経済

日本の航空業界勢力図/ガチンコ! 航空業界

0コメント

日本の上空が慌ただしくなってきた。スカイマークがANAの軍門に下り、国内は事実上「JAL対ANA」の2強体制に収斂。加えてインバウンドの急増や東京オリンピック、LCCの台頭、空港の規制緩和、米巨大航空会社の対日戦略、国産旅客機開発などキーワードが目白押しだ。 国内の航空会社は、大きく分けてJALグループ、ANAグループ、それ以外の3つに分けられる。各航空会社の特色とともに、それぞれの勢力の違いを見ていこう。

JALグループ
「親方日の丸」から一転して破たん、再チャレンジで臨む「鶴丸」の底力

JAL

JAL[日本航空]

設立は1951年。戦後、連合軍の航空会社設立禁止令が解除されたのを機に準国営企業としてスタート。戦後初の定期便を羽田~伊丹~板付(福岡)で開業し、順調に国内路線を展開。1953年には初の国際線、羽田~ホノルル~サンフランシスコ便を就航、北米やアジア地域に航路を広げる。

1964年の東京五輪を機に海外旅行が解禁されると海外パック旅行「ジャルパック」を開始、高度経済成長の追い風を受けて業績はうなぎ上りに。1983年には、旅客・貨物の国際線定期輸送実績でアメリカ勢を抑えてついに世界トップになる。

だが、1985年に各航空会社の参入空路を規制する「45/47体制」(航空憲法)が廃止されると、宿敵ANAが国際線に進出するなど競争は激化、さらに同年の日航機墜落事故で逆風が。

1987年株式公開で完全民営化するが1990年代に入ると平成大不況が襲う。加えて空前の海外旅行ブームとなるが、格安航空券の台頭で業界全体が利益にならない「豊作貧乏」に突入。苦境に陥った業界3位の日本エアシステム(JAS)を2002年に事実上吸収するが、複雑な労組問題や過大な投資がたたり2010年倒産。京セラの稲盛和夫会長が再建請負人となり短期間に復活、2012年再上場を果たした。

»【Interview】会社更生法適用から5年 JALは変わったか/JAL植木義晴社長

JALSKY SUITEを導入したB777-ER。

J-AIR

J-AIR[ジェイエア]
◇エリア:国内の主要都市間

100%子会社のJAL直系で、グループ内では伊丹を拠点に新千歳や仙台、新潟、羽田~三沢、山形、福岡~仙台、新千歳~仙台、新潟など地方の主要都市間路線を担当とする存在。すべてJALの看板で運行、要するに親会社のフライト請け負い航空会社。経緯は複雑で、1991年設立の西瀬戸エアリンクが起源だが経営難でグループ傘下に。その後、広島西、名古屋と本拠を転々と移しようやく伊丹に落ち着く。JALが導入予定のMRJは同社が使用予定。

JTA

JTA[日本トランスオーシャン航空]
◇エリア:沖縄~本土

1967年、まだアメリカ占領下の沖縄(琉球政庁)とJALの共同出資でできた南西航空が母体。当時は那覇と宮古、石垣など南西諸島の主要の島々を結ぶ”琉球政庁国内エア”的な色彩が強かったが、本土復帰後はJTAに改名、グループ内では沖縄~本土を担当する立ち位置に。那覇から羽田の一方通行便を筆頭に、羽田~石垣、宮古、那覇~関空、福岡、小松、岡山などの路線を受け持つ。沖縄~本土便で沖縄のオリオンビールが提供されることでも名高い。

JETSTAR

JETSTAR[ジェットスター・ジャパン]
◇エリア:成田、関空、中部と国内主要都市と香港、台北を結ぶLCC

LCC解禁を受け2011年に設立したグループ唯一のLCC。フルサービスのJALがノウハウ吸収の意味も込め、ひと足先にこの分野に参入するオーストラリアの既存航空会社カンタス航空と共闘、ともに33.3%ずつ出資する。ライバルANAのピーチ、エアアジア(2013年に提携解消)によるLCC市場参入への対抗馬。「他社運賃より1割安い」が信念で、180人乗りの中型機エアバスA320-232と成田、関空、中部のハブを武器に、国内主要都市や香港、台湾を結ぶ。

