2014年、香港のトップを決める行政長官の選挙制度がきっかけで発生した「雨傘運動」。その運動に参加した市民を描いた映画『乱世備忘 僕らの雨傘運動』のDVDが2018年12月に発売されたことを受け、昨年末に上映会を開催した。当時のリーダーの一人である周庭(アグネス・チョウ)がそのイベントなどに参加するため来日、話を聞いた。
香港民主化デモ「雨傘運動」をおさらい
2014年に香港で起こった民主化デモ「雨傘運動」について簡単におさらいをしておきたい。
香港政府のトップである香港特別行政区行政長官選挙は、それまでは、立法会議員、区議会議員、全国人民代表大会(全人代)香港代表など1200人で構成される選挙委員の投票による“間接選挙”として実施されてきたが、2017年の行政長官選挙においては普通選挙で実施される予定だった。
しかし、実際には全人代常務委員会によって、事実上、親中国派のみが出馬できるような枠組みが提示されたため、「真の選挙制度」を求めて学生や民主派が蜂起。2014年に政府庁舎、立法会がある金鐘(アドミラルティ-)地区を中心に旺角(モンコック)、銅鑼湾(コーズウェイベイ)地区の3カ所で抗議運動を巻き起こした。
運動は「非暴力」がキーワードだったが、運動の長期化により次第に勢いがなくなり、最後は警察隊などがデモ現場に立てられたテントや物資配給センターなどを強制撤去。香港政府に普通選挙を確約させることなく運動は79日間で終わった。2017年の行政長官選挙は結局、“間接選挙”のまま実施されている。警察側が使用する催涙弾から身を守るためにデモ隊が雨傘等を用いたことから「雨傘運動」と呼ばれる。
雨傘運動のリーダー的存在の一人だったのが“学民の女神”と呼ばれた周庭(アグネス・チョウ)だ。流暢な日本語を話すこともあり、香港メディアのみならず日本のメディアにも頻繁に登場している。彼女はその後、同じ学生運動のリーダーであった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)らとともに政党「香港衆志(デモシスト)」を立ち上げた。
デモシストは2016年に行われた立法会選挙で当選者を輩出したが、その当選者が立法会で規定通りの方法で宣誓をしなかったことから裁判所が無効との判断し、当選者が失職。それに伴う補欠選挙には周庭が出馬しようとしたが、今度は選挙管理委員会が同党の綱領が香港基本法に違反するとして、彼女の出馬を認めなかった。
2018年11月に行われた補欠選挙でも民主派は親中派に敗北し、3月の補欠選挙に続き連敗。民主派は失った分の議席を確保できないなど苦戦状態にある。
現在はSNS、街宣などを中心に活動
周庭は、「11月に行われた補欠選挙は、候補者を支援しましたが落選して残念です。今回の選挙では、親中派は選挙キャンペーンがうまくなったとも感じました」と相手陣営の印象を語る。
親中派はビジネス関係などの組織票を抱えており、浮動票を取り込むというより組織固めが肝だった。しかし、今回の選挙戦は立候補者が元テレビ局出身ということもあり“見せ方”がうまくなったというのは事実だ。
今後の活動については、「デモシストからの立候補が難しくなったので、今後は政党というよりも今後は政治組織として活動していくつもりです。街頭宣伝のほか、FacebookやInstagramなどのソーシャルメディアに力を入れていきます。映像を製作するグループもあり、クリエイティブな手法を使うことで、私より若い世代である中学生、高校生にも関心を持ってもらいたいと考えています」と。
映画『乱世備忘 僕らの雨傘運動』の印象について聞いてみると、「私たちのようなリーダー的なところではなく、一般市民の運動参加者の声を聞いているという印象です。市民が参加しないと運動になりませんから、こういう人たちが本当に重要なんだと感じました」と話す。
雨傘運動については、「最終的に、政治的には何も得ることができませんでした」と振り返る。
「一方で、“民主”というコンセプトをより香港市民に知ってもらえたと思います」と運動の意義を強調する。1997年に香港が中国人返還されて20年ちょっとだが、それまではイギリスの植民地下だったため本当の意味での民主はなかった。
現在、香港は中国の一部であり、確かに政治的な圧力は強まっているが1国2制度が採用されていることで、返還後に“民主”の具体的な意味をより香港市民に考えてもらうきっかけを作ったことは大きな意味があろう。
雨傘運動は難しい判断の連続だった
映画のDVD発売のイベントでは、周庭は雨傘運動に参加し金鐘地区のブロックリーダーを務めた葉錦龍(サム・イップ)、日本人と香港人のハーフで『香港バリケード――若者はなぜ立ち上がったのか』(明石書店)の執筆者である伯川星矢ら登壇者と、会場を埋める大勢の参加者と一緒に映画を観賞。3人の和気あいあいとした雰囲気の中で、当時の状況について説明をしていった。
周庭らデモを主導した側と、実際に警察と対峙した葉では、当然ではあるが、見解に差が存在する部分もあり、デモの規模が大きくなるに伴って一枚岩で運動を進めていく難しさもあらわになった。
運動する人が増えれば増えるほど、いろいろな意見が出てくる。物事を穏健に済ませようとする人、もう少し過激に進めようとし主張する者など、「真の普通選挙制度」を求めるというゴールは同じだが、そこにたどり着くまでの考え方が違う……。簡単に言えば大同小異である。周庭は「デモ現場の状況は複雑でした。自分たちの判断が運動に影響しますから、難しい判断が続きました」と吐露していた。
「『あのとき、もし違う判断をしていたら……』と感じることはあるか?」との筆者の問いには、「デモが終わった後、『違う判断を下していたら』と考えたときもありましたが、それはあまり意味がないと感じるようにもなりました。というのは、あの状況で、あの雰囲気のデモの中にいると、違う決定をしないからです(=今の経験を積んだ周庭がその当時に戻ることができても、あの場の雰囲気にいれば、同じ判断になるという意)。あのデモの広場に立ってこそ、出てきた判断ですから」と、当時の状況を考えると必然的に同じ判断につながるとした。
インタビューの最後に、「私は難しい時代に生まれて、生きてきました。香港をより良い社会にするためにやることがあると思っていますし、この時代にやるべき責任があると考えています。確かに絶望感や失望感に襲われるときはありますけど、私と一緒に戦ってきた人がいるので、簡単に諦めてはいけないとも思っています」と語った周庭。その口調とその目は、10代後半から政治活動に身をささげてきた彼女の強い意志を感じさせるものだった。