「容赦ない意見が原動力に」50年ぶりの革新を生んだ同僚のひと言とは?

写真:芹澤裕介

企業

「容赦ない意見が原動力に」50年ぶりの革新を生んだ同僚のひと言とは?

0コメント

ファンケルが開発した「体力を見える化する技術」は、文字通り体力を可視化することで、安全かつ効果的なトレーニングの実現を可能とする画期的な発明だ。私たちのトレーニングに対する価値観や方法論を大きく変える可能性を秘めたこの技術は、小さな倉庫の一角に作った研究室から生み出されたという。どんな苦労や奇跡があったのか、開発者の阿部征次さんに秘話を語ってもらった。

株式会社ファンケル 新規事業本部 ヘルステック事業開発準備室

阿部征次 あべ まさつぐ

岩手県釜石市出身。幼少期より柔道の道に邁進し、北京オリンピック2008にてフィジーの代表監督も経験。その後、柔道家兼研究者として機能性原料の開発に従事。ファンケル入社後は血圧/コレステサポートなどのサプリ開発をし2022年より本技術の研究/製品開発/事業化を進めている。

続きを見る

トレーニングにイノベーションを起こす!ファンケルの「体力を見える化する技術」

2023.5.29

同僚のひと言から再挑戦した研究テーマ

阿部さんは学生時代、柔道に邁進。大学院ではそれに関連して、運動が身体に与える影響を科学する「運動生理学」を専攻。大学で教鞭をとりながら柔道部の顧問として学生の指導にあたり、2008年北京オリンピックではフィジー代表の監督を務めたほか、運動生理学の分野でも学会賞を受賞するなど華々しい経歴をもつ。

2010年10月、阿部さんは大学を辞め、研究者の道へ進むことを決意する。福岡の会社で機能性食品の原料の開発に5年ほど従事した後、2015年11月にファンケルに転職。当初はサプリメント開発に取り組んでいた阿部さんだったが、やがて「健康づくりには、やっぱり運動が大事」との考えに立ち戻ることに。そこから、サプリメント開発の勤務時間外で、自身の専門分野である運動生理学の研究に再び傾倒していったという。

そんな日々が続く、ある日の昼休み。阿部さんはマラソンが趣味だという女性の同僚から「トレーニングの効果を高めたい。私に合ったトレーニングが知りたい」との相談を受ける。阿部さんは持ち前の知識ですかさず「中強度のトレーニングを週3回、1回30分以上するといいよ」とアドバイスするも、同僚には「中強度」がわからない。阿部さんは「中強度っていうのは、少し息が弾んで、ややきついと感じる程度の運動だよ」と言葉で説明したものの、同僚からは「わかりにくい」との反応が。さらに、「誰でも簡単に運動強度がわかる方法を開発できないか」とのお題をもらってしまった。

運動強度を測定する方法は、すでに「呼気ガス分析法」という確立された検査法がある。測定器は、医療機関やスポーツ研究施設、一部のトレーニングジムなどに置かれているが、1台1000万円もする高額の設備であり、主に医療用として設置されているため、誰もが簡単にアクセスできるものではない。また少量の血液から調べる方法もあるが、これも導入施設が限られ、自費で受けるには費用がかさむ。

もっと簡単な検査法で、誰もが気軽に使える技術がつくれないか――。同僚のひと言がきっかけで、阿部さんは大学教員時に取組んでいた研究テーマに再挑戦することになる。

当時を笑って振り返る阿部さん

原料置き場の片隅で、抱く野望

ファンケルのヘルステック事業開発準備室は、専任の社員は阿部さんのみで、他は他部署との兼業で手伝ってくれる社員が3名いるだけの小さな部署だ。というのも、ファンケルではサプリメント事業と化粧品事業が2本の大黒柱という位置づけであり、2022年3月に発足したヘルステック事業は未開発分野で、暗中模索の手探り状態で進めている状況だからである。

