第二次世界大戦中、日本の統治下にあった朝鮮で、日本企業に徴用されたとする韓国人とその遺族が起こした訴訟問題、いわゆる「元徴用工問題」。戦後、韓国の外交カードとしてたびたび切られてきたが、3月に韓国で発表された“問題解決策”は日本への歩み寄りを見せるものだった。なぜ、韓国はこれまでの反日外交から方針を変えつつあるのだろうか。
元徴用工訴訟問題の賠償金は韓国の財団が肩代わり
極東アジアをめぐる安全保障環境が厳しくなるなか、ここに来て韓国のユン政権が対日関係改善に本腰を入れ始めた。韓国の朴振(パク・チン)外相は、日韓摩擦で最大の懸案事項となっていた元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)の訴訟問題で3月上旬、日本の最高裁にあたる韓国大法院による判決で確定した日本企業による被害者への賠償を韓国の財団が肩代わりする解決策を発表。今後は日本企業が自主的に被害者へ賠償するかに注目が集まることになるが、元徴用工の問題では、韓国が対日関係の改善を向けて大きな一歩を踏み出したことは疑いの余地はない。では、なぜユン政権は対日関係改善を積極的に進めるのか。ここでは3つの背景を提示したい。
融和政策から脱却、緊張が増す南北関係
まず、対外的背景だ。日本と同じように、韓国を取り巻く安全保障環境も厳しさを増している。2022年5月にユン政権が誕生して以降、南北関係は一気に冷え込んだ。2022年、北朝鮮は計29回、55発の弾道ミサイルを発射するだけでなく、2023年2月には北朝鮮の偵察用ドローンが南北境界線を超え、首都ソウル近郊まで接近したと韓国軍が発表。緊張状態が続いている。
ユン政権は対北朝鮮で日米韓3か国の連携を重視しており、前政権のムン政権の融和政策から脱却。米韓合同軍事演習などを通して北朝鮮をけん制している。2月22日にも、米韓は北朝鮮による核兵器使用を想定した合同の机上演習「拡大抑止手段運営演習(TTX)」をアメリカで実施し、3月13日から23日にかけても大規模な合同軍事演習が予定されている。北朝鮮は3月7日、今後アメリカが北朝鮮の発射した弾頭ミサイルなどを撃墜した場合、それを北朝鮮に対する明白な宣戦布告になるとする声明を発表。韓国にとって、日本との関係改善は対北朝鮮でも重要になっている。
冷え込む中国との関係を見据えてクアッドやNATOに接近
そして、日本との関係改善は中韓関係も影響している。中国にとって、韓国が対北朝鮮で日米と結束を図ることはその直接の矛先が自らではないので、ある程度我慢できるかも知れないが、韓国が日本・アメリカ、オーストラリア・インドによるクアッド(Quad)やNATO(北大西洋条約機構)に接近しようとする動きは許容できないからだ。
中国は、自由で開かれたインド太平洋の実現を目指すクアッド、アメリカ主導のハブ・アンド・スポーク(Hub-and- Spokes)型の安全保障体制に接近しようとするNATOの動きに強い懸念を抱いており、2022年夏にユン・ソクヨル大統領がNATO首脳会合に参加したことも良く思っていない。しかし、ユン大統領はクアッドにも強い関心を抱いているとみられる。ユン政権は冷え込む中韓関係を見据え、安全保障と経済の両面で日本との結束を強化したい思惑がみてとれる。一方、韓国にとっても中国は最大の貿易相手国であり今後、岸田政権のように、経済と安全保障の狭間で難しい対中外交を余儀なくされる可能性が考えられよう。
「日本に好感」無視できない若い世代の声
さらに、国内的背景も考えられる。徴用工問題では韓国側が大きく妥協する形になったことで、早速国内では野党を中心に反発の声が強まっている。これをきっかけに今後ユン政権の支持率が降下する可能性もあろう。
ユン政権もそれを覚悟の上で、韓国の国益を総合的に考えて今回の決定に至っただろうが、ここでポイントになるのは若い世代の声だ。公益財団法人「新聞通信調査会」が2月半ばに公表した韓国での世論調査(2022年11~12月に実施)によると、日本に対し「好感が持てる」と答えた人の割合が前回実施された調査から8.7%増加の39.9%となった。これは2015年の調査開始以降で最高記録となる。特に若い世代を中心に対日感情は良く、その理由は文化や社会などソフトパワーの影響が強いためと考えられる。
コロナ禍が終焉に向かうなか、日本を訪れる韓国人も若い世代を中心に回復傾向にあり、韓国全世代に占める若年世代のシェアは今後大きくなる。ユン政権は未来志向の日韓関係を掲げているが、こういった韓国市民の対日認識の変化も考慮し、今回の決断に至った可能性もある。元徴用工の問題で日本に歩み寄る姿勢を見せても、それほど批判を受けないという計算もあったのかもしれない。
改善されつつも予断を許さない日韓関係
では、日本は今回の発表をどう受け止めるべきか。岸田文雄首相も以前、日韓関係の改善は待ったなしとの見解を示したように、経済や安全保障を取り巻く環境を戦略的に考えれば、日本にとっても韓国はパートナーでなければならないだろう。岸田政権がユン政権の韓国と結束を強化する以外に選択肢はない。
しかし、日韓関係は中国や北朝鮮とは異なる特有のリスクもある。韓国大統領は1期5年であり、“ポストユン”の韓国の姿は今日ではわからない。ムン・ジェイン政権の路線を継承する政権が誕生する可能性もあり、そうなればユン政権下で改善した日韓関係が再び冷え込む可能性もある。また、今後のユン政権の支持率次第では、ユン政権の対日姿勢に変化が生じる可能性は排除できない。日本としてはこういった可能性も考慮し、冷静にかつ戦略的に日韓関係の改善を図る必要もあろう。