仏教発祥の地であるインド。しかし、現在では国民の多くがヒンズー教徒であり、信仰に基づく身分制度「カースト」による差別が根強い。そんな現状でカースト制度と戦いながら仏教復興に尽力しているのが、インド仏教界の最高指導者である佐々井秀嶺(ささい しゅうれい、82)さんだ。1967年に渡印して以来、半世紀以上かけて彼の地で行っている取り組みを聞いた。
カーストと不可触民と仏教
紀元前450年頃にインドで生まれた仏教。一時期は事実上“国教”となるほど栄えたが、12世紀頃、ヒンズー教の勢力拡大やイスラム教の侵攻によりインドから消滅する。その後はヒンズー教の台頭により、仏教誕生以前から根強く続いてきた身分制度「カースト」がインドの社会や政治に強い影響を与えてきた。
そのカースト制度にすら入れない最下層の「不可触民」と呼ばれる人々を中心に、近年、再び仏教がインドで急速に広まりつつある。
不可触民(ふかしょくみん)
ヒンドゥー教の教えに基づく宗教的身分制度であるカースト制度は、上からバラモン(司祭)、クシャトリャ(王侯、武人)、バイシャ(商人)、シュードラ(奴隷)の4つの身分(ヴァルナ)から成る。「不可触民」は、それら4つにも入れられない最下層民のこと。アンタッチャブル、アウトカースト、ダリットとも呼ばれる。カースト制度は1950年制定の現行インド憲法で廃止され、不可触民を意味する差別用語も禁止され処罰の対象になっているが、根強く残る差別は今なお厳しい。
仏教復興運動の中心にいる僧・佐々井秀嶺さんは、普段はインド中心部に位置する都市ナグプールにあるインドラ寺に身を寄せている。佐々井さんは1967年にインドに渡った後、半世紀近くも日本に帰国せず、仏教復興運動をはじめ、仏教遺跡の発掘、保存など精力的に活動してきた。
ここ数年は高齢のため、毎年6月頃は40度を超えるというインドの凄まじい暑さを避けて日本へ戻り、1カ月ほど滞在しているという。とはいえ、82歳となった今でも生命力にあふれ、語る声は大きく、張りがある。まさに豪放磊落(ごうほうらいらく)を絵に描いたような人物だ。
「不可触民とは古代から家畜以下の人間として徹底的な差別を受けてきた人々です。衣食住や教育にさまざまな規制を受けており、各村落では不浄の存在として井戸とその井戸水に触れることすら許されない。それは現代でも続いています。
仏教復興運動が“不可触民の解放”と言われることもあるけど、私は坊さん、仏者ですから。仏教を教え広めているだけで『解放してやろう』なんて考えたこともない。仏教徒になればみんな平等になっていく。すなわち、これが“不可触民の解放”と言えばそうなるだけです」(佐々井さん)
不思議な体験とインド仏教復興の祖
そもそも佐々井さんがインドでの仏教復興に身を捧げるきっかけは何だったのか。そこにはインドを訪れて約1年後の32歳のときに経験した不思議な体験と、インド仏教復興の祖と呼ばれる偉大な人物の存在があった。
「8月の満月の夜でした。雨期だったから前日まで大雨が降っていたけど、その夜は一点の曇りもない日本晴れ、いやインドだからインド晴れだな。私はもうすぐ日本に帰ることになっていたので、帰国後のことを考えながら瞑想をしていました。
午前1時か2時ごろかな。ガツンと肩に何か衝撃があって、びっくりして目を開けたんです。そうしたら正面に服も髪もひげも全身真っ白な、いわば仙人のような背の高い人物が立っていた。
声にならない声でやっと『あなたは誰ですか』と聞くと、その人物は『我は龍樹(りゅうじゅ)なり』と言うんだよ。日本語だった。そして、『汝、速やかに南天龍宮城へ行け。南天龍宮城は我が法城なり、我が法城は汝が法城、汝が法城は我が法城。汝、速やかに南天龍宮城へ行け。南天鉄塔はまたそこにあらんかな』と目をかっと見開いて告げられたんだ」
龍樹とは2世紀に生まれたインドの僧で、日本では大乗仏教八宗の祖師として知られる。佐々井さんはこの不思議な体験を龍樹からのお告げと確信し、帰国を中止、ヒンディー語で「龍宮」を意味するナグプールへ向かった。
そこはかつてビームラーオ・ラームジー・アンベードカル博士(1891~1956)が、1956年10月14日に約50万人も不可触民とともに仏教へ改宗する宣誓を行った地だった。まさにインド仏教復興の要となる土地だったのだ。
「アンベードカルは不可触民出身。苦学の末にアメリカやイギリスへ留学し、弁護士となり、政治の世界にも進み、やがて初代法務大臣としてインド新憲法をほとんど一人で書き上げました。新憲法にはカースト制度の廃止が明記されました。