そのため、阿部さんが使用している研究室は、荷物でいっぱいの原料置き場の一角。サプリメント開発の勤務時間外で開発を進めていた当時は部屋をせっせと片づけ、どうにか研究用のスペースを確保したという。阿部さんは自身の置かれた境遇について、こう語る。

「本流の事業である舗装された道を歩む生き方は私らしくありません。それよりも自分にしかできない研究をし、新たな道を作りたかったのです。本流以外の研究をしているのに周りからの理解や協力を望むなんておこがましいですよね」(阿部さん、以下同)

今も阿部さんは窓際に設置した、昼間でも薄暗いデスクに向かい、黙々と研究テーマに取り組んでいる。

阿部さんの研究スペース。革新は何もないところから始まった

誰も考えなかった“コロンブスの卵”的奇跡のひらめき

「『呼気ガス分析法』は開発から50年を経た今も不変で、使われ続けているくらい信頼性が高く、精度が高い検査法で、そこに改良の余地はほとんどないと思われました。“誰でも簡単に運動強度がわかる方法”にたどり着くには、高額機器を使用したり、専門知識が必要であったりする従来の方法とはまったく別のアプローチが必要だと思ったものの、ではどうすればいいかは一朝一夕では思い浮かばず何日も悩みましたね」

しかし、ブレイクスルーの瞬間は突然やってきた。お風呂に入って考えていたとき、ふと「パルスオキシメーターが使えるんじゃないか」とひらめいたのだ。

「呼気ガス分析法は呼気中のCO2(二酸化炭素)濃度によって運動強度を知ることができます。私たちの体内ではCO2とO2(酸素)が拮抗しているので、CO2が増えるということはO2が減るということ。つまり、『O2濃度と運動強度の相関関係が立証できれば、呼気ガス分析法に代わる新しい測定法になり得るのでは!?』と思いついたのです。しかもO2濃度を測るにはパルスオキシメーターという手軽な装置があります。これが実現すれば従来のデメリットを一掃する、すごい技術になると直観しました」

このように聞くと、誰もが思いつきそうなアイデアにも思えるが、そもそもパルスオキシメーターは“安静にしている状態”で血中のO2濃度を測定する器具。運動中に使うことなど、ほとんどの人が考えなかった。つまり、阿部さんのひらめきは“コロンブスの卵”というべき発想の転換で、奇跡の瞬間だったといえる。

仮説を立証するため、孤軍奮闘した日々

後になってわかったことだが、実は近い発想をしている企業はほかにもあったという。しかし、その企業は、一度は開発に乗り出したものの、うまくデータ収集や技術への落とし込みができず、結局頓挫したとか。

「研究の世界は、一生を費やしても報われないことも多くあります。私はアイデアを形にすることができて、本当にラッキーでした」

実際に阿部さんも一朝一夕に結果を出せたわけではなかった。その裏にはたくさんの努力と苦労があったという。

一番の問題は研究時間の確保だ。サプリメント開発の勤務時間外で研究を進めているため、本格的な臨床試験(健康な成人を対象とした試験)を実施することができなかった。かといって実験室レベルの研究では信憑性が乏しい。そこで阿部さんは、社長や研究所所長に「研究所の仕事としてこの研究をさせてほしい」と直接掛け合い了承を得た。

社長への直談判で購入できた呼気ガス分析装置。測定に必要なマスクやエアロバイクなど設備も大がかり

次の問題は臨床試験に必要なパルスオキシメーターを準備する必要があるということであった。一般に市販されている1万円以内のパルスオキシメーターは安静時の測定を想定しているので、指につけた状態で運動をすると測定部位がズレたり外れたりしてしまう。そのため、運動をしても正しい数値を測定できる高価なパルスオキシメーターと、それに付随するデータ解析の装置が必要だった。

