白鵬はなぜ、ここまで嫌われるようになったのか

2020.12.3

社会

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白鵬はなぜ、ここまで嫌われるようになったのか

写真:ロイター/アフロ

大相撲11月場所は、大関・貴景勝の優勝で幕を閉じた。大関昇進後はケガによる陥落に加えて復帰後も別個所を負傷。思うように相撲が取れないもどかしさに加えて徳勝龍、照ノ富士に幕尻優勝を許すだけでなく、朝乃山、正代の大関昇進に対して壁になれなかったことも重なり忸怩(じくじ)たる思いだったことは間違いない。大ケガからの復活を目指し三役に復帰した照ノ富士との優勝争いは最後まで見どころ満載で、お互いのドラマが土俵の盛り上がりを深めたように思う。

 

ただ、盛り上がる土俵とは対照的に場所後は気になる話題があった。横綱審議委員会による、両横綱への「注意」である。

横審による両横綱への初の「注意」

近年の世代交代は貴景勝が本領を発揮できずにいたことも理由の一つだが、もう一つの大きな理由は横綱不在の場所が増加していたことにある。白鵬は2020年2場所が全休、2場所で途中休場だ。2017年から通算するとこの23場所で全休が6場所、途中休場が7場所である。鶴竜も同じく2020年は2場所全休、2場所で途中休場。2017年からの全休は5場所、途中休場が9場所ということで確かに両者共に休場が多いのは事実だ。なお、フォローするとこの4年間で白鵬は7回、鶴竜は3回優勝している。

今回の「注意」というのは引退前の稀勢の里への「激励」よりも重いとされており、これより重いのが「引退勧告」しかないところを見ても横綱審議委員会が両横綱に対して結果を求めていることがわかる。

●横審の決議事項の厳しい順:引退勧告 > 注意 > 激励

内規によるとこれらの処分は成績が上がらない、休場が続く横綱に対して下されるものと定義されているが、ケガや病気の内容次第で治療に専念させるケースもあり、8場所連続休場の稀勢の里や7場所連続休場の貴乃花が「激励」に留まっているのはこれに該当するからではないかと考えられる。

成績の上がらない、休みがちな横綱に対して決議をすることは横綱審議委員会の職務上、致し方ないことだと思う。決議に対して批判的なのはこれまでの横綱審議委員会に信頼の無さに起因する部分も大いにあるため、信頼回復に努めねばならないのは確かだ。

だが、それ以上に気になるのが白鵬に対する批判の声である。

もともと白鵬はクリーンな力士として支持されていた

鶴竜の休場の多さは帰化申請が完了していないことから、このままでは年寄株が取得できず引退後に相撲協会に残れないという事象があるために同情的な声が多数である。だが、白鵬は悪い話題になるとSNSなどで批判の域を超え、しばしば“非難”の対象になる。

私は最近Yahoo!ニュース公式コメンテーターとしてYahoo!ニュースのトップになるような相撲記事に対してコメントしているが、白鵬に関するニュースのコメントの多さには毎回驚かされる次第だ。

一体なぜ、白鵬はここまで嫌われてしまったのだろうか。

もともと白鵬は現役晩年の朝青龍が公私ともに荒れるなか、クリーンな相撲と態度を取ることで支持を集めた力士だった。ヘイトを集める朝青龍を白鵬は倒し続けた。引退までこの対戦は実に6連勝だったのだ(本割のみ)。

朝青龍が引退してからは不人気や世間の大相撲に対する好奇の眼差しと闘い続けた。言うまでもない話だが、白鵬は史上最多優勝記録保持者だ。そして、度重なる不祥事で大相撲の人気が低迷するなか、土俵を守り続けた大功労者である。多くの人がそれを知っている。

ただ、こうした功績とは別のところで、少しずつ白鵬は変化していた。

変わったのは33回目の優勝の後から

まず2012年以降、取り口がラフになった。そして2013年九州場所に稀勢の里に敗れ、会場から万歳が起きてから言動の雰囲気がこれまでのものから変化した。それでも取り口はともかく言動に対してメディアの批判も横綱審議委員会からの目立った指摘も無かった。この頃はまだ、朝青龍と闘っていたヒーローとしての姿の方が大きかったからだ。

