イラスト/朝倉千夏

社会

よりよいビジネスライフのための禅語 心を整える3ステップ

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“今”をシンプルに生きるという禅の心構えは、ビジネスにも通じるものがある。ストレスにさらされながら仕事に追われるサラリーマン、社会に出ることに期待と不安を抱える大学生に向けて、全生庵の平井住職が禅語を通して仕事との向き合い方を説く。

臨済宗国泰寺派全生庵 住職

平井正修 ひらい しゅうしょう

1967年東京生まれ。臨済宗国泰寺派全生庵七世住職。1990年、学習院大学法学部政治学科を卒業後、2001年まで静岡県三島市龍澤寺専門道場にて修行。2002年より現職。2016年4月より日本大学危機管理学部客員教授として坐禅の指導などを行なう。著書に、『とらわれない練習』(宝島社)、『男の禅語:「生き方の軸」はどこにあるのか』(知的生きかた文庫)など。

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[STEP1]百雑砕(ひゃくざっさい)

勝手な想像を木っ端みじんに

「百雑砕」とは、あらゆるものを木っ端みじんにするということ。新しい仕事を始めるとき、多くの人が「こんなふうに仕事をして、こんなふうに評価されて……」と輝かしい未来予想図を思い描くだろう。しかし、想像通りにいくことは、まずない。自分勝手な想像に現実を当てはめようとすれば、さらに苦しいだけである。「こんな仕事はプライドが許さない」なんてこだわっているうちは、完全に二流。そんなもの砕いてなくすべきなのだ。

与えられた仕事が想像と違っていて、「なんでこんなことをしなくてはいけないのだろう?」と思ったら、その想像を砕き、とにかく目の前の仕事に神経を集中。ただただ一生懸命にやるのである。そうして本気で取り組んだ先には、必ず何かが見えるはずだ。

もしそれでも「違う」と思ったら辞めればいい。一番問題なのは、理想と現実の間で悩み続けること。実行した末に自分のなかで答えが出たなら、よりよい選択ができるはず。どう受け止め、選択していくかも自分次第だ。

百雑砕
やりたい仕事をバリバリして、上司や同僚から評価される……という理想は百雑砕!

[STEP2]心身一如(しんじんいちにょ)

我を忘れて仕事に打ち込め!

よく、仕事や読書などに集中して、気づくと何時間もたっているようなことがある。その最中は、目の前のことに夢中で自分がどういう状態にあるかなどまったく意識していないものだ。この状態こそ「心身一如」である。

仕事でもスポーツでも、最高のパフォーマンスを出すためには心身一如にならなくてはいけない。例えば、新入社員が最初にやる一見簡単な単純作業も、やりたくないなと思いながらやっているうちは必ずミスが出る。当然、効率も落ちる。どういう心持ちで仕事をしているかは、自然と結果に表れてくるもの。集中していなかったり、別のことを考えていたりすると、それなりの結果しか出せないのだ。

何事も、”やらされている”うちは何も生み出されない。目の前のことに集中し、自然と心と体が一つになる瞬間を体感しよう。

心身一如
心と体が一つになると、自分の想像を超えるパフォーマンスを発揮することも。

[STEP3]日々新又日新(ひびあらたにしてまたひにあらたなり)

最高の一瞬の積み重ねが曇りのない心をつくる

「日々新又日新」とは、日々、新しい自分に生まれ変わり続けていくこと。生きることは一瞬の積み重ねだ。一瞬一瞬を最高のものにするためには、過去の成功に慢心せず、「心身一如」の状態を繰り返すしかない。それが禅でいう悟り、曇りのない心をつくっていくのだ。

毎日のルーティンワークでも、目の前の小さな決断を常に全力で下していけば、進歩し続けることができる。それが結果として大きな成果、成功に結びついていくのだ。

日々新又日新
一段一段を丁寧に磨くと、気づけば自分の後ろにピカピカに輝く長い階段ができている。

肯定することで自分が楽になる

昨日よりも今日の方が死に近づく。1秒1秒寿命を潰して生きているのだから。明日世界が滅びるとしたら、全力で今を生きるはず。目の前のことに全力投球をしないければ後悔することにならないだろうか?

集中して事に及び、1日1分の時間を短縮できたら、一年で365分の時間が余計に使える。どんなことでも目の前のことに一球入魂で挑めば必ず結果はついてくるはず。そして、どんなことでも目の前に起きたことを肯定することで、自分も楽になる。

シンプルに生きるということ

文庫版「人生を変える禅の教え」(宝島社) 平井住職が禅語を通して説く”捨てる”極意。