思いがけない縁で難題を乗り越えた、2度目の奇跡

研究にはもっと精密な装置が必要なことがわかった。それまでの研究に必要な機器は自費(20万円程度)で購入してきたが、さらに上位機種となると、病院で使用されているようなパルスオキシメーターになる。解析ソフトまで入れると簡単に購入できる額ではない(30万円以上)。ところが、追い込まれる阿部さんに再び奇跡といえる出会いが訪れる。阿部さんの保育園時代からの友人が、たまたま、病院で使用されるパルスオキシメーターと解析装置を扱う会社に勤務していたのだ。それを知った阿部さんが早速連絡し相談したところ、なんと無償でレンタルしてもらえることに。しかも友人は研究所の近くに住んでおり、すぐに手配してくれたという。

「物事がうまくいくときは、パズルのピースがはまるように、不思議とラッキーが重なるものだと感じました」と阿部さんは自身の強運を振り返る。

友人のおかげで精密な測定が可能となり、ついに呼気ガス分析法との相関関係を明らかにすることができた。さらにパルスオキシメーターの数値から運動強度を割り出す特許も登録でき、ついに世界初の誰も成し得なかった画期的な技術「体力の可視化」を実現。呼気ガス分析法の誕生から実に50年ぶりの革新となった。

同僚のダメ出しで、より洗練された技術へと進化は続く

現在、阿部さんは次なるステージに移り、「体力を見える化する技術」を実用化するためのデバイスやアプリの開発に取り組んでいる。身体に装着したデバイスとアプリを連携させることで、アプリ上でトレーニングの強度を管理できるようになる仕組みだ。

ほかにも、アスリート向けの専門的なトレーニングや医療現場への応用など、多くの場面での活用が見込まれている。すでに研究機関や企業、自治体などと連携・共同し、人々のもとにサービスを届ける事業化も進行中だ。

まずは順風満帆な滑り出しと言えるが、デバイスの開発にはやや苦戦しているという。

「スマートウォッチやスマートリングなど健康データを測定できる便利なアイテムがありますが、本来、正確な酸素飽和度を測るには毛細血管にセンサーを密着させないといけません。その点で手首や指の根元では毛細血管が少ないのです。そこで指先につけるセンサーを自作したのですが、同僚からは『こんな格好悪い装置、私は着けたくない』との率直なコメントが(笑)。もっとファッショナブルかつ機能性に優れ、違和感のない装着感を実現するのが今の課題です」

同僚に「ダサい」とダメ出しされてしまった試作品

正直な意見をポンポン言ってくれる同僚はいまや頼もしい相棒だ。阿部さんがこれくらいでいいだろうと思うことも妥協を許さず、より高いレベルを求めて来る。そういう意味で阿部さんの力を引き出すプロデューサー的な存在と言えそう(阿部さん談「いつも感謝しています」)。

他企業との連携が進めば、デバイス開発も一気に進む可能性がある。今後はメンバーの拡充や広い研究スペース、ファンケル内の他部署との連携も必要になってくる。

「ここからは周囲の社員も多く巻き込んで、事業化に弾みをつけていきたいですね」と阿部さんは抱負を語る。

ファンケル事業の3本目の柱としての可能性

化粧品とサプリメントを本流とするファンケルは、阿部さんの開発についてどのようにとらえ、今後どう扱うのだろうか。

「ファンケルの理念は“世の中の『不』を解消する”です。1980年の創業当時は、添加物配合の化粧品が問題になっており、『肌に良いものを』と無添加化粧品を開発しました。1990年代には粗悪なサプリメントが横行していたことで、高品質のサプリメント事業をスタートしています。しかし、化粧品とサプリメントだけで美と健康を叶えるには限界があります。阿部のいう通り、やはり運動は欠かせません。今回の技術開発を皮切りにファンケルが未着手だった運動のカテゴリーを切り拓き、第3の事業の柱として育てていけたら。そして、世の中をもっと元気にしていけたらと考えています」(広報担当者)

倉庫の片隅でひっそりと始まった研究が、企業の新たな可能性を広げ、ひいては人々を幸せにする――そんなドラマチックな展開が今後、期待できそうだ。