HAC

HAC[北海道エアシステム]
エリア:北海道

旧JAS傘下で1997年に発足するが生い立ちは波乱万丈だ。 JAL・JAS経営統合でグループ傘下を果たすが破たん後の大リストラでJALは同社を手放し、数年間地元財界の支援で糊口を凌ぐ。その後2014年に再び子会社に復帰。ただこうした事情からか現在も両社間でのマイル交換はやや複雑。札幌に近い丘珠空港をハブに釧路、利尻、函館、三沢などに路線を張る典型的なコミューターで、40人弱乗りの小さなサーブ340B-WTを3機でやりくりする。

JAC

JAC[日本エアコミューター]
◇エリア:奄美諸島と本土、西日本

1983年に旧日本エアシステム(JAS)の前身・東亜国内航空と奄美諸島の市町村で設立されたコミューター(地域航空会社)で、JALグループでは異母兄弟的存在。鹿児島をハブとし離島と本土の架け橋としてスタートしたが、JAL・JAS統合後は伊丹(大阪)、福岡を準ハブ空港とし、需要の少ない四国や山陰の枝線を小型機で結ぶ、”西日本ローカル地域担当”との位置づけ。短い滑走路の地方空港でも運用可能な小ぶりのプロペラ機(乗員30~70人程度)20機ほどを運営。

RAC

RAC[琉球エアーコミューター]
◇エリア:沖縄の島々

那覇を拠点に宮古、石垣はもちろん、南北の大東島といった離島を結ぶコミューターで、奄美大島にも空路を延ばす。1985年に設立された小さなエアラインだが、直後に経営危機となりJTAの傘下に。厳密にいうとJALの孫会社で、また沖縄県も5%ほど株式を持つ第3セクター。カナダ・ボンバルディア製のDHC-8-Q400cc(約50人乗り)など、小ぶりのプロペラ型(正確にはターボプロップ)コミューターで運行する。

ANAグループ
悲願の業界首位となり羽田・成田を核に国内から海外へと急シフト

ANA

ANA[全日本空輸]

JALが”政府主導の国際航空会社”として出発したと例えるなら、こちらはさしずめ”民間主導の国内航空会社”というところ。1952年発足の宣伝広告用のヘリコプター運営会社、日本ヘリコプター(日ペリ)が前身で、その後関西の極東航空と合併、「全日本空輸」を掲げ国内の定期便事業を本格化。

1960年代以降、高度成長や1964年の東京五輪、1970年の大阪万博が追い風となり急成長。1970年社長に就任した元運輸官僚の若狭得治氏は多角経営や後の国際線展開に尽力、「中興の祖」として名高い。「航空憲法」が撤廃されたのを機に悲願の国際定期便(成田~グアム)を翌年就航、同年中にはジャンボ機を投入して成田~ロス・ワシントンDC線といった太平洋路線も矢継ぎ早に開設、JALや米メガキャリアひしめく激戦区に殴り込む。

その後、JALと同様に1990年代の不況に苦戦するも、2010年に破たんし再建を目指すJALが、拡大し過ぎた国際線を大幅削減するなか、これを機ととらえ、海外展開を活発化。スターアライアンスのメリットや最新鋭のB787機の大量導入(同社は世界最初の導入企業)、さらには同社の総本山・羽田の国際化を武器に海外展開に軸足を置く戦略を推進中だ。

»【Interview】輸送規模国内トップ ANAはリーディングカンパニーになったのか/ANAホールディングス片野坂真哉社長

B787-8ANAがローンチカスタマーとなったB787-8。

エアージャパン

エアージャパン
◇エリア:日本~アジアのリゾート地と主要都市

ANAの100%子会社で1990年に設立された、国際チャーター(不定期)便専門の航空会社WAC(ワールドエアネットワーク)がルーツ。1980年代半ばから国際線に本格参入したANAにとって先兵的存在だが、1991年の湾岸戦争と平 成大不況で苦境となり事実上休眠。2001年に今の名前に変更して再スタートし、現在は成田~ホノルル便を自主運行するほか、ANAからの委託運航という形で日本と香港、台北、バンコクを結ぶ。沖縄をハブにした国際航空貨物も担当。

ANAウィングス

ANAウィングス
◇エリア:東京、大阪、名古屋、福岡をハブに国内全般

親会社のANAが大型機で国内幹線と海外を受け持つ”攻め”だとすれば、こちらは中小型機で国内線の主要路線を押さえる”守り”。エアーニッポンやエアーネクスト、エアーセントラルといった同様の性格を持つ子会社を2010年に結集して発足。羽田、成田、中部、新千歳をハブ、福岡、那覇を準ハブに据え、全国の主要都市に網の目のように空路を張る。国内航空が出自のANAの基盤でもある。B737系の中型機など50機ほどを保有。

