「らくらくホン」や「arrows(アローズ)」シリーズ、「らくらくスマートフォン」で知られた携帯電話ベンダーのFCNT(神奈川県大和市)と親会社のREINOWA、スマホ製造子会社のジャパン・イーエム・ソリューションズ(JEMS、兵庫県加東市)の3社は5月30日、東京地裁に民事再生法を申請し、倒産した。 負債総額は保証債務を含めて3社合計で1775億円に達していたという。携帯電話がスマートフォンになってから国産メーカーの撤退が相次ぎ、FCNTは“最後の砦”とも言われていた。かつて隆盛を誇った国内メーカーはなぜここまで縮小したのだろうか。
国内シェア3位だったFCNTもコスト高に勝てず
FCNTの経営破綻の原因は、原材料費の高騰や円安などによるコスト高に伴い資金繰りに窮したとされる。だが、FCNTのスマホは、国内シェア3位のメーカー。売れないどころかシニア層に広く浸透しているブランドだ。「調査会社MM総研が5月に発表した2022年度までのデータによると、FCNTは全携帯電話で3位、スマホに絞っても5位につけていた」(大手信用情報機関)という。特に「らくらくホン」は2012年に発売したスマホ版だけで700万台を販売した大ヒットブランドだ。
幸い「らくらくホン」などを取り扱うNTTドコモは、「端末の利用者向けのアフターサポート体制を整え、販売を継続していく」とコメントしたことで、シニア層は安堵したが、修理やサポートは、メーカーではなく、購入ルートに依拠する状況だ。
また、FCNT自体は、携帯端末の製造販売を続けることは困難として事業を停止。販売済みの携帯端末の修理・アフターサービスについても一旦停止するとしている。「FCNTは、主要事業の端末製造はスポンサーが見つからず撤退する。事業価値はほぼ毀損しており、限りなく破産に近い撤退戦との印象を受けます」(大手信用情報機関幹部)という厳しい状況に変わりはない。
FCNTの前身は富士通 携帯電話事業の黄金期
FCNTは、富士通の携帯電話事業が母体。その凋落は2018年1月に富士通グループが携帯電話事業からの撤退を表明し、投資ファンド傘下での再スタートを切ったことに始まる。しかし、「群雄割拠が続くスマホ市場で、独自性を出してシェアを伸ばすことが難しく、FCNTは費用負担がかさむなかで事業開始から2022年3月期決算まで継続して最終赤字を計上。採算ベースに乗せることができないまま、次第に経営が不安視されるようになっていった」(大手信用情報機関)という。
そもそも、FCNTの前身である富士通グループの携帯電話事業がスタートしたのは、1991年と古い。NTTドコモ向けの第1世代携帯電話の発売を皮切りに、時代の変遷に合わせて「ガラケー」(フィーチャーフォン)から「スマホ」(スマートフォン)に至るまで豊富なラインナップを展開してきた。
端末はスマホに不慣れなシニア世代にも使ってもらえるようシンプルな仕様で、老眼で小さい文字が見にくくなったシニアにも使いやすいように文字やアイコンを大きくしたり、シニア層が使いたいと思う機能を増やすなど、きめ細かい対応を図った。例えば、通常のスマホよりボタンも押しやすく、相手の声をゆっくりと聴きやすいなどの機能を拡充した。
こうして培ってきた「arrows」や、シニア世代をターゲットとした「らくらくホン」「らくらくスマートフォン」シリーズは一定のブランド力を有し、グループの代名詞的な存在に成長した。1990年代~2000年代初めのこの時期、国内の携帯電話市場では、NECや日立製作所、シャープ、ソニー、パナソニック、京セラ、三菱電機など、大手電機メーカーを中心に10社を超える企業とともに携帯電話市場で凌ぎを削った。まさに黄金期だった。
国内のガラケーを海外スマホが駆逐
ところが、ガラケーからスマホへの移行期を境に、国内の携帯端末市場は大きな転換期を迎える。ガラケーで一斉を風靡した国内メーカーだったが、割安な海外勢に押され、急速に競争力を失っていった。
「国内メーカーは、NTTドコモが1999年に携帯端末を使ったネットサービス『iモード』、を開始したほか、カメラやワンセグ視聴機能、『おサイフケータイ』などの独自の機能を世界に先駆け開発、リードしてきたが、スマホへの移行に遅れ、劣後していった。その様は、外部から隔離された生態系が残るガラパゴス諸島になぞらえて『ガラケー』と呼ばれた」(ITアナリスト)。
