ジャーナリスト・堀潤氏が監督を務めているドキュメンタリー映画『わたしは分断を許さない』が、2020年3月7日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開される。報道番組のキャスターを務める一方、自ら社会問題が起きている現地を訪れ、そこでの様子をSNSで発信するフットワークの軽さで知られる堀監督。そんなことをするキャスターはほかにあまりいない。堀潤は何をしに、現地を訪れるのだろうか?
主語を小さくして伝えることが大事
『わたしは分断を許さない』は、堀潤監督が、香港、ガザ、シリア、福島、沖縄、朝鮮半島など世界各地の現場を5年かけて取材したものを編集したドキュメンタリー映画だ。堀監督があらゆる現場を取材して感じた共通点が「分断」の深まりだったという。それが猜疑と恐怖を生み、差別や排斥の動きに加速していくのを目の当たりにしてきた。その「分断」の“手当て”として生まれたのがこの映画だった。
日本における「分断」のテーマは、東日本大震災で大きな被害を受けた福島と、米軍の普天間基地移設問題に揺れる沖縄。取材を通して、日々報道するジャーナリストの立場から考えさせられることがあったという。
「今は、『日本は』『政治家は』『メディアは』などの大きな主語が跋扈(ばっこ)する時代だと思います。自分自身がメディアで発信するなかで失敗したと感じることもありました。
例えば、われわれは『被災者は今でも大勢の方が苦しんでいます』というふうに伝えることがあります。『よく言ってくれた』という人がいる一方で、『堀さん、いまだに“被災地”は“被災地は”ってレッテルを貼るのか? 約9年、風評被害と戦っているのを知っているだろ?』という方もいます。よかれと思って使った言葉が『分断』のトリガーを引いてしまうこともあるのです。
ではどうすればいいかといえば、主語を小さくして、現象を丁寧に伝えていくことが大事だと思います。香港のデモで言えば『若者は』ではなく、『A君は、B君は』と紹介していくということ。これには時間も手間もかかりますが諦めないでやっていくことが必要です」(堀 潤監督、以下同)
主語を小さくすると取材する側もされる側も忍耐が必要で、それだけ多くのメディアも必要になる。そういうことを理由に、しばしばメディアでは乱暴に一部だけが語られたり、もしくは語らない、ということが起きてきた。
しかし、主語を小さくすると逆に全体を見失ってしまうこともあるのではないか。そのバランスはどう取るのか。
「方法は2つありまして、一つは継続性です。たまたま現場で出会ったAさんのことを伝えて終わりではなく、Aさんを起点にBさん、Cさんもいるかもしれない、ということも伝えて、それから次の現場に向かうこと。
もう一つは、全体像を示した上で、小さな主語の存在を伝えることです。香港を伝えるときも、これはあくまで『私と写真家のキセキミチコさんが見た香港』であって、ほかの視点もあることは明確にして伝えました。
実は、今回の映画のタイトルも『分断を許さない』でもよかったんです。でも、『わたしは』という主語を明確にする責任があると思いました」
伝える側は加害性に気づかない
伝える側の“責任”を意識するのは、自分で気づかずに加害者になっている場合があるからだ。堀監督は、「被害者の立場になると言葉に敏感になりますが、伝える側が自らの加害性について自覚するには、取材相手と交流をしたり、意見を言ってもらったり、違う現象を冷静に見たりしなければなりません」とその難しさを説く。
「メディアは、どうせ見られないからと小さな主語を取材することをあきらめてはいけないと思います。あきらめてしまったら専門職としていらなくなってしまうかもしれません。
それに、小さな主語を求めている人がたくさんいるという兆しも感じています。昨年から始めた写真と映像展『分断ヲ手当スルト云フ事』では、『本当の話を知りたい』『取材している人のことを知りたい』という若い世代の方がたくさん来てくれました」
映画の公開に合わせ、写真と映像展「分断ヲ手当スルト云フ事」を東京、新潟、大阪で開催。今後は、2月19日~23日に福岡、2月27日~3月1日に広島で開催。また、3月中旬に札幌、4月上旬から中旬に岡山、4月下旬に沖縄での開催も予定されている。
堀監督は現在、民法、ラジオ、ネットなどさまざまなメディアで報道している。以前は一方通行で伝えるマスコミには受け手の声は届かなかったが、双方向のやりとりができるようになってからは、“間違い”や“偏り”の指摘を受けることが増えたという。「こちら側と違う視点が届く仕組み作りをするのが大事」と堀監督。
「例えば、LGBTという言葉でも『ダイバーシティが大事ですよね。認め合う社会が大事ですよね』と言いますけど、ある視聴者の人から『私はトランスジェンダーで、LGBと一緒に語って欲しくない』という声が届きました。トランスジェンダーはどちらの性なのか、の話であって、LGBは性的指向の話ですよね。言われて気づいたので、それ以来『LGBそしてT』と話したりしています。
スローガン的に括ることへの警戒感は芽生えてきました。森達也さんがおっしゃっていた『伝える側の加害性』に関して認識しておく必要があるのでしょう。人は誰かの脅威になりうるということを現場から学びました」
「分断」の最大の要因は“知らない”こと
多くの現場を見てきた堀監督に「分断」の最大の要因を尋ねると、「知らないこと」という言葉が返ってきた。
「『被災者は……』と言うと、なんだか善意の塊のようですが、実は誰かを傷つけている。にもかかわらず平気で使ってしまうのは、やはり、“知らないから”なんです」
キャスターの立場に立つことが多い堀監督だが、社会問題が起きている現場を訪れるために世界中を飛び回るフットワークの軽さがある。なぜわざわざ現地を訪れるのだろうか?
