それでも求めてしまう、稀勢の里の物語

奉納土俵入り(明治神宮、2017年1月27日) 写真/Matt Roberts

社会

それでも求めてしまう、稀勢の里の物語

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大相撲初場所を後がない状態で迎えた横綱・稀勢の里。初日からの3連敗で出した結論は引退だった。優勝回数は2回。彼よりも強い力士は今も、そして過去も多く存在してきた。だが、報道を見てもわかるように、稀勢の里は過去に類を見ぬほど愛された力士だった。引退した今、改めてその魅力を振り返りたい。

稀勢の里は損な時代に相撲人生を送ることになった

私は現在、スポーツライター・相撲ライターとして記事を書かせていただいている立場だが、もともとは大相撲の中でも十両の一つ下の地位である「幕下」にフォーカスした「幕下相撲の知られざる世界」という奇妙なブログの管理人である。

幕下の相撲は本当に面白い。技術もメンタルも体格も未完成か、衰えているものばかりだ。完成していても、どこかに弱点がある。弱点が無くても決め手がない。年収百万のそういう者たちが年収一千万の十両を目指して戦う。

相撲だけ見ればレベルは明らかに幕内のほうが高い。だが、荒削りで明日をつかもうと前を向きながら、弱さを克服できずに誰もがもがいている様は観ている者の心を打つ。

私はこの幕下の魅力を伝えるために日々記事を更新していた。だが、幕内の上位であるにもかかわらず幕下力士のようにがむしゃらで、いつも必死に期待に応えようとしているのだが、素晴らしい可能性と致命的なミスを交互に繰り返す力士を目の当たりにして相撲全般を書くブログに転向した。

おわかりだと思うが、その力士とは第72代横綱・稀勢の里のことである。

17歳で関取に、18歳で幕内に昇進した彼は、本来であればもっと早く出世していた力士だったのかもしれない。だが、稀勢の里はあまりに損な時代に相撲人生を送ることになってしまった。厚すぎる外国人力士の壁が、さらなる出世を阻むことになったのだ。

朝青龍に白鵬という、史上最強クラスの猛者が常に君臨し、脇を固める横綱大関も外国人力士が占めた。

「私たちは稀勢の里だ」

いくら稀勢の里が逸材でも、彼らに囲まれると苦戦を強いられる。ましてや若者が大相撲の門を叩かぬ時代である。野球にサッカー、バスケットボールにテニス。人気スポーツは総じてスタイリッシュだ。昭和の時代でさえ、観るには楽しいが、プレイヤーとしては敬遠される傾向にあった相撲を、ましてや平成の世で目指す者など極めて稀(まれ)である。

だが、苦戦を強いられながらも、期待はこの逸材に向けられ続けた。

白鵬を投げ飛ばし、日馬富士を左手一本で吹き飛ばす。素晴らしい内容で勝ったと思えば、平幕の碧山に張られて成すすべなく土俵を割る。稀勢の里は強くなりきれない日々が続いた。

可能性に歓喜し、絶望的な内容に落胆する。それも、30を超えたいい歳の私が。年齢を重ねればスポーツでも映画でも、心の底から感動することなどそうは無い。若い頃に観たものと比較してしまうからだ。そうなると最初に衝撃を受けた原体験のほうが勝ることになる。

だが、稀勢の里だけは別だった。それは、稀勢の里の“弱さ”に起因する。

「俺たちは稀勢の里だ」ということをブログで書いたことがある。それは、稀勢の里が持つ弱さは私たちも同様に持っており、稀勢の里の脆さを見れば目を背けたくなるが、どうしてか目を背け切れない。稀勢の里が逃げずに向き合っているのに、自分だけが逃げるわけにはいかないからだ。

悪いときは観るのが辛いが、怖い怖いと思いながらも17時になるといつもチャンネルをNHKにしてしまう。そして、恐れながらも良い結果を切望し、固唾を呑んで稀勢の里にくぎ付けになる。だからこそ可能性を見せれば我がことのように喜ぶのである。

自分の中に稀勢の里が居るからこそ、土俵で闘う稀勢の里に自分を投影する。そして一度でも“稀勢の里の味”を覚えると、もう二度と離れることが出来なかった。また、ある日の記事で「稀勢の里は麻薬だ」という言葉で評したのは、こうした彼の魅力によるためである。

2017年春場所の優勝で誰よりも強い横綱像を体現

稀勢の里に報われてほしいといつも期待し、裏切られる。そういうことを数年繰り返した。横綱になることを期待しながら、もし横綱になったとしたら“私たち”ではなくなるなどと考えながら……。だがそんなことはどうでも良かった。私がここまで応援する稀勢の里にただ強くなってほしかったのだ。そこに複雑な思いは一つも無かった。

実際、2017年1月に稀勢の里が横綱になったとき、素晴らしい相撲を期待しながらどこかで不安だった。横綱になったからには、あの愛すべき弱さを見せるわけにはいかないからだ。不甲斐なければ批判に晒される。不調が続けば引退の危機に瀕する。稀勢の里を愛するからこそ、横綱としての将来を案じた。

だが、その心配は杞憂に終わった。横綱昇進後の稀勢の里はそれまでの苦戦が嘘のように連勝を重ねた。内容もすべて完璧だった。力不足の稀勢の里に下駄を履かせて昇進させたと揶揄する人は、このときの相撲を見ると良いと思う。そもそも基準をクリアしての昇進だ。そこは冷静に評価してほしい。

そして何より、2017年春場所13日目のケガからの優勝である。それまでの稀勢の里であれば、いや、他の力士であっても恐らく乗り越えることが出来なかったであろう困難を、“横綱・稀勢の里”は乗り越えたのである。誰よりも強い横綱像を、あの稀勢の里が体現してしまったのだ。

最初のストーリーと完全に変わってしまったという意味では、代打稼業の人情話がいつの間にか40代後半で毎年三冠王を取る話になってしまった水島新司の野球漫画『あぶさん』のようである。

弱さを愛でていた頃からのファンは、稀勢の里がこんな困難を乗り越えられるとは思っていなかった。弱さを乗り越えてほしいと願いながらもあと一歩で乗り越えられなかった男が、横綱として立派過ぎるほどのザ・パフォーマンスを見せたからこそ、あの優勝は泣けるものだった。激しく心を揺さぶるものだった。

それでも求めてしまう、稀勢の里の物語

損な時代に生まれ、巨大な敵を相手にたった一人で闘い続け、ほんの一瞬だけ報われて、輝きを取り戻すことなく、土俵を去った。稀勢の里の現役生活とは、このようなものだった。

もし、この時代に外国人力士が居なかったら。

もし、もっと日本人力士の層が厚かったら。

稀勢の里は恐らくもっと自分の才能を発揮できていたのかもしれない。だが、この時代にすべての困難を一人で背負い、弱さを見せながらも前を向き続け、結果が伴わなくても、批判を受けても、言い訳せずにすべてを受け止め、真っ白な灰になった。

こういう力士だからこそ、人は良いときも悪いときも稀勢の里を追い続けたのだと思う。国技館が一つになることなど、これからもう無いだろう。

私は、稀勢の里の相撲に出会えて本当に幸せだった。こんな力士と物語にはもうめぐり合えないだろう。外国人力士もかつてほどは上位に居ない。そして、稀勢の里のように中卒で角界入りする力士も激減した。新たな時代には新たな物語が生まれるのだ。だから、稀勢の里の物語を求めてはいけないと思う。

ただ、しばらくは稀勢の里を求めてしまうだろう。それほど、魅力的な力士だったから。