言葉自体は1980年代頃から存在し、2016年の米大統領選挙で改めて注目された「ポリティカル・コレクトネス(PC)」。特に政治に限ったことではなく、差別や偏見を含んだ言葉を使わずに”社会的に正しくあろう”という姿勢を示すが、行き過ぎたPCは、社会に潜む問題を淡く、口当たりの良いものにしてしまう一面を持つ。そしてときに本来の意味からはズレた認識を生み、思考停止に陥らせることも。そうやって長い間隠されてきた議論は今、フィリピンのドゥテルテ氏やアメリカのトランプ氏といった”暴言王”によって白日の下にさらされ、多くの人々の共感を呼んでいる。世界は”正しくあるべき”なのになぜ? 彼らが支持される時代の意味を解く。
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「建前」がマイノリティーを受け入れる糸口に?LGBT当事者が語る性とPC(ポリティカル・コレクトネス)
いつからか、メディアでは性的マイノリティーがご意見番のポジションを確立し、日本でも「LGBT」という言葉が随分と認知されるようになった。とはいえ、周囲の無自覚、自覚を問わず、LGBT当事者が差別的な扱いを受けがちであることは否めない。性的な問題に極端に弱い国民性からか、ときには半ばアレルギー的に避けられ、あるいは過剰なまでに気を遣われる。そんな状況に当事者たちは何を感じているのか。自身もLGBT当事者であり、全国各地で講演活動を行うNPO法人Japan GID Friends理事長・清水氏に聞いた。
崇高な理念を推進するだけの法律でヘイトスピーチは抑制できない
“正しくあろう”とする昨今の世界は、ヘイトスピーチに対する規制も積極的だ。EUの政策執行機関である欧州委員会は、Facebook、Twitter、YouTube(Google)、Microsoftに向けて、ヘイトコンテンツへの迅速な対応を要求。法的措置も辞さないという。また、日本政府は、国連人種差別撤廃委員会からのヘイトスピーチ禁止を促す勧告を受け、2016年5月に「ヘイトスピーチ対策法」を可決、翌月施行。しかし、それで不快な差別発言は無くなっただろうか。この一見、排除されて当然の行為を無くすことの難しさを、言葉で綴られる法律の矛盾点から考える。
【尊徳編集長 談話】言葉は潔白でなければならないのか 言葉狩りについてそろそろ本質的な議論を始めよう
文字面を変更、使用不可にすることで問題を処理しようとする「言葉狩り」は、物事に対して本来の意味とはズレた認識を生み、思考停止に陥らせ、日本語の表現力を減退させる可能性も含んでいる。窮屈な状況をわざわざ作りだす日本人は、大事な何かを忘れている……?