「恐怖心があるからかもしれません。放送で伝えつつも『本当かな、大丈夫かな』って確かめたくなるんです。もちろん、『本当はどうなのか』を見てみたいというのもありますよ」
「分断」を止めるのは、小さな主語の存在を知った“わたし”たち?
日本の20~30代は投票にはあまり行かず、かつ社会問題への意識は低いといわれてきた。しかし、10代は逆に環境に興味を持つなど、少し異なる気運がある。そういった若い人たちに堀監督はどういうメッセージを伝えたいと思っているだろうか。
「若い世代の方が、感度が高いと思っています。スマホのタイムラインには国内外の情報が当然のように並んでいますし。むしろ問題を抱えているのは、日本と外国が隔てられた社会環境にどっぷり浸かってきた40~50代の僕たちの世代ではないでしょうか。
この映画を見た年配の方に、日本と外国を分けて福島の話題だけを別にした方がいいという意見をおっしゃった方もいましたが、僕は一緒にする価値があると思っています。分けずに製作した意味が若者に届くと信じています」
冷戦後、世界は政治的ポピュリズムが右傾化を促し、堀監督が指摘したように社会の「分断」にまで発展してしまったケースが少なくない。
堀監督の言う「知らないこと」が多くの「分断」を生んだのだとしたら、ネットによってより多くの情報が取得できるようになった今、「分断」が進むのは皮肉と言うほかない。いや、偏向しがちなネット社会だからこそ「分断」が助長されたということもあるかもしれない。
本作が伝える小さな主語の現実を目の当たりにした“わたし”たちは、「分断」を止めるきっかけになれるだろうか?
『わたしは分断を許さない』
劇場公開:2020年3月7日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
監督・撮影・編集・ナレーション:堀 潤
プロデューサー:馬奈木厳太郎
脚本:きたむらけんじ
音楽:青木健
編集:高橋昌志
コピー・タイトル原案:阿部広太郎
スチール提供:Orangeparfait
取材協力:JVC・日本国際ボランティアセンター、KnK・国境なき子どもたち
配給・宣伝:太秦株式会社
(C)8bitNews
劇場公開:2020年3月7日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
監督・撮影・編集・ナレーション:堀 潤
プロデューサー:馬奈木厳太郎
脚本:きたむらけんじ
音楽:青木健
編集:高橋昌志
コピー・タイトル原案:阿部広太郎
スチール提供:Orangeparfait
取材協力:JVC・日本国際ボランティアセンター、KnK・国境なき子どもたち
配給・宣伝:太秦株式会社
(C)8bitNews
前作、映画『変身 - Metamorphosis』から5年。その間、香港、ガザ、シリア、福島、沖縄、朝鮮半島など世界各地の現場を訪れ、取材してきたジャーナリスト堀 潤が感じたのは、「分断」の深まりだった。“分断された世界”で聞いた人々の生の声を伝えるために、普段、放送の世界に身を置く堀 潤が、表現の自由の世界でアプローチする渾身の映画作品。
すずき(政経電論編集)
情報があふれているとは言いますが、実は種類がたくさんあるという意味ではないんですよね。知らないのは、その人にとって存在しないと同じこと。知る必要性を考えさせられます。
2020.2.20 10:40