強豪南アフリカに勝利し、日本中が沸いたラグビーワールドカップ2015。世界で戦えることを証明したと同時に、それまでラグビーを知らなかった人たちも魅了した。日本ラグビーにとって大事なのはこれから。2019年に日本で開催されるW杯、翌年の東京五輪に向かって突き進む桜の戦士たちの今後を聞いた。
山田章仁 やまだあきひと
続きを見る――ラグビーワールドカップ2015(以下、W杯)で最も心に残るシーンは?
南アフリカに勝ったときですね。「感動」の2文字に収められないぐらい感動しました。この4年でエディー・ジョーンズさんが日本のラグビーを世界レベルに引き上げてくれた。その世界レベルからのトレーニング、ハードワークが、W杯で結実したんだと思います。
――試合中、「これはイケる」という瞬間はありましたか?
2回ありました。1回目は最初の数分。攻められても食い止めて、逆に先制できたとき。いつもならトライされていたところを止めましたし、運頼みじゃなく、攻められては守ってボールを取って、それを繰り返して得点できたので、手応えを感じました。それから終盤ですね。ずっと小さい点差のまま来たので、このままついていけばチャンスはあると思いました。
――南アに勝ったことは今後のラグビー人生にどんな影響を?
僕もW杯で活躍する可能性を高めるために、海外に挑戦(スーパーラグビーの豪州ウエスタン・フォースに参加)しましたが、みんなが本当に準備をしっかりして、結果、勝てないと言われた相手に勝てた。目標を掲げ、それに向けて準備すれば、開かない扉はないんだと実感できたので、今後もまた高い目標を設定して、もっとハードにやれるんじゃないかと思います。
――サモア戦では素晴らしいトライもありました。
みんなでつないでフェーズを重ねて取れたので、本当にうれしかったです。1対1で相手を抜けたのも気持ち良かったですし、これまでアメリカンフットボールをやらせていただいたり、寄り道したことが全部、あのトライにつながった気がしました。
――ヘッドコーチ(以下、HC)のエディー・ジョーンズ氏は厳しい方だそうですが、振り返っていかがでしたか。
以前、大学に指導に来られていた頃は”明るくて優しいおじさん”でした。その後、日本代表HCに就任が決まり、ミーティングに呼んでくれたのでワクワクしたんですが、「お前は何をやってるんだ!」と叱咤激励……いや、激励はなかった(笑)。
その翌年(2012年度)に代表に選ばれたので、今思えばそこがスタートですが、気分は”終わり”でした(笑)。代表に入ってからも怒られっぱなしで。
――厳しい指導に心が折れそうになったことは?
何回もありますよ。でも僕も負けず嫌いなんで、どうしても見返して、周りにメッセージを伝えたいと思ったんですよね。途中でくじけていたら今ここにいないし、自分の思いを話す機会もないでしょうし。
――優れた指導者の要件があるとしたら?
“ブレないこと”でしょうね。エディーさんは絶対ブレないんです。「チームを強くする」、その思いは僕らに伝わっていました。エディーさんが監督としてプロだから、こっちもプロにならなくちゃと思えた。ラグビーは企業スポーツが主体ですが、意識の持ち方として、ジャパンはプロの集団になれたと思います。
――日本開催の2019年W杯までに何をすべき?
せっかく日本のラグビーが世界レベルになったので、このスタンダードを下げたくないですね。選手が海外へ出るのもいいと思います。居心地の良い場所から抜け出すのには勇気がいると思いますが、選手は出ようとしてほしいし、そこに理解のあるチームが増えてほしいですね。
――ラグビーの裾野を広げるには、子どもたちに対して、どんな仕組みがあればいいと思いますか?
いろんなスポーツができる環境を作るべき。アメリカみたいにシーズンで切り替えるとか。小中学校のクラブや部活で一つのスポーツに縛り過ぎないで、子どもたちが自分の才能を生かせるスポーツを見つけやすくなったらいいなと思います。
――ファンには今後、ラグビーをどう見てほしいですか?
世界のスタンダードを意識して、僕らが至らないときは批判してほしい。最近ラグビーにハマった人は、どうぞ”選手”を見に来てください。キックが見たい人は五郎丸、タックルが好きなら堀江、トライなら山田(笑)。ルールを知らなくても楽しめるはずです。
W杯を見た方が「勇気をもらった」と言ってくださるので、また世界の舞台で活躍したい。まずは2016年、7人制でリオデジャネイロ五輪に出てメダルを獲りたいです。19年のW杯、20年の東京五輪も選手としてグラウンドを走り回りたいですね。