バニラエア

バニラエア
◇エリア:成田~新千歳・那覇・奄・台北・高雄・香港

ピーチとともにANAが進めるLCC戦略の2枚看板で、当初はエアアジア・ジャパンとして開業。LCCで急伸するマレーシアのエアアジアとのいわば合弁企業。成田を拠点に国内主要都市へと路線拡大するが、成田は深夜の発着ができないためにビジネスには向かず低迷、加えて両者の経営戦略の違いも表面化し、結局2013年に提携解消、その後ANAの100%子会社として再出発し社名もバニラ・エアに変更、観光需要・日本人向けに特化した戦略で臨む。

AIR DO

AIR DO[エア・ドゥ]
◇エリア:羽田など本州~北海道

1980年代半ばの規制緩和で空の市場への新規参入が原則自由になると、北海道経済の活性化には東京~札幌便の運賃低下が必須と叫ぶ地元養鶏業の北海スターチック・浜田輝男社長が一念発起、元ヴァージン・アトランティック航空日本支社長の中村晃氏を社長として招聘し1996年に旗揚げ。「エア・ドゥ」は当時の愛称だ。ただ苦戦が続いた上に3.11テロによる需要激減で破たん、2003年にANAが支援に乗り出しグループ入りを果たしている。

ソラシド エア

ソラシド エア(スカイネットアジア航空)
エリア:エリア:羽田、那覇~九州、那覇~神戸など

規制緩和を契機に1997年に発足したパンアジア航空が源流。”宮崎と羽田との懸け橋”がモットー。その後現名称に変更し2002年同路線を開設。だが3.11直後の需要低迷時と重なったほか、既存航空会社との競争にもさらされて苦戦。2004年には産業再生機構とともにANAの支援を仰ぎ実質傘下に。現在は羽田と那覇をハブに九州主要都市への空路に特化。なお、全便がANAと共同運航の形をとる。愛称の「ソラシド エア」が2015年末に正式の社名となる。

スターフライヤー

スターフライヤー
◇エリア:羽田~北九州、関空、福岡など

新規参入組で2002年に発足の神戸航空がルーツ。当初神戸に居を構えるが間もなく北九州に拠点を移し、羽田の発着枠拡大の際の新規組優先枠を使って路線開設。ほかの新規組とは異なり既存エアラインとのガチンコを避け、特に当初からANAとの協調を維持、コードシェアの関係を築き、2007年にはANAからの増資を受けグループ入りを果たす。羽田をハブに関空、北九州、山口宇部、福岡などの便を抱える。黒が基調の機体が印象的だ。

ピーチ

Peach Aviation[ピーチ・アビエーション]
エリア:関空、那覇、成田を拠点に国内主要都市、関空・那覇~ソウル、香港、台北など

LCC自由化に合わせ既存航空会社のANAが空路利用者の裾野拡大を狙って2011年に事実上設立したLCC。ただしANA本体とのマイレージサービス連携はしていない。2012年に関空~新千歳・福岡の2路線を皮切りに着々と路線を広げ、現在関空や那覇をハブに国内10路線以上。国際線展開にも意欲的で、関空・那覇~ソウル、香港、台北などに空路を延ばす。若い女性やファミリー層の呼び込みを意識し、企業カラーをかわいらしい桃色としたのが特徴。

スカイマーク

スカイマーク
◇エリア:羽田、神戸、茨城、中部、福岡を拠点に国内主要都市

1996年の規制緩和に伴い、航空会社設立が悲願だったH.I.S.のオーナー・澤田秀夫氏が同年に設立した、新規参入組の筆頭。初運航先として既存航空会社がしのぎを削る羽田~福岡線に殴り込みをかけ話題に。だが競争激化と3.11による需要低迷で経営は悪化、2004年に澤田氏は無念にも手放し、ネット関連企業ゼロのオーナー・西久保愼一の手に。だが、これも安定飛行には及ばず2015年に破たん。結局同年8月にANAの全面支援が決まり、目下再建中。

独立系 JAL、ANA以外のグループ

ORC

ORC[オリエンタルエアブリッジ]
エリア:長崎~五島列島、壱岐、対馬

五島列島や壱岐、対馬など離島と本土とを結ぶため1961年に県が中心となって設立した第三セクター・長崎航空がルーツで、2001年に現在の名前に変更。県の資本比率は徐々に下がり現在は11%。39人乗りの小型プロペラ機DHC-8-Q200が2機だけの非常に小ぶりなエアラインだが、長崎~福江(五島)、壱岐、対馬、福江~福岡の4路線を抱える。