さらに、当時の国内の携帯電話端末メーカーは、NTTドコモやKDDIなどの通信キャリアに対し、端末をOEM(相手先ブランドによる生産)供給するスタイル。通信キャリアは原則として年2回、夏と冬に新製品発表会を実施し、各社はそれに合わせて端末を供給していた。通信キャリアごとに“ガラパゴス化”されていたのだ。
しかし、アメリカのアップルが2007年に初のスマートフォン「iPhone」を発売。翌年には日本でも「iPhone3G」がソフトバンクから発売された。それを皮切りに、韓国サムスン電子や台湾製のスマホなど中、韓メーカーも台頭。潮目は大きく転換し、競争環境は激変した。
キャリアの開発費が縮小する一方、メーカー側の体力がモノをいう時代になった。潤沢な開発費を持ち、体力に勝るアップルは日本のスマホ市場を席捲していき、一時は7割近いシェアを持つほど巨人化した。対照的に、競争に負けた国内メーカーは携帯端末生産から次々と撤退していった。
まず、三菱電機が2008年に早々と携帯事業から撤退。その事業を京セラが買収した。NECは2010年にカシオ・日立製作所の携帯事業と統合し、規模の利益を追求するが、2013年にスマホ事業から撤退を決めた。時期を同じくして、パナソニックも一部法人向けは残るものの、国内個人スマホから撤退。残る携帯電話メーカーは京セラ、シャープ、ソニーグループ、FCNT、そして2021年に新規参入したバルミューダとなったが、2023年に入り、5月12日にバルミューダがスマホ事業からの撤退を表明。京セラも2025年3月までに、個人向けスマホ事業からの撤退を決めた。
残るシャープはアップルに次ぐ国内シェアを持つが、同社は台湾の鴻海精密工業の傘下になっている。最後の希望は「エクスペリア」シリーズのソニーグループとなるが、同社はエクスペリアシリーズを国内外で展開しているものの、販売は芳しくなく、むしろ海外のハイエンドモデルに注力している。
そしてFCNTは、前身の富士通携帯が2010年に東芝の携帯電話事業と統合され、富士通が引き継いで以降、ソニー、シャープなどとともに国内スマホメーカーの牙城とされてきたが、2018年にはついに携帯電話事業からの撤退を表明した。経営権が、投資ファンドのポラリス・キャピタル・グループへと移ったためだ。それに伴い、製造部門のJESとともに、富士通グループから離れることになった。 その後もFCNTは、メイドインジャパンにこだわったものづくりを前面に押し出して事業の継続を模索したが、それから5年。業績がふたたび浮上することはなかった。
国内メーカーのスマホ移行を阻害したレガシー
民事再生法は、あくまで“再生”を前提としており、スポンサーを見つけることができれば、事業継続できる。FCNTの引受け手はいないのか。
「韓国メーカーが引き受ける可能性はありますが、LGエレクトロニクスもスマホ事業からは撤退済み。残るはシャープくらい。今でもシャープはスマホのAQUOSシリーズだけでなく、子ども向けケータイのmamorino(au)や、シニア向けのかんたん携帯(ソフトバンク)などを手がけています」(メガバンク幹部)という。
2022年の国内携帯電話出荷台数(スマホと従来型携帯電話の合計)のメーカー別シェアは、首位が11年連続でアップル(48.4%)。以下、シャープ(11.1%)、FCNT(10.3%)、韓国サムスン電子(9%)、ソニーグループ傘下のソニー(7.5%)の順となっている。まさにアップルのiPhone一強という状況だ。
スマホ開発で、アメリカに遅れをとった日本の携帯電話メーカー。そのツケは時間とともに広がり、ついにFCNTの経営破綻となって顕在化した。「ガラケー時代は、開発から製造、ソフトウェアまで1社で手掛ける垂直統合が主流で、日本勢の独壇場だった。それがスマホ時代に入り、役割を分担する水平分業に移り、日本勢はレガシー(成功体験)が大きかった分、移行に乗り遅れた」(ITアナリスト)とされる。割安な端末では、中華系スマホの台頭も顕著だ。日本勢の生き残りは容易なことではない。