一部の大手企業にとって福音となる実質賃金の下落は、マジョリティである日本国民にとっては「貧困化」だ。安倍政権が日本国民の実質賃金の上昇ではなく、一部企業の国際競争力強化を目指す政策を打ち続けた場合、総理が目指す「戦後レジームからの脱却」は見果てぬ夢に終わる。
政府の目的
政府あるいは政治の目的とは、何だろうか。
企業の目的は、特に経営者にとっては明確だ。企業の目的とは、利益である。何しろ、利益を出さないことには従業員を雇用し続けることはできず、経営者本人の懐も潤わず、銀行への利払いや借入金返済もできず、成長のための新たな投資もできない。無論、利益のためなら「何をしてもいい」という話ではないが、企業の目的が利益拡大であることは、厳然たる真実である。(企業にとって「所得」とは、利益そのものである)
それに対し、政府の目的は利益ではない。何しろ政府は「ある目的」を達成するためのNPO(非営利団体)なのだ。非営利団体である以上、そもそも利益を目的にした組織ではない。
それでは、政府の目的は何なのか。ずばり、経世済民(けいせいさいみん、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意味)になる。分かりやすく書くと、国民(企業含む)を豊かにするための政治をすることこそが、政府の目的なのである。
国民を豊かにするという意を持つ「経世済民」には、たとえば領土を他国の侵略から守る「軍事的安全保障確立」や、あるいは来るべき大規模自然災害、インフラの老朽化から国民の生命や財産を守る「土木的安全保障確立」も含まれている。さらに言えば、日本全国にあまねく安定的に電力を供給する「エネルギー安全保障確立」、いかなる事態が発生しても国民を飢えさせない「食糧安全保障」なども、経世済民のなかに含まれる概念なのだ。
当たり前だが、領土的に不安定で、外国からの侵略が頻発し、国内の治安が悪化し、大震災や水害、土砂災害に対応する能力を欠き、電力供給が途切れがちで、何か事あれば即座に国民が飢えるような国で、「国民が豊かになる(=所得を稼ぐ)」が実現できるはずがない。
経世済民が目的である政府は、各種の安全保障を確立し、インフラを整備し、社会制度を整え、金融政策や財政政策により「国民が豊かになる」を実現しなければならないのだ。そういう意味で、97年の橋本政権の緊縮財政開始以降、国民の貧困化が続いている日本の政府は「失格」だ。
貧困化した日本国民
国民が貧困化するとは、要するに日本国内で働く人々の所得が増えていないという話である。「国内で働く人々の所得」とは、名目GDP(国内総生産)のことだ。日本国内で国民が働き、モノやサービスといった付加価値を生産し、別の誰かが消費、投資として支出をして初めて「所得」が創出される。
GDPとは国内の「生産」の合計(生産面のGDP)であるが、同時に消費・投資(支出面のGDP)の合計であり、さらには所得(分配面のGDP)の合計でもあるのだ。GDPが成長すると、国民が「豊かになっている」と判断して構わないのは、「国内の所得の総計」が増えているためなのである。
情けないことに、我が国の名目GDPがピークを打ったのは、1997年である。同年の橋本政権が消費税増税、公共投資削減といった緊縮財政を開始し、我が国のデフレが深刻化した。デフレが深刻化すると、物価が下落するため、国民の所得もまた縮小していく。すなわち、国民が貧困化していくのである。
実質賃金が下がり続けるアベノミクス
第二次安倍政権は、2012年12月の総選挙において自民党が「デフレ脱却」を訴え、民主党から政権を奪取することで発足した。デフレ脱却を標榜した以上、当然ながら安倍政権は国民の「所得拡大」を目標にするべきなのだ。所得拡大が「国民が豊かになる」を意味する以上、そもそもの政府の目的である「経世済民」とも合致する。
日本の実質賃金の推移(対前年比%) 出典:厚生労働省
ところが、現実の日本ではアベノミクスで沸き立った2013年ですら、ほぼ一貫して国民の実質賃金が下落を続けた。実質賃金とは、名目賃金指数から消費者物価指数変動の影響を排除することで算出される。名目賃金が一定で、物価上昇率がプラスだった場合、実質賃金が下がる。
デフレ期の日本は、消費者物価が下落を続け、それ以上のペースで名目賃金が小さくなるという形で実質賃金が下がっていた。それに対し、現在は物価の上昇ペースに賃金の上昇が全く追いつかないため、実質賃金がマイナスを継続している。いずれにせよ、国民が貧困化していっているという点では変わりはない。特に、2014年4月1日に消費税増税という「強制的な物価の引き上げ」が実施されたこともあり、日本国民は今後しばらく実質賃金の下落に苦しめられることになるだろう。
安倍政権はレームダック化する
困ったことに、実質賃金の低下は「グローバル市場」を標的市場とした企業にとっては恩恵になるのだ。何しろ、大手輸出企業などはグローバル市場などにおいて日本より所得が低い国々の企業と競争しなければならない。結果的に、大手輸出企業の経営者にとって、国内における実質賃金の下落は経営をむしろ助けることになるのだが、国民が貧困化し、購買力が削られることで、内需は縮小せざるを得ない。当然、内需を主な市場とする中小企業なども、業績の低迷に苦しめられることになる。
すなわち、実質賃金の低下という現象は、「グローバルを標的市場とする一部の企業」と「日本国民及び内需を標的市場とする多数派の企業」との間に、利害の対立をもたらしてしまうのだ。一部の国民(企業)とそれ以外の国民との間に「利益の乖離」が発生した時こそ、本来は政府の出番になる。すなわち、将来的なビジョンに基づき、どちらの国民を優先するか、政治が判断するべきなのだ。
現在の安倍政権は、大手企業に賃上げ要請 をする反対側で、消費増税や労働規制の緩和など、国民の実質賃金を下落させる政策をとっている。明らかに、安倍政権は「グローバル市場」をターゲットとする企業に肩入れした政策をとっているのである。そうなると、民主主義が一人一票である以上、今後の日本国民が実質賃金の低下に苦しめられ、「こんなはずではなかった!」と、安倍政権に反発を強めていくことは避けがたい。「国民の実質賃金を上昇させる」方向に舵を切りなおさない限り、安倍政権はレームダック(力を失った政治家)化し、首相が望む「戦後レジームからの脱却」も見果てぬ夢に終わるだろう。