NJA

NJA[新日本航空]
エリア:鹿児島~薩摩硫黄島

エアラインとしてはおそらく国内最小。設立は1969年と比較的古く、遊覧飛行や航空写真、飛行訓練などが主たる業務だが、2014年から3人乗りのセスナで鹿児島~薩摩硫黄島便を週1往復でスタート。ただ不定期(チャーター)便という立てつけのため、利用客がいなければ飛ばないのが原則。2015年からは、月・水曜日の週2回に増便。片道2万円と少々お高いが、島民には運賃割引補助がある。

FDA

FDA[フジドリームエアラインズ]
エリア:静岡、名古屋を拠点に国内主要都市

2009年に静岡空港が開港したのを機に、地元の大手物流企業・鈴与が地域発展と同空港の稼動率アップを目指して2008年にエアラインを旗揚げ。鈴与のオーナー・鈴木与平氏の悲願でもあり、もちろん同社の100%子会社で、同氏自ら会長も務める。独自路線として静岡~鹿児島、名古屋~青森・花巻があるが、JALとの共同運航便として名古屋をハブにした全国主都市への空路もある。このため独立色が濃いもののJALとは縁が深い。

IBEX

IBEX[アイベックスエアラインズ]
エリア:仙台、伊丹をハブに国内主要都市など

1999年に設立されたフェアリンクが前身で、仙台~関空便を皮切りに仙台や成田、伊丹を拠点に国内に航空路を張るが、苦戦したため、2003年に会計ソフトで有名なJDLが事実上買収、現在の名前に。IBEXは同社が手掛けるソフトの名前でもある。また、JDLオーナーの前澤和夫氏は航空機事業にも関心が高く、エアラインの保有は悲願だともいう。独立系だが予約・発券業務などはANAに委託、さらに全便を共同運航にするなど、ANA色が濃い。

AMX

AMX[天草エアライン]
エリア:天草~熊本、福岡、熊本~伊丹

天草諸島と本土とを直結する空の足を確保するため、1998年に設立されたエアラインで、県が過半数、残りを地元自治体と民間会社が出資した事実上の県営エアライン。2000年の天草空港開業を機に福岡、熊本行きが就航。事業拡大のためビジネス客を見込んだ熊本~松山便も試みるが、利用率は低迷で2008年に休止。JALとの関係が深く、熊本以外での航空業務を委託するほか、全便が共同運航。天草を象徴するイルカに見立てた青い機体がユニーク。

FFC

FFC[第一航空]
エリア:那覇~沖縄の離島

1966年創設で、大阪の八尾空港を拠点にパイロット訓練や遊覧飛行、航空写真などが主業務。JAL系のRACが那覇~粟国島路線の撤退を決めると、2009年破たんのコミューター、エアードルフィンの社員が同路線復帰をFFCに直談判、2009年に同路線での不定期航空便に参入。その後那覇を拠点に沖永良部、徳之島(2015年運休)と拡大。投入機はDHC-6-400。ただ2015年8月粟国でパイロットの過失による着陸失敗の事故を起こし、11人の負傷者を出した。

春秋航空日本

Spring Japan[春秋航空日本]
エリア:成田~広島、佐賀

LCC解禁とともに国内線に参入した中国系LCC春秋航空のいわば日本法人で2012年設立。ただ国内航空会社の外資の株式持ち分は3分の1未満との航空法の規定で、本体の春秋航空の持ち株数は全体の33%に抑制されている。機体はB737-800機(189人乗り)を投入、2014年から成田を拠点に広島、高松(現在運休)、佐賀便を運行。なお本体はエアバスA320で統一するが、ボーイング機の普及が多い日本では例外的にこちらを選択。

エアアジア・ジャパン

エアアジア・ジャパン
エリア:中部~新千歳、仙台、台北

エアアジア本体はマレーシアのLCCで、2001年からアジアを中心に路線を構築する有名どころで、エアアジア・ジャパンは子会社。2011年、ANAとの提携で日本進出を果たすが、経営方針の違いが表面化、結局2013年に提携は解消、本体エアアジアが主導する日本の航空会社として再出発を図る。初フライトは2016年の予定で、中部国際空港を拠点に新千歳、仙台の国内2路線と台北便の国際線を就航する計画。楽天が資本参加する模様。