企業に勤めていると、部下や後輩のマネジメントを任されることがあります。人的リソースは成果を出す上でとても重要ですが、うまくいくことばかりではないでしょう。問題は何でしょうか。性格? ”ゆとり”だから? 迷宮入りしがちなこの難問を解決する糸口を、厳しい禅の世界に身を置く平井住職に聞きました。
人格や能力は叱らず、ミスは遠慮なく叱れ
禅宗で僧を育成する役目を負うのは主に修行道場ですが、特に新人研修用のメニューが用意されているわけではありません。1年目の人がやること、2年目の人がやること、という分担はあるものの、新人も基本的にはみんなと同じことを、入門してすぐに始めます。
もちろん規則や作法などの基本的なことは教えます。例えば、禅堂には左足から入るのが決まり。右足から入っても害があるわけではないし、左から入ることが道徳的に正しいわけでもありませんが、こうと決まっているものです。
組織や集団に属して生活していくからには、決まりは守らなければいけないし、それは上から下へ伝えていくものだと思います。
教える際、私が全生庵のみんなに徹底しているのは、できるようになるまで叱ること。能力的なことは、企業なら評価や給料に反映されるはずなので、叱る必要はないでしょう。人格的なことも叱るべきじゃない。
でも、教えたことや指示したことを忘れたり、報告しなかったりしたら、何度でも叱る。本当に何度でも。そうやって基本的なことさえできたら、組織はなんとかなるものだと思います。
教わる側はとにかく盗め
ただ、そうした基本的、表面的なこと以外は、人に教わるのではなく、自ら学び取るものです。言葉で教えられることには限りがありますから。
これは、われわれ僧でもサラリーマンでも同じことです。ルールや方法は教わることができるけど、技量は自分で身に着けるしかない。先達のすることを見て、自分なりに試行錯誤して習得していかなければなりません。
それを表す「白拈族(びゃくねんぞく)」という禅語があります。”白昼堂々盗む大泥棒”という意味ですが、師匠から盗めるだけ盗んでいく人といったニュアンスがあり、禅では決して悪い意味にはとらえられていません。盗むくらいの気概があってこそ成長できる。受け身でいては、人は成長できないのです。
教える側は”よく見る”こと
一方、やる気が無い部下や後輩にどう対処するかで悩む上司や先輩がいると聞きます。修行道場では、やる気の無い者は「去れ」と言われますが、会社ではそうもいかないでしょう。そういう場合は、無理に意欲的な態度にさせなくてもいいと思います。その代わり”よく見る”。
何か仕事をさせてみて、1カ月も見ていれば、何ができて、何ができないか、大体のことはわかりますよね? それがわからなければ、上司になる資格は無いかもしれません。
やる気が無い人も、よく見ていれば何かしら得意なことが見つかるはずです。必ず、得意なことがあります。それを見つけて仕事を割り当てる。何より大事なのは、本人がそれに気づくことです。
まあ、世の中にはいろんな人がいるわけで、中にはどうしようもなくできない人もいるでしょう。でも、害が無ければ、ある程度は許容するのも人間社会の役割だと思います。”できない人”、それすらも多様性のひとつ。飲み会の話題になって面白いじゃないか、という程度に、おおらかに受け止めたほうが気持ち良く働けるのではないですか。
教える側も教わる側も互いに学び合う
教える人も、教わる人も、最も大切なのは”自覚”です。「縁なき衆生は度し難し」というように、教わる側は吸収しようという姿勢が必要だし、一方、教える側も知識や伝え方などちゃんとしなければなりません。
修行道場では禅問答をしますが、法戦(ほっせん)と呼ばれ、そこでは師匠も弟子も五分の関係です。師匠が考案(問題)を出して、弟子が坐禅などから得られた見解(けんげ)を師匠に話し、それに対して師匠も見解を示す。そういうことを通じて、師匠も弟子も切磋琢磨していくんですね。
一方的に教える、教わるという関係にとどまらず、自覚を持って互いの言動から学び取る姿勢が大切だと思います。
管理職は部下の話を徹底的に聞く
お金をもらう”プロ集団”である企業で働く以上、やる気がなければ修行道場と同じように「去れ」でいいと思う。そりが合わない同僚や、理不尽な上司がいたとしても、職業選択の自由はあるわけで、従業員には辞める権利がある。
社会に出たらすべて自己責任。お金を稼ぐのに、人から何かを教えてもらおうなど甘い。基本的なことは、社会に出る前に身に着けておくべきだ。
とはいえ、「管理職」というくらいだから、管理する側に立てば、組織を円滑に回していくために人心掌握することがかなりの部分を占めると思う。それには徹底的に話を聞くこと、これに尽きる。
指示をするのではなく、方向性を決めて、とにかく部下の思っていることを引き出すのが役目だろう。部下はどうしても、上司の考えを斟酌(しんしゃく)しがちで、自らの答えを封印してしまうことも多々あるからだ。部下の答えのほうが正しい場合もあるのだし、それを怠ってはならない。