当時の私は名前も知らなかったが、不可蝕民の解放に生涯を捧げた人物で、差別のない仏教への改宗こそが不可触民を解放する最善の手段だと考えていたんだ」
アンベードカルは改宗した2カ月後に死去。その12年後、龍樹のお告げによってナグプールへ訪れた佐々井さんは、同氏とこの土地の結びつきを知り、活動を引き継ぐことが使命だと感じたという。
着実に増えて行く仏教徒
こうしてナグプールを拠点に、仏教復興運動を続ける佐々井さん。最初は団扇太鼓を鳴らしながら街を歩き、読経をする日々。やがて民衆から理解を得て、支持を集めるに至り、寄付を募って寺を建てることもできた。佐々井さんの影響力が増していくのを疎ましく感じる勢力から毒で暗殺されかかったことも3度あったという。
やがて2003年には宗教間の融和を図り、少数者の意見を政府に反映させるための組織「マイノリティ・コミッション(少数者委員)」に仏教徒の代表として抜擢されるに至る。その間も佐々井さんは着実に仏教徒を増やしていった。彼ほど多くの人を仏教に改宗させた人物はいないだろう。
「改宗のためにインドの北から南まで、さまざまな場所を訪れました。現在、インドの仏教徒は約2億人。不可触民と呼ばれる人たちのほぼすべてが仏教徒になり、その他のヒンズー教徒も改宗したいと言ってきています」
インドの人口は13億人超。まだまだヒンズー教徒の数が多いとはいえ、7人に1人が仏教徒であり、かつて消滅したともいわれた時代を考えると驚異的な数字である。それだけカーストに疑問や反対の意思を持つ人が多いことの証左であろう。現在も毎年10月頃に行われる大改宗式には、3日間で100万人にも及ぶ民衆が訪れるという。
アンベードカルから学んだインド仏教のあり方
仏教復興運動を通じて、佐々井さんはアンベードカルの功績や思想を知り、インド仏教のあり方を学ぶようになったという。
「アンベードカルはアメリカやイギリスで学んだことで自分の国を知り、平等を学び、文化や進んだ経済の洗礼を受けた。差別をなくすためには仏教だけでなく、教育もインドの民衆に広めたいというのがアンベードカルの願いだったんだ。
だから、私も勉強せよと言っています。学ぶお金がないなら親が1食減らしてでも子どもに勉強させなさいと。現在では仏教徒の教育水準はヒンズー教徒を超えて、キリスト教に次ぐ2番目です。就学率はほぼ全員。そうして、今の政治や社会を判断できる力を身に付けて、学んだことを民衆のため、国家のために役立てよと。そういうビジョンが小さい小学生から出来上がっています。
そして、勉強したら団結せよと。団結したら闘争せよと。仏教なのに闘争せよというのは凄まじいエネルギーですが、これは『慈悲の極み』『知恵の極み』です。正義と真実を正面に出して堂々と闘うんです。それがなければ、アンベードカルの目指す仏教はなかったでしょう。闘争があるから勉強しないといけないし、団結しないといけないんです」
仏教の聖地・ブッダガヤ大菩提寺を仏教徒の手に
約半世紀に渡り、インドでの仏教復興運動に尽力してきた“闘う僧侶”佐々井さん。今後の活動の中で重要と位置づけているのが、ブッダガヤ大菩提寺管理権返還運動だ。
ブッダガヤ大菩提寺とは、インドのビハール州ネーランジャラー河畔にあり、ブッダ(釈迦牟尼)が悟りを開いた場所に立つ寺院。ユネスコにより世界遺産登録もされているが、長らくヒンズー教の管理下にあり、現在も仏教の元に返還はなされていない。
佐々井さんは、1992年からブッダガヤ大菩提寺の管理について定められたブッダガヤ寺院法の廃止を求める裁判や民衆運動などで返還への働きかけを行ってきた。
「ブッダガヤ大菩提寺管理権返還運動も闘いのひとつ。ブッダガヤは仏教徒の総本山ですから、信教の中心として再び仏教の手に取り戻すこと、仏教徒の手で管理するということがとても大事なんだ。
私は無一文坊主だからね。金がないんだね。しかし、そこはみんなの助けを得て頑張っているんだ。今のインドの仏教徒には知恵がある。アンベードカルが教えてくれた知恵だね」
アンベードカルが始めた仏教復興運動を引き継ぎ、ブッダ入滅の年(80歳)を超えてなお、改宗活動、仏教遺跡の発掘・保存、そして仏教の総本山ブッダガヤ大菩提寺管理権返還運動に尽力する佐々井さん。力強く語る姿からは強い信念と生命力を感じた。これからもインドでの仏教復興運動において多くの人を導いていくであろう。