には珍しい一山メガネがトレードマークで、「毎夜、就寝前に海外の古典を原文で朗読することが日課で、50代から中国語の勉強も始め、いま中国語アプリにはまっている。古典は仕事のビタミン剤と語るほどの文化人だ」(金融庁関係者)という。フランスの彫刻家「マイヨール」の伝記や、中国の易経をソポクレスに当てはめた「易経入門 孔子がギリシア悲劇を読んだら」などの書籍も上梓している。こうした文化人的な面も岸田首相、木原官房副長官の歓心を買ったのか。氷見野氏は金融庁長官経験者とはいえ、もともとは財務省入省組。氷見野氏起用に財務省が意を唱えることはないだろう。
一方、内田氏の副総裁起用に、日銀内部は胸をなで下ろしている。内田氏は1986年東大法卒で、日銀入行。新潟支店長などを経て2012年に企画局長、17年に名古屋支店長、18年から理事に就いている。「日銀最年少の40代で企画局長に就くなど、日銀のスーパーエリート」(日銀関係者)と言われる。雨宮副総裁の下、黒田総裁が進めた量的・質的金融緩和を事務方で支えた「政策参謀」で理路整然とした語り口から能吏と見られている。副総裁に残ることで5年後の総裁人事に日銀プロパー総裁誕生の芽は残る。
海外の金融マフィアとの人脈も厚い植田氏
そして植田氏は1998年4月から審議委員として7年間にわたり日銀の政策に携わってきた。総裁起用はノーマークだったという点でサプライズだが、マサチューセッツ工科大学(MIT)留学時代を通じて、海外の金融マフィアとの人脈も厚い。MIT博士論文の指導教官は、中央銀行の理論的支柱とされる元FRB(米連邦準備理事会)副議長のスタンレー・フィッシャー氏で、ベン・バーナンキ元FRB議長や元ECB(欧州中央銀行)総裁のドラギは同じフィッシャー氏の教え子だ。まさに総裁候補のダークホースであったわけで、「植田総裁という奥の手があったか」(与党幹部)と人選の妙に唸る関係者は少なくない。