決定的だったのは2015年初場所で33回目の優勝を果たし、優勝回数が単独1位になった場所の後の出来事だ。13日目で取り直しになったビデオ判定について千秋楽翌日に審判部を批判したのである。テレビ番組で謝罪はしたものの、「多くの人に迷惑を掛け、心配を掛け、おわびしたいです」ということで審判部に向けられたものではなく、その後この件について公にコメントすることは無かった。

白鵬の3つの特徴

これを境に、白鵬は事あるごとに批判の対象となった。明らかに白鵬に非があるものもあれば、単に好き嫌いによるものもあった。

彼の行動や相撲を分析すると、いくつかの点に気づく。

まず、いわゆる横綱相撲の枠にとらわれない点だ。これほどまでにカチ上げや張り差しを多用する横綱は過去に存在しない。栃煌山に猫だましをしたことさえあった。勝つためにさまざまな手段を実践的に使えるところまで昇華する。そこにはいわゆる横綱の姿は無い。下位の力士の挑戦を受け止めるという構図でもない。その姿が美意識次第で暴君のように映ることもあるが、ルールの範囲内で勝っているということもあり肯定的に見る人もいる。

そして、ハッキリと自分の考えを伝える点である。審判部批判のときもそうだが、白鵬は優勝インタビューでもスポーツニュースでもよく話す。例えば亡くなった大鵬へ黙祷を促したこともあったし、三本締めをしたこともあった。自分を理解してほしいからこそ、物議を醸すことを恐れずに声に出す。物事が前に進むこともあるし、サービス精神が人を楽しませることもある。

自らを誰よりも評価しているところも特筆すべき点だ。言葉の中に自らの偉業について「史上初の」「前人未到の」という接頭句を付けるのは、日本人にはあまり見られない特徴である。日本社会の中で自分がすごいということを誇示するのは好かれることではないし、それを傲慢と受け止める人も少なからずいるが、自信と誇りが隠しきれないほど強いということがカリスマ性を生み出しているという側面があることも事実だろう。

日本的な美意識を通すと白鵬は受け入れがたくなる

もうお気づきかもしれないが、白鵬の言動というのは表裏一体だということだ。それを良いと感じる人もいれば受け入れられないと感じる人もいる、という類のものであり、その多くは“是非”という評価ではなく“好き嫌い”という軸で評価されるべきものだということである。ただ一つ残念なのが、日本的な美意識というフィルターを通すと白鵬の言動が受け入れ難く感じかねないという点だ。

朝青龍と闘っていた頃や、人気が低迷していたあの頃、白鵬は決して誰かに嫌われるような言動は取らなかった。変質が表面化したのは例の万歳の一件からである。要するに白鵬はその気になれば日本人の生理に合った力士像、人間像を体現することもできるのにそれをしない。故に人は、白鵬に厳しいのではないかと私は思うのだ。

そしてさらに厄介なことがある。白鵬のすべてを肯定し、正当な批判や好き嫌いの「嫌い」という感情でさえ抑え込もうという人がかなりの数、存在しているということである。白鵬が何かを起こすとニュースになる。そして、批判的な見解からニュースがバズる。批判する側と支持する側がSNS上で激しい罵り合いを繰り広げる。

この様子を見ると相撲にあまり興味の無い人たちは白鵬の行いにここまで毎回ビビットに反応する人たちのことが理解できず、どちらかというと白鵬が外国人であるからこそ差別的に扱われているように感じるかもしれない。しかし、このようになってしまったのには歴史的な経緯があるということをぜひおわかりいただきたい。これは差別という言葉だけで片づけられない、複雑な問題なのである。

歴史的な経緯を踏まえつつ、是々非々を目指すべき

これほどの大横綱について好みが別れる存在になってしまったということは残念だ。そしてその引き金になった行動を取ったのが当の相撲ファンであることはもっと残念なことである。是々非々で評価すればいいとは思うが、ファンと白鵬が歩み寄るために何かできないかとも考えている。白鵬に一方的に厳しいだけではこの溝が埋まることは無いだろう。ただ、白鵬の言動に対する感情に蓋をして受け入れるだけの関係になることも違うだろう。

歴史的な経緯を踏まえて、白鵬の立場、そして相撲ファンとしての感情に向き合い、激しくなりすぎない程度に互いが寄り添える関係を目指すことが必要なのではないかと思うのである。